日米合同チャリティーコンサート、その本番の様子をお伝えする前に、その前日に行われた夕食レセプションのことに触れておきたい。
米国南部、と聞くと日本人としてどこか縁遠いイメージがある。しかし実はそうではない。米国にある3カ所の日本総領事館の1つがナッシュビルにあり、しかもトヨタや日産、スズキなどの日系自動車企業の米国本社もこの都市に密集しているのである。
2011年のナッシュビルツアーの時、この総領事館に関わりのある教会員を通じて、総領事館へクライストチャーチの一連の活動を逐次報告していたのであった。加藤総領事(現在は別の方)は音楽好きを公言していたため、この報告をとても好意的に受け止めてくださった。
その延長線上で、日米合同のチャリティーコンサートのことをお伝えしたところ、当日のコンサートにおいでくださるばかりか、その前日にコンサート開催を記念して総領事館で夕食レセプションを開き、私たちをお招きくださったのである。
それはまるで映画の中の世界であった。豪邸の前に車で乗り付けると、ちゃんと係の方が車を預かってくれる。そして中に入るとパーティースタイルの部屋が出来上がっており、給仕する方々が「お飲み物は?」と尋ねて来てくれる。
そんなゴージャスな雰囲気の中、クライストチャーチのメンバーと私たち日本側のメンバーは、地元の企業関係者、そしてその友人たちの歓待を受けながら、和洋色とりどりの食事に舌鼓を打ったのである。
このようなレセプションは、その後も2017年まで毎年行われた。加藤総領事が異動となっても、後を継いだ別の総領事が同じようなレセプションを催してくださったのである。
さて、肝心のコンサートに進もう。前回お伝えしたように、会場はクライストチャーチの方々がしっかりと整えてくださった。そして場内はいっぱいの人で、開演の30分前から埋まってしまった。関心の高さを物語っていた。
クライストチャーチのクワイアに仲間入りして歌う前半、そして日本チームのみで歌う中盤、さらに日本語の曲をクワイア全体で歌う後半と、さまざまな趣向が凝らされ、コンサートは滞りなく進んでいった。
わざわざ被災地仙台から来られたKEN MATSUDAさんがソロで数曲歌い、その後を受けて「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」を全体で歌った。その映像がこちら。
ラストは、クライストチャーチのメンバーでもあり、ブルックリンタバナクルなどにも楽曲を提供しているジェロン・デイビス氏の作詞作曲である「Holy Ground」を歌った。これは今回、このコンサートのためにある方が日本語で歌詞をつけたものである。当然、クライストチャーチの方々にとっては難しいハードルとなる。だが、ジェンさんはこれまた見事に日本語をマスターし、歌い上げてくれた。その映像がこちら。
「私たちは聖なる地(Holy Ground)に立っています!」という宣言に皆が応答し、立ち上がって主を賛美する、ワーシップタイムが自然発生的に始まった。ここからコンサートはプログラムを外れ、さまざまな楽曲(主に聖歌)がメドレーで歌われた。
ここにゴスペルコンサートの肝があると私は思った。単にプログラムを正確にこなすのではなく、いわゆる「霊の導きのまま」歌が重ねられていく。この在り方がゴスペルの鮮度を「生もの」として保つことになり、またその「聖なる地」に立つクワイアメンバー、参加者の心と霊をリフレッシュさせることになる。
やがて歌が終わり、皆が祈りの姿勢に入る。クリス氏のピアノは皆の祈りを妨げない程度に奏でられ、むしろ祈りをさらなる高みへと導くようであった。ラストのラスト、ついに「ハレルヤコーラス」が奏でられた。
皆立ち上がり、手を挙げて賛美しながら、思い思いの祈りをささげる。このようなあり方こそ、私たちがはるばる日本から求めてやってきた「本当に得たいもの」であった。教会員のみならず、初めて参加したメンバー(未信者の方)も感動し、中には涙を流して祈りの姿勢を取る方もおられた。そこには、文字通り「一致」があった。
来られていた加藤総領事も涙を流しておられた。やはり音楽は人の心を打つし、心を開いた方に神は触れられるようである。
コンサート後、皆で写真を撮ったり抱き合ったりしているクワイアメンバーを見ながら、本当にこの企画をしてよかったと心から思えた。1月にナッシュビル入りし、5月にまたやってくるというかなりの強行軍であったが、日米の懸け橋として用いられ、しかも復興支援の働きに貢献できたという結果に、日本から参加したすべての人が感動していた。
翌日、自由献金で与えられた支援金が発表された。それは私たちの想像をはるかに上回る額であったようで、クライストチャーチ側も大きな驚きをもってこの結果を受け止めてくれた。
会計報告をしてくれたクリス氏がこう付け加えた。「今年9月、また日本に行くよ!」
まだまだ強行軍は続くようだった。しかし何とうれしい報告だろうか! 帰国したら9月に向けて、またこちらも準備しなければと思わされた次第である。
◇