これまで見てきたように、日本の精神文化のすべてが「孤独への機会」という性質を持っているのであるが、宗教においてはどうであろうか。
日本の宗教は、概して日本社会に対して3つの役割を果たしている。これはまた日本の宗教の3つの傾向と言ってもよいであろう。それぞれの宗教は、これら3つの傾向または役割のうち1つか2つを持つが、3つ全部を備えている宗教は日本のものとしてはない。その3つの機能とは、1)冠婚葬祭、2)御利益、3)求道であろう。
A. 第一型・冠婚葬祭
これは日本社会における、家族の共同体のニーズに仕えるものであり、通過儀礼を担当する。一般には神道の神社と仏教寺院とが、この役割を果たしている。神社や寺院でこれらの儀式に参加する者は、その宗教の教義がどのような内容を持っているかは問わない。寺社の側も、教義を教えようなどとはしない。
神社は「冠婚」、つまり祝福の役目を果たす。それは、その時生きている者で構成されている家族の共同体に仕える。仏教寺院は「葬祭」つまり死後儀礼、また祖先祭儀を受け持つ。これはすでに死んだ者で構成される共同体、すなわち歴史的な共同体に仕え、これを補強する。
この神・仏の役割分担は、日本的な現象である。徳川時代に、キリスト教と日蓮宗は禁教となった。さらに諸宗教は葬儀をすることが許されず、仏教寺院だけが葬送を執行する権限を与えられ、神道も葬儀を行うことは許されなかった。そのような状況の名残りが、ここにある。
それで神道は生者の祝福を担当し、初詣、七五三、結納、結婚式などを行うことになった。また企業においても、起工式をはじめ、施設、設備、建築などの使用開始の祝福は、すべて神道がこれを行うようになった。東南アジアの仏教は結婚式もやるし、開店の祝福も坊さんが来てやる。
現在の日本で仏教が死後儀礼を専門とするのは、このような鎖国時代の日本の事情によるのであると考えられる。日本の若者の多くがキリスト数式の結婚式を希望するのは、宗教の社会的な機能という点を見ているからである。神道は人工宗教であるので、力が弱い。若者が神式の結婚式ではなくてキリスト教での挙式を希望するのは、神道が宗教としての把握力を十分に持っていないからであろう。
神道は明治になって急ごしらえに形を整えた宗教であり、また昭和20年の敗戦までは、宗教としての性格は非常に制限させられていた。葦津珍彦(あしづ・うずひこ)は、戦後になって初めて神社は宗教として繁栄したと言っている(葦津珍彦著『国家神道とは何だったのか』神社新報社)。そのような事情もあって、神道の結婚式は魅力が薄いのであろう。
それに反して仏教は、はるかに強力であり、葬儀と祖先祭儀についてはほぼ完成された形式を持っている。一般の人が、仏教寺院の葬儀を軽視してキリスト教会に葬儀を依頼するようなことはまず考えられない。
仏壇
仏壇は日本仏教だけのもので、独特のものらしい。仏壇は歴史的な家の共同体の象徴である。「家の共同体」には、その時生きている者と死亡した者も含んだ、歴史的な共同体(イエ)があり、仏壇は、この「歴史的なイエ」の象徴である。日本仏教は、この歴史的なイエの共同体(代々の家)に仕えている。それが、日本仏教の存在理由である。
そもそも宗教という要素が加わらないと、先祖といっても、自分が顔を知っている者以外はピンと来ないものである。こうして仏事はイエという歴史的共同体の存在を再確認する場となるのである。
仏教は「葬式仏教」とも呼ばれ、葬式と祖先祭儀を専ら担当するようになった。仏教の任務は「歴史的なイエ」の共同体の補強である。これなくしては「イエ」の共同体は存続が困難である。「イエ」の共同体の存統のためには、個人の情愛、追憶、また個人の価値観だけでは不十分で、どうしても宗教の助力が必要とされる。
墓詣りはほとんどの人が、仏教信仰とは関係なく、自分の家の墓に来て詣でて、それだけで帰って行く。近頃寺院を回ってみて気付くことは、墓に詣でる前に本尊を拝むようにと墓地の入り口に勧めている所がある。横浜緑区の弘聖寺の例では、
お墓参りの心得
一に本尊、二に地蔵、
三に我が家の墓所を詣りて心安らかなり。山主
と掲示されている。ここには祖先祭儀だけではいけない、という寺院側の危機感があるように感じられる。もちろん本堂にまで来させれば、お布施もさらに期待できるという打算もあることだろうが。
だから盆には僧侶が読経に回り、仏壇の前でお勤めをする。これは礼拝の出前である。自宅に坊主を呼びつけて失礼だ、寺院に出向いて礼拝すべきだ、とは誰も考えない。なぜなら「イエ」こそが中心だからであり、また仏教の存在理由は「イエ」の共同体に対する奉仕だからである。このようにある意味では、寺院よりも仏壇のほうが上位にあることになる。
キリスト教では、自宅のチャペルに牧師を呼んで礼拝を執行させるのは王侯だけである。ところが日本仏教では、庶民も仏壇を持ち、僧に出向いてもらうのが標準なのである。
日本の仏教は、そこに活路を見いだし、葬式と死後儀礼を専門とした。そうして、それ以外の事柄は、自分たちの守備範囲の外であるとした。
神道は生者で構成される家の共同体の祝福に特化し、結婚式、七五三、初詣、棟上げなどを担当し、また職場の祝福などに当たる。これは職場を家族の延長として見ているからで、火入れ、施工式、完工式、事業の開始の祝福などは神道の領分である。一般に仏教はこれを犯さず、祝福は神道の領域であるとして、これに立ち入らない。このように二者は、すみ分けをしている。
