ナッシュビルツアーには、種々の目的があった。その中で一番大切だったのは、もちろん大学生をはじめとする日本からのツアー参加者に本場の米国南部を味わってもらおうということであった。しかし、それ以外に実はもう1つ大きな目的、課題があった。それは、ゴスペルシンガーのローラ・ストーリーさんに会って、「あるお願い」をすることであった。
このことは、クライストチャーチのメンバーが初来日した5月にさかのぼる。復興支援を目的としての来日であるため、彼らが日本語を交えて「ヒーリング・ハズ・ビガン」をレコーディングしてくれたことは前々回に詳述した通りである。この曲に加えて、もう1曲クライストチャーチクワイアのリーダー、クリス氏から紹介された楽曲があった。しかもこれは「ストレートな癒やしの歌だから、ぜひ日本語で歌ったらいいよ」とまで言ってくれた特別な曲であった。
それが、2011年3月当時に全米のラジオから途切れることなく流れていた大ヒットゴスペル「ブレッシング(Blessings)」であった。この歌を歌っているのがローラ・ストーリーさんであった。ピアノとマイクのみで演奏されるシンプルなバラードが、当時の全米ゴスペル界を席巻していたのである。ローラさんは教会で礼拝の賛美をリードする傍ら、個人的に音楽活動を細々とやっていたという。ある意味どこにでもいそうな普通の女性であった。しかし、この「ブレッシング」で一気にブレイクする。彼女の楽曲はこちらから視聴できる。
実はこの曲をプロデュースしていたのが、ナッシュビルにある「ブレン・ウッド・ベンソン社(以下、ベンソン社と記す)」であった。この会社はクライストチャーチクワイアのCDを長年扱っていた関係で、とても親しい交わりをクライストチャーチと保っていた。だからクリス氏もこの「ブレッシング」を推薦してくれたのだ。
日本に持ち帰り、楽曲をみんなに聴いてもらうと、反応は上々であった。程なくして日本語の歌詞をつけ、歌いたいという方も出てきた。そして、これを5月と9月のクライストチャーチクワイア来日の際に披露したところ、特に被災地では大変な反響となり、多くの方が「CDはないのですか?」と尋ねてくる事態になったのである。
勝手に日本語にして、クリス氏の伴奏で復興支援コンサートの中で歌うのはいいとしても、これをCDとしてパッケージ化する(復興支援の一助として寄贈するということであっても事情は変わらない)ためには、どうしてもクリアしなければならない問題があった。それは、この曲の著作権保有者(ローラさん)からCD化の許可を得ることであった。
もし彼女がNOと言ったら、この企画はお流れとなる。それどころか、もし勝手に日本語にして歌っていたことを知り、気分を害することにでもなれば、今後一切この曲を歌えなくなってしまう。それ以前に、当時超売れっ子になってしまったローラさんに一体どうしたら会えるというのか。
私たちはクライストチャーチを通してベンソン社と掛け合い、何とかローラさんと会える機会を私たちがナッシュビルに滞在している間に頂けないか、とお願いすることにした。しかしその返事は、ついにナッシュビルに私たちが到着してもまだなかった。
楽しく観光したり、ボイストレーニングや楽器のクリニックをしてもらって過ごしながらも、私の心はとても複雑であった。もしもローラさんに会えたらどうしたらいいか。そのことを日本にいるときから考え続けた。そして、ある大胆な計画を思いついたのである。
それは、「ブレッシング」日本語版の歌い手をナッシュビルに連れて行き、ローラさんの前で歌わせ、その勢いのままCD化の許可を得ようという作戦である。そのことを歌い手である光本恭子さん(当時20歳)に話したところ、彼女もこの話に乗ってくれた。そして、もし許可が得られたら、そのままナッシュビルでレコーディングをしてから帰国しようという話まで決めてしまったのである。
滞在して2日目、その電話は同行してくれたクリス氏の奥さん、アマンダさんのところにかかってきた。「ヤス、ローラが20分間だけベンソン社に寄ってくれるそうよ」。そう告げられた。私たちはこれから映画を見ようとしていたのだが、急きょベンソン社へ向かうことになった。
果たしてどうなったか。それは、こちらの動画がすべてを物語っている。ぜひご覧いただきたい。
ナッシュビルツアーも、いよいよ佳境に入りつつあった。
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