無教会主義型
無教会主義は、日本に特有の現象である。これは内村鑑三という旧制一高の教師、のちに独立伝道者となった偉人によって創始された。この教派は、教会としての組織を否定し、教職者制を否定し、原則として建物や不動産を所有せず、集会は聖書研究を中心とする。組織神学は悪しき形而上学であるとし、これを拒絶している。しかし無教会主義の指導者の著書などを読むと、カルビン主義の影響が大きいようである。
説教者は、大学の教師も多いようである。いわゆる神学教育は受けておらず、従って組職神学的な思考からは自由である。無教会運動は、日本の文化によく適合している。強固な信者の共同体を形成しようとしていないところが、その理由である。だから日本社会においては、自然発生的に広がっている。説教者を定めず、回り持ちで発表するという形を取っている集会もあるが、やはり賜物を持つ人に説教の任務が集中するようで、これは自然なことだろう。
組織を否定しているので、中央の事務局もなく、また連絡機関もないようである。教勢の発表なども行ったことがないが、これは内部でも、そのような調査の努力はされていないようである。教勢の発表など無教会の根本方針からは遠い。
思想的な統一をはからず、伝道者の教育機関を持たず、研修会を開催せず、それでも無教会というアイデンティティーを持ち続けているのは、これが日本社会に適合し、その中に自分たちが生存できるニッチ(隙間)を見つけたからであろう。強固な礼拝者共同体の形成を避けたからである。
無教会派では、地上の組織体としての教会を否定しているので、共同体的性格を持つようなものは否定される。聖餐式は、地上の出来事ではないとされ、通常は行われない。洗礼も、キリストに継ぎ木されるのは地上の団体のことではないので、原則として行われない。例外的に、これらの礼典を行うところも「ある」、または「あった」ようである。
このように無教会主義は、日本の精神文化の伝統に忠実である。別個の共同体を形成しようとせず、聖書を通して会員に「神の前における孤独」を提供していると思われる。家族の共同体とも、職場の共同体とも衝突しない。その点において、日本社会との関係はスムーズである。だから無教会クリスチャンはバタ臭くない、むしろ日本人臭いのである。
無教会は、礼拝者共同体の形成をやめて、それは天上においてのみ存在するとした。それによって日本の土壌において市民権を得たといえる。日本のキリスト教界がひとしく苦悶している問題、すなわち地上の教会の形成ということをまったくスマートに回避した。これは、内村の天才的な洞察によるものである。
しかし、それとともに失ったものもあるように思う。やはり聖書は、我々にこの地上で信徒の交わりと共同体の形成を命じているのであって、これはどうしても避けては通れないのではないか。それがどんなに傷だらけであっても、また偽善や汚点があったとしても、である。
教会は、共同体である。共同体であるということは、お互いの存在に対して責任を持ち合う交わりである。たとえ不完全であっても、それはキリストの身体の形成の実践である。その中の交わりは、世間の交わりとは違うのである。主イエスの恵みが仲介している交わりである。
無教会集会は主イエスの福音を喜び、それを中心に集まる主の民であり、我々はそこから学ぶものが多くある。日本の教会は、もともと福音が要求していないのに、無理に背負おうとして努力してきたものが多くある。そのことを、無教会を観察するときに気が付かされる。その内容については後で述べる。
無教会クリスチャンには、精神的なインパクトを日本社会に与えた人が多い。内村、南原、矢内原などはその代表的な人物であろう。しかし精神面の影響は大きいようであるが、意外とその勢力の大きさに比して人生を投げ出して社会奉仕活動をしている人は少ない印象である。無教会クリスチャンは、主として知的刺激を求めて集まっており、そこに最大の喜びがある、それが特長なのかもしれない。
止場学園で重度障害児の施設をやっている福井達雨は、若いときの理想に燃えていた仲間のことを、みんないなくなった、理想だけでは続かなかった、と言う。そうして自分はイエス様に言われたからやってきた、ただそれだけだと言っている。これは奉仕の原点であろう。こういうタイプの人物は、少ないような印象がある。筆者の思い違いであろうか。
日本人は起き伏しも、仕事も日本文化のエートスの中で行っている。その中で最も日本的である2つの共同体(家族と職場)に対立的なスタンスを取らず、日本社会に摩擦と混乱を起こさずにクリスチャンの群れを形成しようとしたのが、無教会派であると思う。
高度に発達した技術社会でありながら、あたかも未開の部族社会かのごとき反個人主義的な構造を持っている日本社会である。そのような「現場」(cultural venue)の性質を見抜き、自分たちが存在できる隙間を見つけたのが、無教会主義であるように思う。
無教会の成立は、その意味で極めて日本的な出来事であると思う。無教会派の成立を分析することは、日本の宣教学にとって欠かせない。その果実は、日本の宣教を助けるのみならず、世界の宣教学にとっても貴重な観察になると思う。
別な見方をすれば、無教会派の分析と研究を含めて「日本宣教学」が成立するように思う。無教会は、世界的に見てもユニークな存在である。
小生の父親は戦前に日本の長老派であった日本基督教会(旧日基と略記される)の牧師であったが、戦前まだ子どもであった筆者に時々日本四島の教会数は日基、ホーリネス、無教会の集会数がそれぞれ500ずつで、これらが日本の主要なプロテスタント勢力である、などと言っていた。現在も無教会は日本のプロテスタント勢力の20〜25パーセントを占めていると思われる。
なお「無教会派」という呼称は、もちろん外部が付けているものである。無教会では「派」を使うと、さまざまにあるキリスト教会の類型のうちの一つということになるというので、その語の使用は拒否しているようである。その主張の裏にあるものは、自分たちを唯一の正しい「集団」とし、他派は存在していないに等しいと考えているようであり、排他的な姿勢が認められる。
