後藤牧人
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日本宣教論(最終回)入信の決心 後藤牧人
まだ駆け出しの伝道者であったとき、個人伝道、特に「入信の決心の導き方」を学んだ(神学校ではそういう授業はなかった)。新鮮で、決心者が与えられることがうれしく、駅の裏の暗がりで、野原で、人をつかまえると決心を迫った。
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日本宣教論(116)教会内の団体 後藤牧人
教会内の団体が、発展の阻害になることは大いにあり得ることである。横断的な教会内団体は、考え直したほうがいいだろう。つまり教会員のうち「該当するものはすべて所属する」形のものは弊害が多い。
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日本宣教論(115)家の教会 後藤牧人
社会では大きい役目を持っている人であるのに、教会では何もしてない、させてもらえていない例が非常に多い。せっかくの賜物が活きていないのである。それは「教会とはこういうものだ」という既成の概念が先に来ているからでないか。
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日本宣教論(114)説教について 後藤牧人
説教は聖書の御言葉を今日の状況に適応させるものである。聖書の本文を選んでおきながらそれは放置して、別の話をするのは説教とは言えない。その礼拝のために選んだ章節が、礼拝の参加者に何を語り掛けているか、それが明白に出ていなければならない。
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日本宣教論(113)教会の役職について 後藤牧人
米国の教会では、正式名称としては原則的には聖書にある「長老(エルダー)」と「執事(ディーコン)」のみを使用している。ところが日本の教会では、「役員」という名称を使用して、その教会には長老も執事もいないというところが多い。
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日本宣教論(112)民衆の賛美 後藤牧人
現在の礼拝音楽は、西洋のクラシック音楽が標準とされている。賛美歌を中心とする礼拝音楽は、日本人を引き付ける役目を持っている。しかし、これは逆に日本人を追い払い、敷居を高くしている面もあることを忘れてはならない。
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日本宣教論(111)他宗教に対する敬意 後藤牧人
西欧の社会を見るとき、従来の西欧的キリスト教倫理の欠陥をイヤでも見ざるを得ない。逆に日本の社会の安定と清潔さ、また青年層の健全さを見るとき、日本社会の倫理の高さを認識するのである。
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日本宣教論(110)キリスト教の真理性の主張 後藤牧人
従前のキリスト教会の態度では、自分たちの宗教の優越性を意識し、これを主張するのが通常であったが、これは大いに訂正されねばならない。確かに福音は絶対である。しかし、福音と合している文化が問題である。
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日本宣教論(109)教会員制度、教籍の問題 後藤牧人
教会員制度と教会籍とは、神学校の牧会学では教会の基本的な部分であり、教会の運営の基本であるかのごとく教えられている。しかし立ち止まって考えてみると、会員制度なるものは聖書には存在していない。
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日本宣教論(108)教会という名称 後藤牧人
日本のキリスト教会は、「教会」という極めて不幸な名称を持っている。そもそも「キリストの身体」であり「主の家」であるはずのものが「教える会」に成り下がっているのである。「先生」と同じくらいに、これはいけない。
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日本宣教論(107)先生という呼称 後藤牧人
これからの日本の教会の方向について、筆者なりの考えを述べたい。自分にそのような資格があるかを考えると、筆致が鈍るものである。厚顔無知を恐れず、いま感じているところを述べたい。
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日本宣教論(106)キリスト教会は閉鎖集団だろうか 後藤牧人
主イエスのメッセージは、福音書に内容が記録されているものに限って言えば、野外で行われ、通りがかりの者や野次馬のたかっている所でお話しになった。人々が神の愛に打たれ、神の愛を知ったのは屋外であり、閉鎖的な場ではなかった。
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日本宣教論(105)牧師と祖師 後藤牧人
第三に観察したいものは、それら2つのものの一番根底にあるもので、それは「祖師を中心とする僧集団」である。実はこの師父を中心に置く「出家僧の集団」は、日本におけるあらゆる学習集団のいわば真の祖型であると思われる。
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日本宣教論(104)芸能者の集団 後藤牧人
このような一般社会人向けの「稽古ごとの集団」の基底をなす層として、職業としての「閉鎖的学習集団」を考えたい。その中でも特に「芸能者の養成のための学習集団」を考える。
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日本宣教論(103)武芸 後藤牧人
そのような習い事の中でも、特に精神性の強い(または精神性といったことを前面に押し立てている)ものとして、過去には武芸があった。武芸の中心は、技術である。段位制が取られており、習得のための教室は道場と呼ばれる。精神性が強調されているのである。
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日本宣教論(102)「学習のための集団」型 後藤牧人
日本のキリスト教会は、「礼拝者の共同体」を形成するとき、この「学習のための集団」のパターンに従って自己を形成しているように思われる。実は、これらの集団には、日本の教会との間の共通性をかなり発見できるように思う。
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日本宣教論(101)フラー流の手法 後藤牧人
インディアンは、無文字社会である。研究者は伝説や通過儀礼、生活習慣などを観察して分析するのである。ルース・ベネディクトは無文字社会のこの研究の手法を使って、戦時中に日本兵捕虜を通訳を使って尋問して、その結果をまとめた。
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日本宣教論(100)日本評価の基準 後藤牧人
日本には、日の丸・君が代に対するアレルギーがあり、クリスチャンの中には、これらに対する敬意の表明は偶像崇拝である、とする者もある。確かに前大戦にあっては、この2つの象徴のもと多くの血が流されたことは事実である。
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日本宣教論(99)擬似政教分離 後藤牧人
戸村政博は明治憲法の政教分離を指して、「擬似政教分離」だと言っている。この用語は村上重良が言い始めたのだろうか、村上の『国家神道』(岩波新書)にも、この語を使っている。
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日本宣教論(98)政教分離 後藤牧人
さて「政教分離」は、マスコミの誤訳らしいと言った。たぶんマスコミがその場限りのつもりで、一時的に使用した訳語を日本社会の全体が丸呑みし、キリスト教会も同様で、ただちにそれが確定してしまった、ということなのだろうか。
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