祖師を中心とする僧集団
これまでに、2種類の学習集団を見た。一つは一般社会人を対象とする「稽古ごとの集団」であり、もう一つはその基底をなすと思われる芸能人の職業集団である。伝統的な工芸の習得のための親方と弟子の「師弟関係」も、不完全ながらこれに入るであろうことも見た。
第三に観察したいものは、それら2つのものの一番根底にあるもので、それは「祖師を中心とする僧集団」である。実はこの師父を中心に置く「出家僧の集団」は、日本におけるあらゆる学習集団のいわば真の祖型であると思われる。
仏教の宗派の中核には、高僧よりなる中核的集団がある。これは通常は職場の共同体であり、その宗派の経営を執行し事務方を率いている。その高僧集団が、「職場の共同体」を超えるときがある。一つは、宗派の創立のときである。創立者を中心とした集団が形成され、熱のこもったその一団が、祖師を中心として前進する。法然、日蓮などが新しい宗派を形成したときも、このようなエネルギーにあふれた高僧たちの集団があった。
もう一つの場合は、既存の宗派の歴史の中で宗教的創造性に富んだ人物が現れ、新しい運動を提唱し、もう一つの歴史が始まる(いわゆる中興の祖)場合である。その指導者の周囲に高僧の一団が形成され、宗団は新たな発展を遂げる。親鸞、蓮如、また時宗の創始者である一遍上人と、その周囲の直弟子たちの場合がそうである。
こうして「中興の祖」と高弟よりなる、「師弟関係の共同体」が形成される。鎌倉時代以前には武家、公家、寺社の三者よりなる、いわゆる権門体制が日本の社会を動かしており、仏教はその重要な一つであった。この時代に権門体制が崩れ、民衆の宗教としての日本仏教の発生を見た。
これらの発生、形成、伝道に当たり創造的なエネルギーを発揮したのが「祖師」たちである。彼らは輪廻を基本とする無神論的な伝統的な仏教から脱却して、新しい形の仏教を編み出した。
それまでの顕・密仏教は戦国大名の勃興により寺領を失っていった。鎌倉新仏教が興隆したが、政権と密着している顕・密寺院からの圧迫が強かった。必然的に新仏教は政権に対して敵対的なスタンスを取った。
法然も日蓮も、伝統的な仏教を捨てて新しい教義を案出した。法然は弥陀仏を念じ(念仏)、名号を唱える(称名)ことで、難行苦行をせずに救われるとした。日蓮もまた、法華経の題名を讃美するだけの「易行」で救われるとした。両者とも女でも信じれば救われるとした。
伝統的な仏教では女は救われず、まず功徳を積んで男に生まれ変わらねば済度されなかったことは、先に述べた通りである。善男善女(ぜんなんぜんにょ)とは、良家といわれる階級の出身者のことから、信心をよくするものという意味に変化してしまい、農民も商人も一般庶民も、そのままで救われることになったが、そのことも既に述べた。輪廻を捨て、ついでカースト的なイデオロギーを捨てる。これは仏教に名を借りたヒューマニズムの観を呈した。そのような思想的な冒険を祖師たちは行った。
これら祖師たちと高弟たちとで形成される集団には、師を崇拝しその内面に肉薄しようとする弟子たちの求心的な力が集中している。「さとり」を得て新機軸を打ち出した祖師の識見を自分も得たいと願い、師匠の内面にまで迫ろうとする。そのように「祖師と高僧の集団」とは、このような高次な精神的エネルギーを持った師弟集団である。
祖師は、鎌倉新仏教の創始者を指す言葉として使われる。これは数々の宗教的天才たちが、自分の置かれた時代の中で人間性そのものを凝視し、その洞察をもって仏教信仰を見直し、より人間性に則した姿に形成し直したのである。
このような僧集団では、祖師の周りの高弟の態度は、「師匠」の思想やその構造を学ぶばかりでない。師がそのような独創的な「悟り」に到達したその境地を自分も得ようと精進する。かく精進には、師のライフスタイルを模倣することも入っており、祖師を模範とする人格の修練がある。
祖師のあとの、次の世代の指導者になったときに、その後継者が新機軸を出せないことは多い。そのとき貫主と高弟たちより成るこの集団は、直ちに経営戦略のための本部、つまり職場の共同体に逆戻りする。すなわち凡庸な後継者の時代となれば、この師弟集団は求心的エネルギーを失い、宗団経営のための「職場」になる。
日本人の宗教生活にもし共同体があるとすれば、このような宗派の中核をなす集団のことであり、教主、貫主などと高弟たちで作られる幹部集団であろう。それ以外には、宗教的共同体は見いだせないように思うのである。この師弟集団は、極めて奥の院的、緊密、閉鎖的である。
ただ繰り返すとこの集団は、いつでも直ちに職場の共同体に戻ってしまう脆弱(ぜいじゃく)性を持っている。普通は中心となる祖師の死によって終わり、瓦解する。なお、祖師の特徴は死後の神格化であり、その宗派では祖師像(偶像、画像)を礼拝する。このような崇敬を集められる人物の出現は、1世紀に1人か2人のことで、またその宗派にとってみれば、何百年に1人という出来事である。
神社神道には、「祖師」は存在しない。そのような思想的巨人は、神社神道の発足時にも、また神社神道の最大の危機であった神道指令下においても現れなかった。これは神社神道が人工宗教であって政府の都合によって急造され、その後は惰性で存在しているように見えることと無関係ではないだろう。首相の靖国神社参拝が、外交問題となるようなときにおいても、神社側からの発言は皆無である。思想的な無内容性が露わになっている。