筆者が無教会のものを読んだ範囲からは、「教会主義」はすべて腐敗し堕落してしまっている、という痛烈な断罪ともいえる主張があるように思う。であるから、教会側に対して交わりを求めることはないし、伝道において共闘を求めるということも思考の中にないようである。
無教会は開かれている、他派の人も受け入れる、決して閉鎖的でないという主張もあるが、他派の牧師も呼んで話を聞き学ぶという方向はないようである。他派には真理内容は無い、としているようにも見える。
無教会は「自派の絶対化」「他派の無視」「キリストにある真の交わりは無教会の中のみ」という排他的な性質を持っているようだが、残念なことである。鑑三自身は植村正久、海老名弾正などと共に、キリスト教講演会を催し、三者が次々と壇上に立って説教したりもした。第二世代以後は排他性がより強くなったのか、それともまさか協力してみて懲りたということなのだろうか。
無教会派は聖書を重んじており、その聖書理解には、さまざまに貴重なものを含み、鑑三のものを読んでいると、聖書が直接に日本の社会に対して語り掛けている、という感じがする。
しばしば教会側の牧師の説教には、 まず形而上学化した組織神学と、それが持っている哲学的なフィルターがあり、聖書の言葉がそれによってろ過されており、無力化されているような感じがある(フィルターはたいてい西欧製なので、余計にそう感じるのだろう)。内村からは聖書の言葉が直接にぶつかってくる、そういう衝撃がある。直截(ちょくせつ)であり、いわば預言者の息吹を感じる。もっとも第二世代以後の人たちからは、そのようなインパクトを感じることがやや少ないような気もする。それだけ西欧文化尊重の体質やフィルターを、現在の無教会指導者からは感じるような気がする。
無教会には、信徒で聖書原語を学ぶ人も多い。プロテスタント諸教派との交わりがあれば、相互に益しあうところは大であると思われる。小生の妻が市内の聖書考古学研究所で、ヘブル語の原典講読を教えており、そこに集まる方々の中に無教会の信徒方があり、良い交わりと祝福を頂いている。
なお閉鎖性から来るものとして、交わりの狭さから、一部に個人崇拝的な傾向があるように思われる。だいたい教会では、普通の人間でも牧師になれる。学歴など会員のほうが高いことがしばしばである。ところが無教会派では違うようで、伝道者は知的にも人格的にも立派な人が多い。社会でかなりの地位を占めたのちに献身して、伝道者となる。個人崇拝に傾くのも、ごく自然なことかもしれない。
高橋三郎は、教会派との交わりに積極的であり、本郷西片町教会の鈴木正久とも親交があった。同牧師の臨終の際の高橋の手記は、まさに感動的である。
自分は、この鈴木牧師の臨終に際しての手記を読み、その純粋さに打たれた。一人の霊的指導者を、これほどまでに敬愛する経験を自分は持っていないが、これは自分の人格に何かが欠けているのではないか、などとも思ったものである。霊の師を尊敬し、崇拝するという日本的な美風が、この人には生きていることを痛感したのであった。しかしやがて、この高橋の態度は少し違うのではないか、やや個人崇拝に過ぎる面がありはしないか、などと感じるに至ったのである。
おそらく鈴木正久と共に何十年と一緒に教会を運営してきた長老たちからは、まず聞けないであろうような崇拝者的な息遣いが聞こえるのである。役員として何十年と牧師とやっていれば、牧師の何もかも分かっており、親愛の情は深くても、あの文章のごとき個人崇拝のような表現は出てこないのではないか。あの文章は、一方的な崇拝である。到底一緒に苦労した者の文章ではないな、とか思うようになった。(高橋三郎『無教会精神の探究』新教出版社)
無教会派信者ならずとも、日本のクリスチャンはすべて無教会的な傾向を持っているといえよう。つまり心のどこかに、「一番大切なのは主イエスヘの信仰であって、『教会生活』は、実は本質的なものではないのではないか」という気持ちがある。また「主イエスを信じ、教えを実践するためには、教会はなくてもいいのではないか」という疑念がある。
受洗者の中から多量の脱落者を出してきているのが、日本の教会である。これら脱落者はどこにも出席せず、かといってクリスチャンであることを捨てたわけでない。実はこのような「無・出席主義者」を生み出している率は、恐らく「無教会」よりも「教会派」のほうがずっと多いのではないだろうか。これは教会が、2つの共同体との関係を整理せぬままに来ているからではないかと思われる。無教会主義は、少なくとも無教会流の解決を持っている。しかし、教会側にはそれはない。
日本の教会は、「無教会」から学ぶものを多く持っている。何より無教会が好んで日本の2つの共同体に刃向かおうとはしていない、というところはよく観察し、分析すべきであろう。また集会を責任者が美学的な意味のコントロールをしていない、ということも挙げられるかもしれない(それについては後に論じる)。そもそも教会では、牧師が信徒をいじり過ぎているのかもしれない。
ただ無教会に極端な排他主義的な傾向が見えること、それよりして無教会以外のクリスチャンとの交わりを拒否しているように見えるのは残念に思うところである。
「無寺の僧と無教会の信徒」という言葉を、どこかで見た記憶がある。無寺の僧とは、たぶん寺の経営に狂奔する俗物の僧侶でなく、無一物に甘んじ「悟り」を求めて遊行(ゆぎょう)する清貧の僧、求道者という清潔なイメージなのだろう。無教会の信徒も同様である、清潔に、ただ聖書の真理を求めるのだとそういうことだろう。反対に、教会人にはそのような真理への清潔な探求はない、職業的牧師は俗物であって、ただ教会の経営に狂奔しているのみ。そういう批判的な観察が見える。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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