モリース氏の葬儀を終えて、2011年6月15日に帰国の途についた。この10日間は怒涛(どとう)のごとき時間の流れであった。韓国へ研修に行ったはずが、まさか太平洋を渡って再びナッシュビルへ行くことになろうとは。しかも出会ったばかりの友人が天に帰り、その葬儀に参加することになろうとは。私は何か大きな力によって導かれ、誘われている感覚を拭い去ることができなかった。
さてここで、ナッシュビルと音楽、そして教会との関わりについて述べておこう。私たちは多くの場合、有名なゴスペルシンガーが来日したり、彼らがCDを出したりすると、心が沸き立つ。それはまるで自分の大好きなスターに出会えたり、その最新の歌声を聴くようなものだからである。
しかし、日本で断片的な情報を受けるだけでは、ナッシュビルがどうして「ミュージック・シティー」と呼ばれ、そこに多くのミュージシャンが集い、さらに教会音楽やゴスペルが栄えているか、の真の理由が明確に分からない。ナッシュビルに行き、そこで音楽関係者に出会って話を聞くことで、初めてそのあたりのからくりが分かるようになった。
モリース氏の葬儀の前後で、ナッシュビルにあるゴスペルレーベルの有名な音楽カンパニー、ブレンウッド・ベンソン社を訪れる機会に恵まれた。その会社は多くのゴスペルシンガーを輩出し、しかもグラミー賞をとるほどのアーティストを生み出している。知る人ぞ知る、「ゴスペルの聖地」である。
まず、そこに行ってびっくりしたのは、ホイットニー・ヒューストンの「天使の贈り物」のサントラが、そこで作られていたことである。これは私が大好きな映画の1つで、しかもとても福音的な物語である。どうもそのCDの1曲を、クライストチャーチのメンバーが作曲し、提供したということで、このプレートが飾られることになったという。
さらに別の壁には、マイケル・W・スミスのCDもプレートとなっているではないか! そして、案内された別の部屋には、エリック・クラプトンの「Change the World」の直筆が! もう夢のような世界である。
別室では、ブレンウッド・ベンソン社の副社長(現在は社長)ジョナサン・クラプトン氏が待っていてくださり、いろいろと歓待してくれた。そこで彼から面白い話を聞くことができた。これが、先ほど取り上げた教会音楽とゴスペルの関わりに深く関連する話だったのである。
ジョナサン氏はこう語った。「私たちの会社には、大きく2つのビジョンがあります。1つは、アーティストを発掘し、育成し、そしてセキュラーの世界へ羽ばたかせること。もう1つが各地方教会に仕えることです。
前者はさまざまなアーティストがここナッシュビルから旅立って行きました。ここで認められ、そのつながりで大手のプロダクションと契約する、これが彼らのサクセスストーリーです。だから、ナッシュビルは『ミュージック・シティー』の名にふさわしい在り方をしているのです。
例えば、今年(2011年)に最も売れているアーティストは、ローラ・ストーリーです。彼女は「Blessing」という楽曲で今ヒットしています。やがて、これがグラミー賞候補にでもなれば、おそらく彼女は羽ばたいていくでしょう(事実、ローラ・ストーリーはその後グラミー賞候補ではなく、2011年度グラミー賞を獲得した。これについては後に語ることにする)。
一方、後者はまったく別の働きです。私たちの会社では、クワイアやアーティストのためのカラオケを作成しています。また、練習用の音源も幾パターンも作成しています。それは、例えばテナーパートが少ない地方教会に対して、カラオケとテナーパートをミックスしたトラックを安価で提供するためです。
ドラム奏者がいない教会であれば、ドラムパートだけのトラックも用意しています。すべての教会がクライストチャーチのように完璧な状態を保っているわけではないので、その欠けているところを補うために細分化した音源を用意するのです。
その延長線上で、教会に仕えるアーティストを育成しています。クワイア指導ができる人材、楽器指導ができる逸材を発掘し、教会との連携の中で、彼らを派遣しています。そして、これは皮肉なことなのですが、セキュラーなアーティストとなっていく人材は、多少下手でも名が売れることでその地位を確立できます。
しかし、教会に仕えるアーティストたちは、ほぼ無名です。しかも教会のコンサートや礼拝を導くという技術面で教会員や聴衆の心を一気につかまなければなりません。すると、ネームバリューではなく、演奏や歌声といった音楽の本質的な部分で霊的にリードできなければならないのです。
だから、もうお分かりでしょう。教会に仕えるアーティストの方が、技術面で秀でている傾向があり、しかも聴衆から求められるハードルも高いのです。ネームバリューに頼らない、そういった生き方が求められるのですから」
そう言ってジョナサン氏からプレゼントされたのは、ある楽曲の数パターンのカラオケであった。それは、テナー・レス(テナー抜き)音源、アルト・オンリー(アルトのみ収録)、それからスプリット・トラック(クワイアとカラオケが別トラックに入った音源)であった。
私たちは日本で、単に「ゴスペル」というが、それがセキュラーに売れるアーティストの音楽なのか、それとも教会でクワイアやユースが演奏するための「教会音楽」としてのゴスペルなのか、その細かな違いまで意識することはあまりないだろう。単純に楽譜を見て、「これ、やってみたい」と決めるだけである。
しかし、「ミュージック・シティー」ナッシュビルでは、その名にふさわしく、誰でもどこででもゴスペルが歌えるように、細やかな配慮がなされ、幾パターンもの音源が用意されているのである。
同時に、目の前でにこやかにしているクリストファー氏、亡くなったモリース氏の偉大さが分かった。教会に仕えるアーティストは、決してマイナーミュージシャンではない。彼らは技術的にも霊的にも、セキュラーアーティストに勝るとも劣らない力を持っているのだ。
その彼らが、9月に20名近くの仲間とともに来日することになる。そう思うと、私の心は大いに踊った。あと3カ月、全力で準備をしようと心に誓い、ナッシュビルを後にしたのであった。
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