2011年から交わりが始まったクライストチャーチ。私のパスポートを見返すと、2013年5月の合同コンサートまでに合計6回ナッシュビルへ訪問したことが分かる。わずか3年に、である。これほど濃密な交わりをすることができたのは、まさに主の導き以外にはあり得ない。
また、クライストチャーチから来日するクワイアも4回目である。2011年に2回、それからは年1回のペースである。これほど回を重ねてくると面白い現象が起こり出す。それは前回までに交わった日本の人々が、通常は教会に来ていなくても皆が関わりたいと願うので、いつしか教会の中に出入りを始めるということである。もちろん期間限定の交わりではあるが、クライストチャーチクワイアのために自分もこんなことをしてあげたい、という思いは、次第に教会の敷居を低くするようである。
その結集が2013年であった。今まで3回の来日で生まれた交友関係が、一気にこの年に芽吹いた感がある。具体的には、「クライストチャーチおもてなし隊」への参加が過去最高になったことである。新たに大学生としてこのチームに加わってくれた人が大半だが、中には前回のツアーで仲良くなり、今回もぜひ、というリピーターも数名いた。結果「おもてなし隊」は10名以上のかなりの大所帯となり、彼らの力を結集することで、いろいろとイベント周りはスムーズに運ぶようになっていったのである。写真は、おもてなし隊でクライストチャーチクワイアのメンバーを関空までお迎えに行ったときのもの。皆で作成した「Welcomeボード」は、ゲストのクワイアメンバーたちの心を打ったようである。
今回、クライストチャーチクワイア側も大きなプレゼントを用意しての来日となった。それは日本語曲「主を仰ぎ見て」を完全カバーし、それをコンサートで歌うというものであった。こちらがその楽曲動画である。
これはその後大ヒットし、来日メンバーの一人で、プロのゴスペルシンガーとして全米で活躍しているヴァネッサ・マドックスさんは、この曲を自身のアルバムのラストに入れるほど気に入ってくれたのであった。
来日したメンバーはかなりのハードスケジュールをこなしてくれた。まずは京都ラジオでの公開ナマ録音に臨んだ。そして、その場でアカペラのゴスペルを数曲披露してくれた。その歌声にDJ担当の女性の方は涙したほどであった。来日したメンバーの一人で牧師でもあるダニエル・ベル氏は、「日本のために、復興支援ができるなら毎年でも誰かを送りますよ」とうれしい言葉を述べてくれた。
その後、京都でも有数の結婚式場、ノーザンチャペルへ向かった。2011年に亡くなったモリース・カーター氏がそこで歌っていたことを知ったメンバーが、ぜひ自分たちもその場で歌いたいと願ったからである。彼らはその場に丸くなり、そして今は亡き友のことを思いながら歌った。その歌声はこちらから。その歌声は、確かに天国のモリース氏に届いたことだろう。
チャペルのオーナーもクリスチャンであったため、歌い終わった彼らのためにオーナー自らが祈り始めたことをきっかけに、いつしかその場が祈祷会へと変わっていくこととなった。これがペンテコスタルな霊の導きというものであろう。ある者は立ったまま天を見上げるようにして祈りをささげていたし、またある者はその場にひざまずき、涙を流しながら祈りをささげていた。その間中、クリス氏のピアノが素晴らしい音色を奏で続けてくれた。気が付くと30分程度の予定が1時間半もそこで過ごしてしまった。
また今回の来日で、私たちが一番気を使ったのはクリス氏とその奥様アマンダさんとの間に生まれた新生児ジャック君のことであった。2012年の来日の時は、アマンダさんが妊娠中であった。「来年は難しいかもね」と言っていたのだが、やはり日本の友人たちに会いたいという願いを彼女が捨てきれなかったようだ。そして、なんと生まれてわずか数カ月のジャックくんをベビーカーで連れての来日となったのである。
こちら、受け入れ側としてはメンバー以上に0歳児のジャックくんのことが気になっていた。そのため、彼専門でお世話をする「子守り役」を3名の方にお願いしていた。特に日本の夏は湿気が多く、京都の暑さは半端ないので、脱水症状やその他の病気にかからないことを願いつつのケアであった。幸いにして病気になることはなかったが、長時間の移動などでは、時々泣き出してしまうこともあり、こちらもハラハラし通しであった。
とはいえ、今回の来日メンバーで最も人気者であったのも他でもないジャックくんであった。特に女の子からの人気は絶大で、皆が彼を取り合うような場面に何度も遭遇した。クリス氏の話によると、JAPANとひっかけてJACKにしたとのこと。それくらい日本に対する思いが深まっていたということだろう。
さて、次回からはこの2013年のジャパンツアーについてレポートしてみたい。
◇