共同体の欠如を補う・・・制度的なもの
米国社会における共同体の弱体を補うものとして、制度化され、入会にはバリアのある擬似共同体が存在する。それらはクラブ、結社、そして教会である。
クラブ
これは互いに出資し合って造った施設であって、たいていゴルフ・コースを含んでおり、いわば家庭のパーティーの恒久化されたものである。たいていのクラブが、出資者としては相続した資産を持つ者に限定し(建前としては)、自分一代で財産を築いた者は排除される。そういう人間は、粗野だと思われている。「銀のスプーンをくわえて生まれた」者だけの集まりである。
これは極めて階級的なものであり、1つの町や地域に複数のクラブがある場合はおのずとランクが生じている。欠員が生じたときだけ、新しい会員が補充されるので、トップのクラブには長い待ちリストがある。理事会は誰を入れるかを決めるが、選出の方針には公平ということは原則ではない。階級がすべてである。長く待てば入れるというものではない。
米国の社会は、それを当たり前と考える。社会には階級があり、ある階級に入れる者と、入れない者があって当然であるとする。「丸太小屋から大統領に」という、庶民的な要素は表向きのことで、実のところは非常に階級的な社会である。
日本には、そんなものはない。なるほどカントリー・クラブという名称のものは存在するが、たいていは業者の経営によるのであって、米国のクラブとは似て非なるものである。米国社会のクラブは、ごく自然発生的なものであり、日本に比べれば極めて限定された数の家族が出資し合い、理事を選出して運営する。会員権の個人的な売買はなく、理事会が管理する。
秘密結社(ロッジ)
これについては論じる資格は筆者にはまったくなく、クラブにも増して日本人の理解の及ばぬものである。そもそもは欧州中世において自治権と領土を持ち、傭兵(ようへい)として活躍した騎士修道団などに起源があるものらしい。
その他に、職能集団から起こった結社としては、フリーメーソン(直訳すれば自由石工組合)がある。欧州中世において石造建築の技師たちは、巨大な石造建築のノウハウを持つ国境を越えたエリート集団を形成した。フリーメーソンとは、その組合だった。つまり、財産家たちで形成するクラブでなく、知的、技術的エリートが形成する集団である。
その他に米国革命の伝統を持つものとか、さまざまなものがあるらしい。
結社(ロッジ)への入会希望者は、一定の猶予期間ののちに入門を許される。その結社に関する秘密を守る、また自分がその結社員であることも秘密にすることなどを誓約する。入門儀式があること、秘密保持の誓約、 結社内の階級ということが、これら結社の特徴らしい。
では、それは何なのか、入会したらそこで何をするのか、などは誰も知らないことになっている。要するに個人で加入して、そこで一体感を体験するということらしい。米国では、どこの町でもこのような結社が数十もあるという。これは教会のような組織であるが、宗教や信仰を抜きにしたもの、とでも考えたらいいのだろうか。
日本では、秘密結社は原則的には犯罪集団以外には存在しない。もしあったら、それはフリーメーソンやロータリー・クラブのような外国の結社の日本支部である。逆に日本の宗教団体が外国に伝道して支部を持つときは(オウム真理教など)、このような結社の1つとして見られることもあるらしい。
キリスト教会の側から、結社は教会と競合関係にあると見られることもあるようで、ある米国南部の小さいバプテスト派の教憲・教規の翻訳を依頼されたとき、洗礼の際に信徒は結社から脱退せねばならない、という条項があった。それ以外には、結社に対する敵意の明文化を見たことはない。
教会
米国においては、すべての宗教は教会を形成している。つまり、新興宗教も含めて、宗教と呼ばれるものはすべて教会を形成している。これら教会は、米国社会の「共同体所属願望」を満たす受け皿のうちの最も高級なものと考えられる。
だから、教会に所属するということは、社会的な信用を得る道である。逆に教会はおろか何にも所属していない、誰にもパーティーに招いてもらえない人というのは、欠格者で、社会的な不適合者として敬遠される。または、警戒される可能性がある。
米国ではあらゆる宗教が、その基本的な機能として教会を持つ。教会を形成していないものは宗教ではなく、宗教であれば教会を形成するのである。これは西欧一般の文化的現象である。
日本の仏教は、日本国内ではもちろん教会を形成していないが、その日本仏教でさえ、米国内では仏教教会すなわち「ブディスト・チャーチ」を形成している。これについては、後ほど実例を扱う。
教会は米国社会の文化現象であるので、当然米国社会の階級を反映している。1つの町でどの教会に行くかは、自分の社会的地位と合致しないと不愉快なことになる。米国で社会階級が一番はっきりする(人種差別も含めて)のは、日曜の午前だ、という言葉もある。
内村鑑三は、米国東部の長老派教会の礼拝に出たが、そこで異常な冷たさを感じた。彼がそうとは知らず、ゲート・クラッシングをしていたのではないかと思う。鑑三はその冷たさを教会の腐敗のせいである、とした。彼は教会に神はなく、真の信仰もない。あるのは「社交」のみ、とした。(内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫)
小生も同様な経験をした。留学して最初の日曜に、ある長老派教会の礼拝に出て異常な冷たさを感じた。余分な者が来ているという感じであって、こちらからあいさつをしようとしても、視線をそらされた。
1970(昭和45)年のこと、 1ドルが360円の時代であった。小生の東京での牧師給は3万5千円であった。フル・スカラシップですべて免除、小遣いももらえるという奨学生だったので留学できた。航空運賃を払うと、懐に25ドルしかなく、いかにも乱暴な話である。若いということは、恐ろしいものである(37歳、あまり若くもないかも・・・)。
自分は、東京では長老教会の牧師であると2、3人に言ったが、何か貧しい変なアジア人が見当のはずれたことを言っている、という雰囲気で無視された。いま思えば、無視は皆が親切に信号を送っていてくれたのである。「おまえはもっと下層のレベルの教会に行け」というわけである。
アジアから来た貧しい37歳の長老派の牧師は、誰が見ても見すぼらしかった。当初はそういう自分に気が付かず、鑑三の言っていたことはこれか、なるほど彼も東部の長老教会に出たと書いてあったな、やはり腐敗しているのか・・・などと共感していた。
のちに別の長老派の農村部の教会に出た。そこはビックリで、礼拝後に楽しく話し合いができた。どうしてだろう、と不審であったが、やがて長老派にもランクがあることが分かってきた。少し階級の低い、あまり知的でない派だったのである。道理で小生にピッタリだった!
