ロサンゼルスの東本願寺仏教教会
ロサンゼルスで、東本願寺派の日曜礼拝に出たことがある。賛仏歌を歌い、経典の交読があり、信徒を含めての一斉の読経があり、ついで説教僧による説教があった。仏教の教義の一部と道徳的な勧めで、イエスの言葉も巧みに引用されていた。礼拝の終わりには、散会する人々のために祝福の祈りがあった。つまり、キリスト教会の礼拝の形式が、そっくり取り入れられているのであった。
(その日曜は礼拝をさぼって仏教教会に出たので、多少は後ろめたい気持ちもあったが、これは宣教学の研究のためである、と主に申し訳をし、夕方はキリスト教会の礼拝に出た。)
日本では、寺院の行事はふつう僧侶が読経し、信徒はただこれを聞くだけで、信徒に与えられているのは焼香くらいであるが、ロスの本願寺の礼拝プログラムは歌い、唱えなどして信徒の参加があった。礼拝のあとは地下室で交わりがあり、持ちよりのご馳走が広げられ、小生も異郷の地で巻き寿司と稲荷寿司のごちそうにあずかった。一世のおばあちゃんたちと会話して、心温まるものがあった。
これはまさに、キリスト教会の礼拝のそっくりコピーである。そのような礼拝が実行され、しかもかなりうまくいっているらしいのである。これはなぜか。
理由は、米国の日本人一世たちの置かれた社会的な状況であろう。彼らの労働環境は職場の共同体の形成を許さなかった。多くが庭師や、農場の作男などで、その日、その日の仕事が多かったようである。家族については二世は英語の教育を受け、日本語での話し合いは無理で、親たちの価値観を理解できない。三世になると、もう完全に米国人で、日本語はさっぱりで「オジーチャン・オバーチャン・オハヨー」くらいしか言えない。家族の価値観の共有は成立せず、共同体は成立していない。
そのような一世の日本人にとっては、人為的な共同体としての教会が、彼らのニーズを満たしてくれる場である。こうして米国の仏教教会は、キリスト教会の単なる模倣以上のものとなっている。一世の老人たちはここに来ると、家庭では味わえない交わりと一体感を持つのである。
(注:二世や三世の配偶者であろうか、数人の白人が参加していたが、いずれもTシャツ姿であった。スーツにタイという、普通に白人が礼拝に参加する姿でなく、どういう意識だったか。何年かたって、そのことを思い出し、あらためて疑問に思うところである。なお11月の初めであったが、砂漠性気象の不安定で、暑い日で40度近くあった。そのような気候が理由だったのだろうか。なお、これら白人の配偶者はすべて男性だった。)
日蓮宗ハワイ別院
カリフォルニア州の仏教の日曜礼拝と、島嶼(とうしょ)のそれとでは相違があるか、という興味があった。
果たしてハワイでは、ロスの礼拝とはかなり勝手が違っており、サンデー・ワーシップという名ではあるが、要するにお寺でやる法事であった。
礼拝の前に、本日は○○家と○○家の祥月命日である、とのアナウンスがされた。礼拝の出席者は主としてその2軒の家族だけのようで、この2軒の家族とは関係がなくて、ただ礼拝のために出席している人はいないようだった。だから毎日曜に、この礼拝に出ている人はいない、そういう感じであった。その意味で「イエ」の法事などの時に寺に行くという、そういう日本的な慣習が、ここでは名前だけは日曜礼拝(サンデー・ワーシップ)になっている、そういうことらしかった。
「礼拝」の中心は「僧侶団による読経」であって、出席者は日本で寺の法事に出たときのように、席でこれを聞いている。数珠を持ってきている者があったが、老人たちだけだった。法事に出ているのと同じ感じである。椅子席だったことだけが違っていた。
礼拝堂の正面は、寺院の内陣と言ったほうがよい。ロスの東本願寺の場合はあまり寺院らしくなく、教会的なしつらえだったが、ここは正面に限って言えば本堂のそのままだった。
賛仏歌を歌い、短い説教があった。終わってのちの交わりはなく、たぶん2つの家族は、それぞれがどこかに法事の食事に行く、というような感じであった。
