西欧化の先駆者型
多くの日本のキリスト教会は、この第2の型を持っており、無教会派にもこの傾向はかなりあるといえる。これは日本社会の在り方を批判し、どちらかといえば西欧的な人間像の理想を模範と考える傾向である。その主張によると、日本の社会は封建的であり、個人の人格と自由を束縛し、抑圧している。だから教会の証しとして、日本社会が進歩し、より民主主義的になるように努力し、戦うべきであるとする。そのため戦争責任の問題、政教分離の2つにおいて、社会に訴え闘争するのである。
戦争責任の問題は、過去の太平洋戦争の責任を問うものであって、神道イデオロギーによって、愚かで悲惨な戦争をしたのであるとする。だから政教分離の原則を厳重に守ることが日本にとって重要であり、クリスチャンの義務として政府と日本社会に対して、過去の歴史の有罪性の認識を十分に持ち、またアジアに対して十分な謝罪をし、その態度を持ち続けるように要求するものである。
言うまでもなく、東京裁判の線をそっくり受け取っているのを特徴として挙げることができる。その意味で、キリスト教の自己検証はまったく不在である。しばしば発言の中には、日本的な体質に対するいら立ちや、嫌悪感のようなものも見受けられるのが特徴でもある。
政教分離
政教分離とは、新憲法に記載されている(と思われている)、政治と宗教の分離を厳密に行おうとするものである。そこには、神道イデオロギーが過去の侵略戦争を引き起こし、また大東亜共栄圏という搾取機構をアジアに作ろうとしたのであって、二度とそのような道を歩まぬようにする、という願いが込められている。
それらの旧勢力の再生を警戒し、そのために靖国神社に反対し、また天皇家の冠婚葬祭や、伝統的な諸行事とそのしきたりなどを神道流に行うのを警戒し、これに対して国費が支給されるのに反対するものである。
この「政教分離」には、かなりの問題点がある。果たして神道イデオロギーが戦争を引き起こしたのかどうかはともかくとして、神道が御用宗教としてまったく無抵抗に軍部に利用されたことは事実である。それが戦後に思想的に清算されずに存在を続けており、しばらくは連合軍総司令部による神道指令という懲罰的な政策の対象となったのも、やむを得なかったかもしれない。
この神道指令なるものは、神道イデオロギーこそが過去の大戦を引き起こした元凶である、との前提に基づいてマッカーサー司令部から出された神道圧迫政策である。そもそも占領者が一つの宗教を圧迫するのは、信教の自由の原則に反している。ジュネーヴ陸戦条約にも反していることはさきに述べた。しかるに、これが占領政策の一つとして行われたので、その理由として「神道イデオロギー」こそが太平洋戦争の元凶であるとの認識が挙げられる。この指令はすぐ後に、サンフランシスコ平和条約によって効力を失った。
ところが、キリスト教会の大部分の神道認識も同様であって、「神道指令」に戻ることを日本のあるべき姿としているように見える。
(注・もともと「政教分離」はザ・セパレーション・オヴ・チャーチ・アンド・ステートの訳語のつもりなのであろう。しかし、どうもマスコミの造語のようである。1966年版の平凡社の世界百科事典には、この「政教分離」は独立した項目としては出ていない。66年版が編集された時点では、まだこの語は市民権を得ていなかったらしいのである。1988年版になると、この語は独立した項目として載っている。)
「政教分離」の原語の The Separation of Church and State は、「教会(社会内部の団体としての)と政府の分離」である。もともと米国に発した思想で、「宗教団体」である教会と国家の分離をいう。
ヨーロッパの中世は、キリスト教会が政治を支配してきた。その弊害を避けようとして、米国では、教会は政治を左右してはならないという原則を立てた。それが「教会と政府の分離」の原則である。だから「分離」とは言っているが、むしろ「教会は政治の上にあってはならず、並立であれ」という原則である。
つまり政治の舞台の上で、ヨーロッパでは教会が主役で政府はその下だったが、米国では同等になれ、ということである。大統領の宣誓のときに聖書を使用するように、宗教は儀式的には現在も主役を演じるのである。重要なことは、米国流のセパレーションは決して「政治と宗教の無縁性」の原理ではないということである。繰り返すが、これは「地上の組織体としての『教会』と政治の分離」を定めたものであり、その目的はキリスト教会が政治を左右しないように線を引いたのである。そうして政治を左右していない限り、儀式的には教会が舞台上で主役を演じてもいいのである。
だから決して「政治における無神論の優先」を定めたものではないはずである。ところが誤訳であろうが「政教分離」という言葉が独り歩きするようになっている。そうして一般に「政治は宗教と無縁でなければならない」と理解されることになってしまい、政治における無神論的な政策の優先を主張するものになってしまっているのである。
さきにも縷々(るる)述べたように、日本では信長の比叡山焼き討ち以来、政治は無神論的、無宗教的な原則で行われてきた。また政治は宗教を為政の道具として、取捨選択し、自由に操り、扱ってきた。そのような素地のもとで「政教分離」という誤訳は、ごく自然に受け入れられたと思われる。
繰り返すが「チャーチ」が「政府」の上に来ないように、というのがジェファーソンの「教会と国家の分離」の原意である。決して「政治と宗教の無縁」を決めたものではない。だから大統領がキリスト教徒であれば、聖書に手を置いて宣誓する。大統領が死ねば、その葬式は彼の宗教でやる。その費用は国費から支出されて構わないのである。
仏教徒であれば、仏式でやって結構なのである(もっとも米国はキリスト教国であるという議会での関連決議がしばしば行われており、非キリスト教の儀式が採用されるかは疑問である)。米国では、人間は神の前で誓ってこそ、その誓約は有効であると考えられているのである。
繰り返して言うと、大統領が聖書に手を置いて宣誓するのは、米国流の「教会と国家の分離の原則」を破っていない。(分離という語の意味は、コントロールしないということだからである)。日本流の「政教分離の原則」なら、明らかなる違反なのであるが。
日本の歴史を見ると、西欧とは事情がまったく逆なので、近世以来、政治はもっぱら宗教を道具として操り、良いように操作して使ってきたのが伝統である。欧米のキリスト教国とは事情が違う。
それが「教会と国家との分離」を「政教分離」というふうに誤訳してしまった、またその誤訳が60年以上通用してきたことの背景にあると思われる。つまり、繰り返すが、西欧では長く政治の舞台の上に教会が主役を演じていた。これからは、教会は主役を降りるように、舞台を取り仕切るのはやめさせるということである。
だが、教会はあくまで舞台の上にいるのである。主役を譲っただけで、降りていないのである。これが、ジェファーソン流の「分離」である。ところが日本では、中世以降は、宗教は主役を降りたばかりでない、それ以後は政治の舞台から降ろされてしまい、小道具としてだけ使われてきた。大道具、書き割り、背景は舞台の上にある。ところが小道具は俳優が手に持つので、花束は捨てて、次の瞬間には剣を振り上げていたりする。
いつでも振り捨てて、他のものと交換されるのが小道具である。鎖国に当たって徳川幕府は仏教を国教としたが、維新に当たっては、明治政府は仏教をあっさり捨て、今度は神道を国教として製造した。あくまで小道具なのである。これは外国にはまずない。日本社会の無神論的な性格をよく表している。そのような歴史を持つ日本社会である。
「政教分離」(と受け取った)命令が出ると、日本の社会は、これからは「政治は宗教を小道具としても使ってはいけない」のだと理解した。つまり政治の舞台では、小道具でさえも無宗教でなければならないのだ、とそのように理解した。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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