2011年9月9日。仙台に新幹線で到着したクライストチャーチ一行は、そのままバスに乗って移動となった。仙台行きの最大の目的は、翌日から開催される仙台ジャズ・フェスティバルに出演することであった。だがその前に、私たちは仙台市内の高校へ向かった。
受け入れを許可してくれたのは尚絅(しょうけい)学院高等学校。仙台市駅から車で数十分のところにある私立学校である。震災後、やっと再開した高等学校ではあったが、まだまだ復興途上であることを物語る傷跡が残っていた。そして目に見えないが、生徒たちの心には多くの傷が残存しているとのこと。そんな彼らの心を少しでも音楽で軽くしてほしい、という要請でのコンサートとなった。
学生たちは一見明るくて、とても被災地の学校とは思えなかった。しかし、いまだに正常な高校生活に戻れていない生徒も少なくないという話を、校長先生から伺った。それをクライストチャーチのメンバーに伝えると、顔を引き締め、この働きの大切さを共有するかのように、皆で祈るひとときをバスの中で持った。
そして、いよいよ講堂へと足を踏み入れた。私たちは割れんばかりの拍手で迎え入れられた。尚絅学院にはコーラス部があり、彼らはクライストチャーチとコラボで歌うことになっていた。お互いに緊張した面持ちで対面したが、形式的な紹介とあいさつの後、楽器隊が演奏を開始した途端、世界は変わった。
メンバーの歌声に呼応して手拍子が打ち鳴らされ、次第に立ち上がる者たちも出てきた。シンガーたちが「立って歌おうよ」と身振りで伝えると、瞬時にして数百人が立ち上がり、そして笑顔が会場にあふれた。
その後、コーラス部が登場し、「一羽のすずめ」をクワイアとコラボした。この時、中には涙を流してこの歌を聴く生徒たちがいた。その姿を見たとき、来てよかったと心から思えた。
コンサート後、自由に写真を撮る時間があった。今回の来日チームのリーダーであるオースティン牧師がとってもイケメンであったこともあり、女子学生は彼らに文字通り「群がり」、そして共に笑いあうひとときが持てた。
コンサートの最後に、その日の夕方午後6時から、仙台市駅前の「マークワン」という野外ライブ会場でストリートコンサートをすることを告げた。すると何人もの学生たちが「必ず行きます!」と答えてくれたことがうれしかった。いろんな傷を負っているだろうが、彼らは若く、そして素直だった。
その日の夕方、仙台市駅前に私たちが到着したとき、駅前はパラパラとした人通りだった。しかし、クワイアがリハを始めた途端、わずか数分で何と数百人の方々が集まったのである。用意したチラシやパンフレットは、あっという間になくなってしまった。そして約束通り、尚絅学院の学生たちが集団の一角を占めていた。
開始時間を少し前倒ししてコンサートを開始した。実は、このコンサート開催までには多くの困難があった。まずストリート形式であることから、交通整理ができなくなるのではないか、という懸念の声が上がり、コンサートそのものが中止に追い込まれる寸前になった。
次いで音の問題である。いくら野外とはいえ、そこでドラムやベースをかき鳴らすのである。PA担当者に警察から、出せる音の上限を事前に言い渡されていた。これを守れないと、瞬時にコンサートは解散させられる。
さらに極めつけは、その会場で十数人がステージに上ることに対して、地元の自治会から消防法に抵触するのではないか、というクレームがついたことである。これを現地で対応してくださった方によると、最後は「30分だけ目をつむってください。彼らはアメリカから来てくれているんです!」という、言い訳とも開き直りともとれる迷言で最後に認可を獲得したという。
そのコンサートは大盛況だった。目測だが、600人を越える方が集まってくださり、彼らに向けて復興支援の歌声を届けることができたのである。
その後、私たちはその会場を後にし、仙台市内のアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の教会へ向かった。そこで夕食を頂くとともに、ミニコンサートを行うためであった。学校やストリートで人々に勇気と希望を与えることは大切である。しかし、クライストチャーチにとって最も大切なことの1つは、日本の教会に恵みを分かち合うことだった。だから、どうしても仙台の教会へ向かいたいと、彼らは事前にリクエストしてきたのである。
会場となった教会は、決して大きなキャパではなかった。しかし、そこには私たちを心から歓迎してくれる真心に満ちたおもてなしの数々が供えられていたのである。まず、何といっても食事だった。
仙台市は確かに復興しつつあるとはいえ、まだまだ食事にはいろいろと制限が加えられていた。そんな中であるにもかかわらず、教会の方々は一生懸命に料理を準備してくれたのである。お寿司屋、サンドイッチ、そしてカレーライス・・・。豪華なホテルの食事ではないが、それ以上に価値のあるおもてなしを受けた彼らは、そのお礼として心を込めてゴスペルを歌った。
その歌声は、集まったすべての方の心を打った。私たちをお迎えしてくれた牧師先生はもちろんのこと、高齢で自身の生活も今後どうなるか分からないと語っていた教会員の方々も、手を打ち、時には手を挙げて彼らと共に主を賛美してくれたのである。
そして次の日、私たちが仙台にやってきた最大の目的、仙台ジャズ・フェスティバルがいよいよ開幕となったのである。
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