先般の火災で焼けた大阪の法善寺横丁が再建され、2004年4月の再出発に当たり法要が営まれた。つまり、読経と勤行で祝福したのである。この横丁は同寺の門前町であり、それを差し置いて神官を呼ぶわけにはいかなかったのだろうか、珍しい例である。戦前には、そのような祝福のための法要はもっとあったようであるが。
そのようなわけで、仏教は死者儀礼の印象が強く、祝福の場にはふさわしくない、とされている。だから新築の家屋の祝福には、読経はない。僧侶が病人を見舞いに行けば「まだ早い」と言って叩き出されるだろうし、病人の前で読経するなどとんでもないだろう。仏前結婚式も、住職の結婚ならいざ知らず、一般向けには提供されていない。
もっとも明治初期には、各宗派で仏前結婚式を計画したこともあるようだが、定着しなかった。これはやはり、何百年も葬祭に徹してきた体質から来ることなのだろう。
(注・笹井大庸は、明治20年に日蓮宗で田中智学が仏前結婚式を制定した、と言っている。〔ハーザー、04年1月号〕。これが普及しなかったのは、以上のような歴史と、そこから生じている仏教の体質の把握、それに対する対策がなかったからだろう。)
檀家制度
都市では、寺院が墓地を持つ。その墓地を使用させてもらえるのは檀家であり、それが寺院を経済的に支えている。都市部以外では、墓地は各家が所有するか、集落が所有することもある。しかし死後儀礼そのものは、寺院に執行してもらう。そのためには檀家となり、寺院は檀家の祖先の霊の安寧について責任を負うこととなる。
徳川時代にこの檀家制度が確立してから、仏教は経済的、社会的に安定した。同時に自分たちの存在が、もっぱら死者のためであり、生者のためではない、また社会のためでない、という認識に徹していったようである。それにつれて、社会に対する奉仕の観念はなくなっていったようである。
仏教寺院の中にも、現実の社会に対して関わりを持たねばならぬ、社会の悪に対しても積極的に発言し、苦しむ者に対して慰めを与え、生きる指針を与えたいなどの使命感を持つ者がいないわけではない。しかし、まずごく少数である。ほとんどの仏教寺院は実社会に対して関心を持たず、奉仕の姿勢を持たない。それは、多くの人の認めるところである。
仏教には、それでも少数の人々による奉仕活動があるが、神道に至ってはそのような少数の動きも存在していない。
この第一型の宗教は、礼拝者共同体を形成しない。逆に「家族の共同体」にひたすら奉仕し、補強することをその任務としている。日本仏教は、伝統的な仏教の教義を捨ててしまい、専ら家族の共同体のためにのみ存在している。
このように第一型の宗教は、信仰者の共同体を作らず、そこに人を集めるということはしない。かえって死後儀礼を主とする仏教の行事は、各家庭の仏壇をその中心としている。
梅原猛は、アイヌの死者儀礼に表れている「あの世」観と、沖縄の土俗宗教の「あの世」観を比較している。アイヌの習俗と沖縄の土俗宗教は、仏教とは無関係である。ところが、これらは日本仏教の持っている「あの世」観と同一であるという(梅原猛『水底の歌』新潮社)。これは思うに、仏教が伝統的な教義を捨てた。また鎌倉仏教以来の「易行による往生」の教えさえも捨てて、日本列島の文化の根底的なものに収斂(しゅうれん)していったということであろうか。
ここで我々は、日本の文化における家族の共同体とその強さを見るのである。強力な家族の共同体と祝福である。これを敵視したり排除すべきではない。これは日本文化に対する、神からの貴い贈り物である。
日本的な家族共同体
日本社会における家族共同体は、単に個人の愛情によって存在するのでない。個人の愛情だけでは、強固な家族共同体を形成するにはエネルギーが不十分である。愛情を下支えする倫理が必要であり、そこから出てくる義務感と責任の観念、特に幼い者の保護と養育に対する責任感の存在は重要である。
日本の社会では、親は自分の子どもの行動に対して責任を有するとされる。仮に子どもが数グラムの大麻を所持し、逮捕されたとすれば、父親はこれを恥じて、人の上に立つ責任ある立場からは退くのが通例であろう。どれくらいの責任を持つものならやめるかといえば、だいたい部下が20~30人くらいの立場なら、辞しているのではないか。
(注・テル・アビブ乱射事件の主犯であった岡本幸三の父は教師であったが、事件後に、自分の教師としての生涯は失敗であったとして自殺した。日本社会には一般に「子どもは親とは別個の人格である。子どもの行動に対して親に責任はない」とするような個人主義的な観念は存在しないのであり、かえって「子は親の鏡」「子どもを見れば親が分かる」というような考え方が主流である。
再度言うが、宣教学はこのような日本的な観念を価値判断しない。これが日本文化の後進性の表れであるとか、いけないとか言って決めつけない。宣教学は、日本社会とはこのような性格を持っている社会であることを認識する。その上で、そういう日本社会に福音を伝えるにはどのような方式が最も適しているかを考究するのである。)
実は、我々が教会を建設していくのは、このようなエートスが強固に存在する日本社会であり、それ以外の所ではない。
このようなエートスは、一見すれば個人の抑圧を生むように見えるが、結果としては人間の尊厳を許す社会を生んでいる。逆に個人の自由を最も大規模に許している社会は、結果として温情の欠如を生み、そこから荒廃した社会が生じ、人格の尊厳を保つのが難しい、ということも起こっている。米国の社会はその一例である。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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