2013年1月、希代のゴスペルシンガー、サンディ・パティがナッシュビルでコンサートを行うということで、家族と急きょナッシュビルへ赴くこととなった。調整役をしてくれたのは、サンディの娘のジェン・クライダー(旧姓ヘルバリング)さん。将来的に日本来日をも視野に入れて、コーディネーターを探しているという裏情報もジェンさんからもらっていた。
2011年の震災以降、このような出会いが多く与えられ、私は日本の福音宣教に新しいスタイルで一石投じられないかと考えるようになっていた。学生たちを連れてのツアーは毎回大好評で、そこから信仰を持つ者たちが生まれている。また、クライストチャーチからゴスペルチームが派遣されてくることで、確実に日本のゴスペルの質(単なる音楽性のみならず、霊性をも含む)が深化しつつあることも実感していた。
だからここでサンディ・パティとの関わりが拡大していくなら、本当に意味のある建設的な働きが確かなものとなるのではないか。そんな思いを抱いての渡米であった。
クライストチャーチは毎週水曜日の夜にクワイア練習を行っている。もうこれで5、6回目の練習見学となるが、今回は異様な雰囲気が全体を包み込んでいた。まず、みんな異常にテンションが高い!それでいて、目が笑ってない!つまり彼らもサンディ・パティと歌うことに緊張し、同時に隠し切れない喜びが込み上げてきていたのであった。着いてすぐにクリス氏から聞かされたのだが、今回はクワイアがサンディのバックコーラスとして半分近い楽曲でコラボするらしい。そちらにも期待が高まる。
彼らが練習していた楽曲は、私にとってもとても懐かしいものだった。かつてカセットテープにダビングし、運転のBGMとして聴いていた数々の名曲が、目の前で再現されているのである。ソロパート(つまり本番でサンディが歌う部分)を娘のジェンさんが歌い、カラオケ音源とピアノが絶妙のタイミングでコラボし、そこにクワイアの分厚い歌声が重なっていく・・・。どの楽曲も仕上がりは上々だった。
練習の最後にアナウンスがされた。それはこんな内容だった。
「当日は、多くの方が来場されます。皆さんはコンサートをバックステージから楽しむことになります。会場に降りていくことはできません。終わった後に、サンディに話し掛けたいでしょうが、それをすると観客がどっと押し寄せてしまうので、今回はそういうことは無しにしてください。サインやCDについては、事前にサイン入りCDをリハーサル室で販売しますから、そこで買ってください」
さすがはグラミー賞を5回受賞したトップシンガーである。主催者側の対応も芸能人のそれである。
今回のコンサートは、サンディ・パティはもちろんのこと、彼女と「I’ve just seen Jesus」をデュエットしたラーネル・ハリス、そしてウェイン・ワトソンの3氏によるコラボが「売り」であった。80年代から90年代にかけて、全世界のクリスチャンは彼らの歌声や楽曲を聴いて信仰生活を育んできたといっても過言ではないだろう。ビッグ3を同じステージで見られるということで、当然チケットは完売。クライストチャーチの礼拝堂3千席は開場から間もなくして完全に人で埋め尽くされてしまった。
そんな中、私たち家族は一番前の特等席に座ることができた。いわゆる「かぶりつき」席である。事前アナウンスでは、動画や写真の撮影はご自由に、ということだったので、私も iPhone 片手に、コンサートが始まるのを今か今かと待ち構えていた。
コンサートはまさに夢のような時間であった。途中休憩を挟みながらたっぷり2時間半、集まった多くの観客を魅了する歌声が会堂内に響き渡った。特にサンディとラーネルのデュエットが始まると、人々は立ち上がり、惜しみない拍手を送った。私たちも例外ではなかった。あらためて「ゴスペルには力がある」と実感させられたひとときとなった。
感動と涙のコンサート終了後、ジェンさんが私のところにやってきて「そのままここにいてください」と告げた。観客が会場を後にし、クワイアメンバーがリハーサル室へ引き上げた後、サンディが家族とこちらへ会いに来てくれるということだった。何と光栄なことか・・・。ジェンさん曰く「わざわざ日本から会いに来てくれたのだから、こちらから出向くのは当たり前ですよ」。泣ける一言であった。
礼拝堂のライトが少しずつ落とされ、ステージにも場内にも人がまばらになった頃、バックステージの扉が開き、サンディ・パティが現れた。あいさつを交わし、私の著書をプレゼントした。日本語なのでおそらく読めないだろうが、電話帳くらい厚みのある本なので、どこかに飾ってくれるだろう。
握手を交わしながら、私はこう伝えた。「日本にまた来てください。あなたの歌声が必要です」。すると彼女はにっこりして「Sure!(わかったわ!)」と返してくれた。そして「ジェンが本当に日本の皆さんにお世話になっていると聞きました。ありがとうございます」と母親の姿でお礼を述べてくださる一幕もあった。よき交わりをさせていただき、サンディ一家と青木家と一緒に写真を撮り、共に祈り合うことができたのである。
米国のゴスペルシンガーにはいろいろゴシップが付きまとう。サンディ・パティも例外ではない。しかし、少なくともコンサートとその後に個人的に交わりをさせてもらった限りでは、彼女の信仰心と歌声は、周囲の人々を信仰的に大いに奮い立たせるものであった。
「いつの日か、再びサンディの歌声が、主を慕い求める霊的な賛美が、日本で響き渡ることを願う」。そんな思いにさせられて、私たちは帰国の途に就いた。
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