その頃には「教会と階級」のメカニズムも分かってきた。そうして教会は福音の要求を満たすと同時に社会の要求も満たしており、そこに階級文化が入り込んでいることも分かってきた。そのような文化と福音の「相乗り」も教会の機能の重要な一部であることも分かった。1970年の東部での経験である。
これがカリフォルニア州なら雰囲気はだいぶ違っていたかもしれない。フィラデルフィアでは、教会は40〜60人くらいのもあり、200人も集まっていると大教会のほうで、あまり開放的な雰囲気ではなかったことを覚えている。
日本人は、仕事は群れてするが、仕事を離れると1人になりたい。米国人は、仕事はバラバラでやる。だが、個人に戻ると自由意思と選択によって、「群れる」ことが好きである。だから、主イエスを信じることになれば、信仰者の群れである教会にすぐ加入する。日本では心で信じることと、「教会という新しいお付き合い」に入るということは、ほとんど別のことであるが、米国では二者は同一である。
日本人はイエスを信じれば、心で「孤独に」信じるのが大切なので、教会に出るのは形式である、別のことだと考える。または孤独で信仰を守るほうが、より純粋であると考える。このように日本人の精神文化の思考の内には、自分1人で信仰を守り孤独で過ごす、ということがごく自然のことと考えられている。「面壁九年」という言葉もある。
実は米国流の伝道理論には、この「入信」と「教会加入」とのギャップの解明がない。その必要がないからである。米国の伝道論では、それらが別個の2つの事柄であることに気が付いていない。だから、説教がされ、聖霊のお働きによって回心があれば、人は必ず教会に所属するはずであると考える。フラー流の宣教学が日本で通用しないのは、そのためであろうか。
筆者は30代の後半に学生伝道(お茶の水学生キリスト教会館[現:お茶の水クリスチャン・センター]チャプレン)に従事したことがあった。その時の大きな問題として、入信した学生をどの教会に紹介するか、ということがあって、それは容易なことではなかった。だいたい年に100〜150人の決心者があり、年間40〜50人を教会に紹介し、そのうち20、30人が定着してくれたと思う。
また、1972(昭和47)年から10年余り放送伝道に従事し(世の光番組のフォローアップ)、全国20カ所ほどのフォローアップ・センターの指導に携わった。ここでも「信じる」ことと「教会に加入」することとのギャップが大きく、番組を通して福音を信じた人を、地元の牧師が訪問すると「お付き合いはラジオの上だけにしてほしい」と言われる例などがあった(そのようなバリアを解決するための対策や努力についてはここに省く)。
(財)太平洋放送協会は、幾つかの外国の宣教団体の支援によって成立していた放送伝道団体で、当然外国の支援団体からは入信決心者の数の報告が要求される。その時、何をもって「入信者数」とするのかが問題であった。聴取者に送る書類に、「私はキリストを信じます」というところがある。そこに〇印を付けた人があると「入信」と考える。それは、西欧の伝道支援団体の伝道の概念である。
だが、日本側から見れば、これは伝道をあまりにも安直に考えているように見える。しかし、「入信」と「教会加入」との間にバリアのない文化から見れば、これは必ずしも安直な態度とは言えないのである。
ある意味で、日本宣教学の大きな部分はこのバリアの分析であり、解明であると思う。このバリアがもし日本文化に特有のものなのなら、「日本宣教学」は独自の学問領域として成立し得るように思うのである。このバリアが特に日本で顕著であり、その解明が日本で進み、それが世界の他の場所での宣教にも役立てば、日本宣教学は世界の宣教に対して大きな奉仕ができるように思うのである。
このバリアがあるので、日本では超教派伝道はあまり活発でない。特に外国の伝道団体の働きで日本の実情にそぐわないところがあるのは、このギャップの認識がないからではないかと思う。このギャップの解析は、外国の神学者がやってくれるのを待つわけにはいかない。日本人が自力で分析し、解決せねばならない。
ビリー・グラハム大会なども、いったい日本の伝道にどれほどの効果があったか、はなはだ疑問である。期間中の「決心者数」はその後の礼拝出席者の増加に結びついていない。あの決心者数が本物なら、首都圏の礼拝の人数がグンと増えたはずであるが、そういう印象はない。だいたいそれをフォローして調査するなど、どこもやっていない。実態調査などすると偉いお方にいろいろ失礼に当たることもあるだろう。
お祭りであると言うなら、それもいいだろう。景気付けとして有効に使えば、これはもう非常に意味がある。クリスチャンで後楽園スタジアムがいっぱいになったのは、感動的であった。こんなに信仰の同志がいるのか、と驚きと励ましを受けた信徒も多かっただろう。その意味では、非常に有益だった。ただ事前に回ってきた大会の趣意書には、そんなことは掲げていなかった。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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