さて、この祖師を中心とする集団は出家集団である。これは宗教人たちの集団のことで、一般人の信仰体験とはまずまったく無縁である。もともと日本民衆の宗教に対する態度は極めて寛容であり、さまざまな宗教が混在し、伝統的に人々は多種の祭儀を行いながら暮らしてきている。
日本の民衆は、一般に宗教に対する忠誠心は持っていない。また日本の宗教は、それを要求していない。これは数世紀にわたり、宗教が政治的イデオロギーを持たぬように操作されてきたことと無縁ではないと思われる。
一般に都市部では、墓地は寺院が占有しており、その墓地を使用したければ葬儀と死後儀礼は、その寺で行うのは当然のことである。その場合は、寺院に対する忠誠心があるように見えるが、もちろんそれは宗数的な信念によるものでない。便宜上のことであるのは明白である。
そのような日本社会の中で、あえて宗教的な排他性を主張し、宗派に対する忠誠を要求するものは、この祖師と高弟の集団だけであろう。在家の信者には、宗派への忠誠は要求されない。
僧の集団、つまり宗派の職場共同体では忠誠が要求されるが、これは会社に対する忠誠と同じで、職場の共同体に対する忠誠である。信仰の確信から出るものではない。そうすると、日本社会では忠誠を要求する宗教集団というものは祖師中心の師弟集団のことか、または、それに近いものであると受け取られる可能性が強い。
オウム真理教の場合は出家主義を採り、祖師を中心とする師弟集団を真似しようとしたのは記憶に新しい。つまり、オウムは信仰者の共同体を作ろうとしたが、日本では、それは「祖師を中心とする出家集団」の形態しかなかった、ということかもしれない。日本社会の中で「信仰者の共同体」を形成しようとすれば、それは家族の共同体と並列して存在するのでなくて、「出家」すなわち家族の共同体の否定しかない。そういうことのようである。
だから自分の子どもが洗礼を受けたいと言うと、修道院にでも入るのかと、うろたえる親がいる。これは日本の宗教文化においては、緻密な構成の信仰者の集団というのは出家集団のことであり、だからそのキリスト教版である修道院のようなものかと受け取られる可能性がある。
そういうものではないことを示すために、無教会では「集会」と呼び、創価学会では「座談会」などと呼び、そのようにして地域的な在家信徒の集まりであることを示している。自分たちは決して祖師を中心とする出家集団ではない、と表明しているのだといえよう。
牧師と祖師
もしかして、日本のキリスト教会は、このような「祖師と高僧たち」のような出家集団と、その中における師弟関係を自分たちの理想として描いているのではないか。また、さらにこのような「祖師と高弟の関係」の理想は、キリスト教会においてこそ実現する、などとどこかで考えているのではないだろうか。
このような祖師と呼ばれるような傑出した存在は、1つの時代に1人か2人が出るだけである。ところが福音の力は、すべての牧師に祖師に比べられるような器量、品格を与える・・・、のように考えているのではないか。また牧師は、どこかで自分がこの祖師のような存在になるべきだ、と理想にしているのではないか。そうして内村とその高弟たち、中田重治と弟子たち、バックストンと高弟たちなどが、そのような畏怖の目で見られる傾向があるのではないか。
そもそも「師匠」とは、弟子の全人格的な修練を担当するのであるから相手のプライバシーにも立ち入って当然、という認識がある。日本では、牧師たちはもしかしてそのような師弟関係を理想とし、自分が「信仰の師匠」となることを理想としているのではないだろうか。
神学校においても、そのような牧師像を学生にあるいは刷り込んでいるのではないだろうか。そういうことは現実の自分には到底無理である、そこまでは到底できない、と多くの牧師は思うが、しかし、本当はこれこそがあるべき姿だ、と心のどこかで思っているのではないか。
師匠というものは、芸においては弟子自身よりも、その弟子をよく把握しているはずである。だから、真に何が彼のために良いのかを、本人自身よりも知っているはずだと、そういう認識がある。
牧師は、自分の牧会者としての姿勢は「師匠」であるべきだ、と思っており、だから結婚の世話もちゃんとすべきである、と思っており、それができないときは、まだまだ牧師としての修業が足らないからだ、と思ってはいまいか。
そこで、もし役員のほうが皆の信頼が厚くて、そちらの方に結婚の話が行っていれば、もともとは牧師の専決事項であるはずだから、これは自分が足りないからだ、と思う。また、それはそれでいいから、進み具合を全部報告してもらうべきだ、と考えたりする。
同様に他教会の牧師が、自分の信徒の結婚を世話したりすれば、それは自分の領域を冒しているのであるから、しかるべくあいさつがあるべきだ、と思う。それがないまま話が進められれば失礼だ、などと考える。
これらは、「師匠」というものが「弟子」の内面を見抜いており、それはプライバシーの余地を残さぬほどである、というような思考から来ている。また「師匠」は「弟子」の将来についても洞察や責任を持っており、それは弟子本人の自己理解よりも確かなものである。このようにすべてを見抜いているのが「牧会者」のあるべき姿だ、などと思っているのでないか。
つまり日本の牧師は、数百年に1人しか出ないような宗教的天才の姿をイメージして「精進」しているのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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