2011年9月6日、待ち焦がれていたクライストチャーチクワイアの選抜メンバー17人が関西国際空港に降り立った。前回が6人での来日、しかもミュージシャンはそのうちの4人であったことを考えると、牧師、PA、マネージャー含めての17人はそうそうたるメンバーであった。楽器奏者も、ピアノ、ドラム、ベース、ギター、トランペットがそろっている。クワイアは8人。各パートに2、3人である。
これだけの人数を車数台で京都まで運ぶのは大変ということで、今回は観光バスをチャーターした。彼らの荷物だけでバスの貨物入れがいっぱいになり、それでも入りきらないスーツケースがバス内に持ち込まれる。約20時間の旅を終えて来日したメンバーは、確かに疲労はしているが皆明るかった。バス内では陽気に語り合い、また私たちへのサービスとして、少し曲を演奏してくれた。
次の日、ホテルでの昼食会を経て、私たちは早速コンサートのために堺市へ向かった。そこは関西地域でも有数の教会であり、コンサートの皮切りとしては最高のステージである。今回、クライストチャーチクワイアは独自のTシャツを作成し、オリジナルCDなどを多数持ってきていた。そしてクワイア用に楽譜集なども。それはかなりの数に上った。
初コンサートということで、幾分緊張した面持ちをしていたメンバーであったが、リハーサルをする中で、次第に堅さもほぐれ、本来の彼らのサウンドが聴いているこちらの下腹あたりにズンズンと響いてくるようになった。
そして本番。本当に驚いたのは、数百人入る会場がいっぱいになったこと、そしてそのすべての人を魅了し、時には祈りへと導く「賛美集会」になったことである。通常、日本人が考える「ゴスペルコンサート」というと、立ち上がって手を打ったり、「ハレルヤ!」とあちこちから声がかかるような、アップテンポで陽気な楽曲が中心となるだろう。
しかし、彼らの「ゴスペル」は、単にそれだけではない。腹の底から熱いものが音楽とともにせりあがって来るような、そんなパワーを常に感じさせてくれたのである。激しい曲、静かな曲、そしてソロで誰かが歌う曲、すべてに骨太な芯が通っていた。
彼らにとって特に思い入れが強かったのは、亡くなったモリース氏が作曲した「Start It Up」という曲である。彼の代わりにその遺志を継いで歌うことが、彼らの目的の1つでもあったからである。こちらがその動画である。
このような熱い思いが形となったのは、歌だけではなかった。彼らはリハーサルが終わると、物販一つ一つに全員がサインし始めたのである。滞在中は、あらゆる時間を用いて日本のために尽くす、というスタンスを取り続けてくれたのである。だから、最初のコンサートだからということで、少し控えめにしていた物販も、あっという間になくなってしまった。彼らの思いが、集まってくださった方々の心を打ったのだろう。
このようなコンサートが、石川県金沢市、東京都大田区、大阪府東大阪市、京都府京都市で繰り広げられた。来られた方々は皆大いに恵まれ、また震災のために自分たちもできることをさせてもらいたい、という気持ちを新たにすることができた。
特に印象的だったのは、東京でのコンサートのことである。この時、教会側からは「あくまでもコンサートということで、多くの初めての方も来られています。だから、ペンテコスタルな『招き』や『祈り』をすることだけは控えていただけませんか?」と言われていた。そのことは、クライストチャーチクワイアにも伝えていた。
しかし、このコンサートの最後になると、人々はみな涙を流し、前に出てくるではないか。しかも、牧師に祈ってもらいたいという願いを持って、皆が出てくるのである。
私はびっくりして、祈ってもらった方に質問した。「あなたはクリスチャンですか?」と。すると「いえ。なんか、とっても感動したので、お祈りしてくれるなら前に行こうかと思いまして」とのこと。
こんな光景、今まで見たことがない!さらにコンサートはアンコールにつぐアンコールで、なかなか終わる気配がない。すでに2時間半が過ぎていた。やっとのことで終わったコンサートだが、それからが長かった。CDを買って、メンバーと写真を撮り、英語が話せる方はそのまま彼らと歓談する。そんな列が、コンサート終了後も1時間以上続いたのである。結局その日は、床に就いたのが午前さまとなってしまった。
しかし、なかなか眠れなかったことを覚えている。興奮していたのだ。こんな形で復興支援に貢献できるなんて、こんな素敵なゲストを日本にお招きできたなんて・・・。そういった思いが頭の中を駆け巡っていたのである。上を向いていても、自然と目じりから涙があふれてきた。そしてわずか半年前のことだよな、と頬をつねり、夢ではないことを何度も確かめざるを得なかった。
聖書が語る「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩編103篇2節)が心に深く刻まれたひと時であった。
翌日、私たちはラッシュアワーの中を、一路仙台へと向かった。
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