擬似政教分離
戸村政博は明治憲法の政教分離を指して、「擬似政教分離」だと言っている。この用語は村上重良が言い始めたのだろうか、村上の『国家神道』(岩波新書)にも、この語を使っている。この言葉には、明治憲法の「政教分離」は不徹底であり、欺瞞(ぎまん)的である、との批判が込められている。
しかし、これは世界で米国以外のあらゆる成文憲法が国教制を取っていた時代に作られたのである。またアジア、アフリカでは、日本以外に憲法を持った国など存在しなかった時代のことなのである。ヨーロッパでは「キリスト教的政教一致」が建前であり、そのことについて何らの疑問もさし挟まれていなかった時代のことなのである。
岩倉使節団をはじめとして、当時訪欧した日本の政治家たちは、欧州の社会が宗教的であることに等しく驚きを覚えたことを記録している。
日本は、長く宗教的イデオロギーが政治を左右してこなかった。そのような背景を持つ日本人が、ヨーロッパの社会を見たときに、教会が政治に関わっており、大きな影響力を行使していることを見た。そうして、それが「先進国」の一つの資格であるに違いないと考えたのである。日本の政治家たちはただちに日本の伝統に従って、一つ宗教を持ち込もうとし、天皇家の祭儀の一部をもってあてようとしたのであった。
そのような中で成立した明治憲法であることを考え、当時の歴史的な状況を合わせて見ると、むしろ驚異的な内容である、と言わねばならない。
戸村や村上の評価は、戦後に標準とされた「政教分離」の立場で明治憲法を見ているのである。これでは、過去を公平に論じることにならない。かなり不用意な観察である。なるほど昭和10年以後の軍部の横暴は大変なもので、明治憲法では、これを抑えられなかったのは事実である。しかし第二次大戦の終わった時点では、明治憲法は米憲法と並んで、最も進歩 した憲法だったのである。明治憲法の政教分離については、これはフェアに評価せねばならない。
ジェファーソンが1780年代に起草した米憲法は、「徹底した政教分離」の立場を取っていると日本人は考えているのかもしれないが、そんなことはない。米国憲法が述べているのは、政治が教会の下にはないということだけであり、政治と宗教の無縁(つまり政教分離)などは、規定されていないのである。
だいたい現在のアメリカ政治の実際でも、宗教と政治の「分離」などしていないし、それは米憲法の精神ではない。アイゼンハワー大統領は「神のもとにあるアメリカ」という語を演説で多用し、神に守られている、神に導かれている米国という意味で使った。さすがに、これは憲法に違反しているのでないか、ということで現在の大統領の演説には用いられなくなっている。
なお、公立学校では毎朝生徒に教室の正面の星条旗に対して忠誠の誓いをさせるのであるが、その誓いの言葉の中には「神の下にある」我が国アメリカに対して私は忠誠を誓います・・・という文言がある。これが挿入されるようになったのは1950年からであり、これは今日に至るまで続いている。
これは違憲ではないか、という訴訟が度々あったが、すべて却下されて来ている。この「神」は大文字のゴッドであり、多神教的な、また汎神論的な理念は排除されている。
このことに関する限り、擬似政教分離という戸村や村上の明治憲法批判は、かなり不正確であると言わねばならない。歴史は、真空の中では形成されないのである。繰り返すようであるが、伊藤博文が国教制度を取らなかったことを、もっと積極的に評価すべきであろう。
むしろなぜ日本の軍部が、神道イデオロギーなるものを強圧的に使おうとした、その理由を探すことの方が重要であるように思うのである。村上重良『国家神道』(岩波新書)は、国家神道に関する標準的な書籍であると言っていいだろう。この書は重点が宗教学的な叙述で、その点が優れている。その代わり社会学的な面が簡略になっているかもしれない。
明治政府の神道に対する態度、特に明治33年までは、内務省の社寺局で扱っていたこと、また天皇機関説の及ぼした影響など、著者がどう考えているかを知りたかったが、本書には触れられてはいない。文部省の「国体の本義」中の「神とは言っても西洋的な超越神を言っているのでなく、もっと日常的なことをさしている・・・」のくだりも、どう理解しているのか知りたかったが、それにも言及がない。
戦後生まれの人が本書を読むと、まるで古代の神道的な信仰から直結して神社神道が明治に成立し、直ちに軍部による圧政が始まり、そのまま圧政が70余年も続き、やがて敗戦に至ったというような印象を受けるのではないか。
事実、そのような調子で不用意に書かれたものがあまりに日本のキリスト教界に多いのであるが、村上のこの著書は、そういう無責任な論調を修正する力がない。その点は葦津珍彦(あしづ・うずひこ)の『国家神道とは何だったのか』のほうが、はるかに良心的で資料が豊富である。村上の『国家神道』は非常に貴重な資料であるが、そのことを留意しておく必要があろう。
日基教団宣教研究所の『今日の神社問題』は、伊勢神宮国営化法案の提出の動きがあった昭和34年に緊急に出された(日基教団出版部)論集である。神道の歴史が簡単にまとめてあり、またキリスト教国、他宗教国家などの国教政策の論述があり、調べるのに非常に便利である。そうして過去の過ちを繰り返してはならない、それを食い止めるのはキリスト者の責任である、というような気迫が満ちている。
ただ、そのような日本の体質に対する反発、抵抗、反動が特徴であって、それを越えていない。そういう日本にどうやって福音をかざして切り込むかという、そのための方策の論述はない。もちろん基礎資料を収めただけのつもりかもしれない。それにしても日本の福音宣教がどういうふうに進んでいってほしいのか方向性は見えない。
神道国教化を防ぐことが宣教の方策の第一である、という意識なのだろう。だから神からの召命として、この法案に反対し、その闘争を展開しようとする、という意識は強烈である。その闘争をもって、福音の立証と考えているのだろうか。
プロテスタント一般に見られる傾向であるが、福音宣教というクワを下ろす前に日本的体質という雑草を抜かねばならないと考える。だから、日本的体質に対して抗議し、政治的な発言をする、社会を教育する、そういうことが宣教の本質の一部にある、という認識がここにもあるのだろう。ただそれをやっていれば、雑草を抜こうとする(社会教育をやる)だけで終わり、クワを下ろす機会もタネを蒔く時期もついに来ないのでないか。風を警戒し、雲を観測し、種子を蒔くときを失うのである(伝道の書11章)。
それが日本宣教の現状かもしれない。実は福音のタネは強力なので、雑草は抜かなくてよいので、そのままクワを下ろし、雑草(日本文化)の生えている隣にタネを蒔くのである。福音のタネはもともと雑草と共存すべきである。実は雑草を抜いてはならない。それは福音と共存するのであり、やがて美しい花を咲かせる・・・。そのことを論ずるのが、この論文の目的でもある。
だいたい聖書には迫害が起こらぬように努力し、闘争せよなどとはどこにも教えていない。ときを得るも得ざるも、福音を伝えよ(タネを蒔け)と命じているのみである。また宣教の前段階として、まず迷信的な文化を一掃せよ、などという命令もない。直ちに福音を伝える(タネ蒔き)ように教えられているのみである。
確かに日本が、過去のような圧政的な政府を持つことがないように監視し、努力することは重要で、それを軽んじてはならないであろう。ただ、それは「キリスト者の市民としての任務」であって、福音宣教とは違うし、また信徒の立証とも違う。まして、教会の第一義的な任務でもない。教会の主要な任務は福音そのものの宣教である。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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