会堂の横にコンクリートの小堂があり、遺骨や位牌を安置するようになっていた。正面の壁がコンクリート・ブロックで仕切られており、縦に5段くらい、横に6列くらいの棚というか、コンクリート壁の窪みが30ほどあり、そこに遺骨や位牌が安置してある。いわば祠(ほこら)が30ほど積み上がっているようである。礼拝の前にも、また後にも、人々はそこに来て焼香し、花を供えていた。一見してこの小堂は、家庭の仏壇の役目を果たしているらしいのである。だから、遺族は日本におけるよりは、この寺院に「お参り」に来る回数が多いのだろう、と感じた。
礼拝のあとで説教者の若い僧侶と話したが、一世の老人たちは、子どもたち(二世)が理解してくれないので、仏壇を持てない。子どもたちに話して、仏壇を置かせてもらうようにするのが僧侶の仕事の1つである、と言っていた。
同時に彼は、日本の仏教は仏壇仏教から解放されねばならない、とも強調し、仏壇中心でなくて、キリスト教信者のように、信仰そのものが重視されるようにならねばならない、と言っていた。仏壇は先祖儀礼の象徴であり、仏教においては「家族の共同体のことがら」が先行している。彼はそれだけではいけない、と感じているようだった。
この仏壇仏教からの解放ということは、日本国内の仏教関係者の中でも言われているのか、それともこの青年僧が米国での宗教事情を見て個人的に感じていることなのか、そこまでは聞く時間がなかった。
また、給料が安いので誰もアメリカには来たがらない、とも言っていた。ロスの本願寺の寺院の礼拝と、ハワイの日蓮宗の別院の礼拝とでは、これだけの違いがある。
ハワイでは、最大の人種集団は日本人であり、多くの日本人は日系の商店などで働いており、ロサンゼルスに比べて「日本人社会」が成立しており、ずっと日本寄りである。ハワイ在住のある日本人牧師によると、彼は電話はすべて日本語で済ませられる、とのことであった。また、日常の買い物も用事も英語なしでできる、とのことである。
このようにハワイの日本人の間では、教会という宗教共同体への参加の希求度はロスにおけるよりはずっと低いようで、それが2つのブディスト・チャーチの相違の原因ではないかと考えられる。
米国型教会の移植?
日本では見られない「仏教教会」なるものまで生み出す米国社会の力学を、われわれはここに見た。一方、日本の社会には、このようなベクトルは存在しないか、あったとしても極めて希薄である。
米国におけるキリスト教会の成立に当たっては、このように福音の要求のほかに社会的な要素もあることが明白である。日本のキリスト教は、その辺りの分析をやらずに、ともかく米国で見られるような「教会」を日本にも定着させようとして努力してきたのかもしれない。
実際には、キリスト教会は日本の社会の中で成立するために文化を大いに取り入れ、社会に適応してきた。また、妥協も行ってきた。それについては、後ほど詳しく論じたい。
ここに問題が1つあるのだが、日本の教会は自分たちがそのような適応や妥協をしてきたことをあまり認識しておらず、それについては認識の欠落がある。つまり、知らず知らずのうちにかなりの適応や妥協をしてきたのであるが、自分たちが行っている妥協や適応について、神学的、宗教社会学的な分析をしていない。それが、日本宣教の実情のようである。
このように、日本の教会は自分たちがどのような適応をしているか、またどこで妥協しているのかを把握していないので、それらの適応や妥協によって何を得たのか、また何を失っているのかについて自覚がなく、気が付いていないところがある。
時には、自分たちの教派は西欧の教会の伝統に忠実に従っていると信じ、そのように強力に主張しているものもある。日本社会の中で、キリスト教会を成立させるに当たっては、日本文化への適応や妥協が必要なことは明らかである。それは福音が許容しているばかりか、要求していることでもある。ただ、それがどのように行われているのかを把握しておくことが必要である。または、これを把握しようとする努力が重要であろう。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
*
【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