キリスト教会は閉鎖集団だろうか
主イエスのメッセージは、福音書に内容が記録されているものに限って言えば、野外で行われ、通りがかりの者や野次馬のたかっている所でお話しになった。人々が神の愛に打たれ、神の愛を知ったのは屋外であり、閉鎖的な場ではなかった。また修道院主義から信仰者を解放したのはプロテスタント宗教革命である。つまり閉鎖集団ではなく、奥の院でもなかった。
この点で、日本のキリスト教会は、かなり不正確なシグナルを発していることになる。不正確どころか、どうやら逆の信号を出しているのかもしれない。主イエスの模範とは逆の方向を取ってしまい、閉鎖的集団を形成してしまっているのではないか。
学習集団と教会の類似
日本のキリスト教会は、この習い事の共同体の要素を色濃く持っている。それらとの共通性を挙げると・・・
a)日本的な師弟関係が前提とされており、集団の中心の牧師が家父長的な性格を持つべきであると考えられていること。もちろん、日本社会の宗教的な期待の方向がそのようである、ということもある。
b)目に見えない「型」が支配し、それが信徒の自由な活動を阻害している。習い事の集団にも似た「しきたり」があり、それに反しないようにという顧慮が自由を阻害する。教会とはこういうものだ、礼拝はこういうふうに行う・・・というような固定観念の支配がある。
信徒の側でも、社会一般も型があって当然と思い、型やしきたりがあると安心する。牧師の側では、何か型を提供せねばならないと思っている、そういう面はあるだろう。入信したばかりの人々の間から、もっと日本文化に適合し、日本人の肌にあう礼拝形式の示唆が出ることはないし、またあっても無視されるのがオチであろう。
c)習い事に通う人は余裕のある人、また教養のある階級である。教会も、そういう余裕のある人のものと見られている。
自己管理の得意な人のためで、破産型の人間とは縁が遠いと思われている。まず級が上がり、段を取り、さらに、と高い山のように修行の壁がそびえ立っている。それらをこなして行ける、労苦をものともしない人のためと思われている。
d)「型」の中に入って行けるタイプの人が行く。反逆者タイプの人には合わない。与えられた枠の中で、忠実に努力することが好きで、与えられたパラダイムを疑わない人向きである。
e)習い事の半共同体には、弟子の囲い込みがある。他の流派に移ることはまず考えられない。それはウラ切りのように見られる。教会も、そのような特殊な倫理によって支えられている。
f)牧師も流派根性から来る囲い込み精神と、自派の教理に対する忠誠とをもって信徒を束縛している。転居などの理由なしに教会を替われば裏切りのように見られ、信用されない。誠実さのない、人間として価値のない存在のように見られる。そのため、いったん入会したらもう出られないのでは、という恐怖感のようなものを人に与えている。
受洗者の多くが脱落し、どこの礼拝にも出ないでいる人を多く出しているのが日本の教会である。洗礼時に、教会は移籍してもいい、変わるのは自由である、その時の自分に合致した教会を見つけて行きなさいときちんと教えていれば、卒業信者や脱落者はちょっとは減るのではないか。
g)周囲の社会が、教会を勉強の集団のように見ているので、この観念は抜きがたいものがある。教会はある異質な文化(クラシック音楽も含めて)を持っており、それを習う集団であるという印象を与え、それが閉鎖的な性格を形成している。
h)新約のエクレシアを「教会」、すなわち「教える会」と訳してしまったところにも「学習集団」との親近性が見える。キリスト教会とは何かを「習う集団」で、その中心には「先生」がいるという構造は、抜きがたいものがある。このことについては次章でさらに論じる。
宗教は、ややもすると貴族的に変化していく。これはやむを得ない傾向であるが、日本のキリスト教は、そもそもが、まずこのような中流的な体質から始まっているように見える。
日本の教会は、その出発の時から貴族的な要素を持っていたといえよう。筆者が戦時中に小学校時代を過ごした町は山口県で、毛利藩の分家である長府藩の城下町であった。この藩は下関の港を基地に抜け荷(密貿易)を行い、巨額の富を蓄積し、それが明治維新のための戦費となった。誇り高き町であった。
父親が牧会していた教会の女長老は、もと家老の娘であられ、お花も、琴も、お茶も、書もすべて教えられる人格者であった。教会は「さむらい」の行く所だと町の人に言われていた。つまり教会は人口の1割に満たない旧士族のものであり、庶民の出入りする所ではないと思われていた。これがすべてではないかもしれないが、これがある意味で旧日基の雰囲気、体質であった。
たぶんこれは極端な例であろう。しかし、そのような雰囲気をいまだに引きずっている教会は多いのではないだろうか。また戦後にスタートした福音派教会にも、そのようなものを目指している雰囲気があるのではないか。
例外は、ホーリネス教会であろう。この教派は戦前には粗野、独断というイメージを周囲に与えてきた。しかしいまや2世、3世のクリスチャンの時代となり、大学教授、弁護士、医師などを多く出し、変質していく途上のように見える。
主イエスは遊女、罪人、取税人を周りに引き寄せられた。取税人とは、人頭税の徴収者で、これは他の税とは違いローマ政府にすべて上納され、貧富の差なく徴収されたことから、民衆の抵抗感が強く、ローマ政府は暴力団に徴収を請け負わせた。だから取税人といえば、蛇やサソリのごとく嫌われた。人頭税によってローマ帝国は倒れたといわれている。イエス の周りに集まったのは、このような人々であった。
このように見てくると、日本の牧師は、日本の宗教文化が要求している「宗教家の理想」を自分の目標としており、それは聖書が示している牧羊者像とは必ずしも合致していないのではないか。
恩師と弟子の懐古集団
日本社会にはもう一つ、極めて弱い共同体のようなものがある。それは、恩師を囲む懐古的な集団である。
日本語には、恩師という言葉がある。これは自分の生涯を振り返って、自分の価値観の確立に影響を与えた人物のことである。人によっては大学時代の教師であり、高校、中学時代の教師、また多くの人が小学校時代の教師を、そのような存在として意識している。恩師と呼べるような存在を持っていない人もあるが、そのように呼べる人を持てる人は幸いであって、それこそ人間としてのあるべき姿だ、というような認識が一般にある。
このような恩師を中心として、教え子たちが集まる。ただこれは懐古的なものにすぎず、数年に一度集まる程度のものであって、たぶん共同体と呼ぶには程遠いものであろう。その成員の間には、ゆるやかな連絡があるにすぎないといえる。
時として牧師と教会は、自分の若いときに自分を大切にしてくれた存在、しかし今の現実の生活には関わりのないものとして、いわば懐古的に見られることがある。誰もそのような評価を受けようとして、伝道をしてはいないのである。どこに問題があるのだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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