教会という名称
日本のキリスト教会は、「教会」という極めて不幸な名称を持っている。そもそも「キリストの身体」であり「主の家」であるはずのものが「教える会」に成り下がっているのである。「先生」と同じくらいに、これはいけない。
教会と訳されている言葉は、英語では「チャーチ」である。これは〔ch/r/ch〕という子音からなっている。北ヨーロッパの言葉では、chはkのこともあり「キルヒェ」「ケルケ」「キルク」のように〔k/r/ch〕または〔k/r/k〕となる(比較言語においては、母音はしばしば無視される)。
これらは、ギリシャ語では[クリアコン・kuriakon =主の」から来ている。もともとはクリアコン・ドーマ=主の家であるが、ドーマを省略してクリアコンだけ使用した。つまり「主の家」であるが、省略して「主の(もの)」 と呼んだのである。それがチャーチ、またはキルヒェの語源である。
これを日本語で「教える会」としたのは、極めて不幸なことであった。これが「先生」なる呼称と共に、キリスト教会の体質をある特殊なものにした。そうして、福音の要求するものとは違う方向に持っていってしまったように思うのである。
これを避けるために「キリスト集会所」という名称を使うグループがある。他に「教会」を嫌ってか「クリスチャン・センター」という呼称を使っている所もある。筆者は「センター」の3例を知っているが、2例は宣教師が開拓した所である。
また「地名 + キリスト家族」「地名 + 祈りの家」「〇〇館」というのもある。〇〇は地名、または信仰的な概念を名称として使用。ところが問題が一つある。「教会」を名乗らないと日本の社会に「事情があってまだ教会とは名乗れない」とか「教会以下のものです」のような印象を与えて不利である。日本社会では「教会」という名称が、〇〇神社や〇〇寺と並んで市民権を得てしまっている。これは160年以上の使用実績があって、対外的には使わざるを得ないのである。
しかし、なおこれから脱却する必要がある。それで、キリスト教会と脇に小さく書いておき、大きい字で「〇〇福音館」「〇〇礼拝院」「〇〇チャペル」「〇〇キリスト館」などとするのも一案か。
こうして一般世間に対しては「教会」であることを小さい字で表示する。しかし内部的には「教える会」ではないことを主張するのである。「〇〇キリスト館」ならまさにキリストの家で、一番無難かもしれない。新約聖書では教会を「エクレシア」と呼ぶが、これは「集められた会」で、召集の意味を込めた「集会」である。ギリシャ語の当時の用法では議会、相談のための寄り合い、何か目的を持った集会のことであるらしい。
これがギリシャ語のエクカレオー(呼び出す)から来ているので「召会」と名乗っているのを見たことがあるが、語源から詰めようとするのは問題が多い。一つの単語が、語源とは違う用法で使われる場合はいくらでもある。実際には、その場所での「使われ方」が重要で、これを本文把握の原則でロークス・ロクェンディーと呼ぶ(非常に俗な例を出せば「貴様」や「女房」であろう。現在ではもう尊称ではない)。
「エクレシア」の用法は広範囲である。固執しないほうがよい。語源から字句に拘泥すると正論に聞こえるが、擬似知的作業(ペダンティシズム)にすぎないことがある。ここは語源からでなく、宣教学的な事柄として検討するべきであろう。
教派問題
米国における教派の発生についてニーバーは、国教会的な規制のない米国では十分な教理的な理由なくして教派が乱立した、と言っている。ペンシルベニア州に多かったドイツ改革教会(のちに福音教会)が成立したときの自分たちの定義は「説教ならびに教会内の議事は、これをドイツ語で行う」だったとニーバーは言っている。これはどう考えても教派を成立させるための十分な理由ではない。教派とは、自分たちが何を信じているのか、信仰においてどこが他派と違うのか、ということが条件であるはずである。おまけに何十年かたつと、ドイツ語をしゃべれる者はいなくなってしまった!(H・リチャード・ニーバー『アメリカ型キリスト教の社会的起源』ヨルダン社、1984)
これは、教派的アイデンティティーを教理や哲学からでなく、エートスから得ようとした例だと思う。これは教派の定義としては、ニーバーが指摘しているようにいかにも頼りない理由であるように見える。しかし、実はこのような慣行こそが、米国のキリスト教会の活性化を生み出しているのではないかと思うのである。
ニーバーは故郷のヨーロッパの教会事情とそのエキュメニシティーを考えており、分派でなくて大同団結こそがイエスの精神である、という立場を取っているようである。しかし、実はそれこそがヨーロッパの教会の衰退を招いている原因の一つなのではないか、と小生は思う。中世からの大伽藍に、数十人しか礼拝に集まっていないというお寒い状況もあるらしい。
ドイツのプロテスタント国教会では、国費の補助が大幅に減少し、運営できなくなり閉鎖する所が多く、銀行や駐車場などとなったものがいまや3分の1を占めるという。読売新聞の記事の「消え行く教会・宗教改革の国ドイツ、世俗化の波、信徒激減」については、先に紹介した。
そのような状況は、エキュメニズムによっても増幅されているのではないか。エキュメニズムは、その巨大化の方向のために、自己変革を困難にさせ、小回りが利かなくさせてしまう傾向があり、伝統の温存の方向に陥りやすいような印象がある。時代の文化の変化を取り入れて、礼拝の様式を実験的に変えるなどのことも難しいのではないか。
エキュメニズム運動では、今のところ伝統的な秩序と体制についての分析や、その正当性についての研究が多いのではないだろうか。学者の研究の対象は厳密さが必要なので、どうしても過去の歴史を扱う。教会は、学者が多いと過去に目を向けやすいのかもしれない。宣教学は、未来への鼓動を含む。過去を学ぶとしても、それは未来の模索のためでなければならない。
教派というと、論争が話題になる。自分たちが、他の教派とどう違うかに関心とエネルギーが行く。これは当然である。では、教派の相違についてはどう考えるべきか。
福音はさまざまな文化、それらの倫理、それらの価値観と合して、その文化に適応したキリスト教信仰を形成する。そうして教派とは、そのように違う文化との綜合によって成立したキリスト教信仰であろう。もし教派間の相違がそういうものであるとすれば、主イエスのブドウ畑のあちらの隅、こちらの隅とそれぞれの持ち場があるので、どちらが正しい、間違っている、ということではないであろう。
もし論理的な首尾一貫性が真理の証拠であるとすれば、カルビン主義のような論理構造を持った信仰が正しいことになる。しかし、論理的な首尾一貫性が真理性の証拠ではないとすれば、それだけで教派間の論争は減ることになる。
そうすると、お互いの教派の相違について論じ合うとしても、宣教学的な意味の議論であるべきで、宗教哲学(神学)的で、自分が唯一の真理であるとして排他的に主張し合うものではないはずである。かくニーバーの主張に反して、エートスや文化よりして教派が成立することもあり得ることになる。それは、むしろ健康なことであるような気がする。
その前提が正しいとすると、外国で成立した教派がその出店を日本に作る。その出店が自派の排他的真理性を主張するのはナンセンスということになる。日本人クリスチャンがスウェーデン〇〇〇の信者であったり、米国北〇〇教会系の信者で、お互いに自派の正しさを主張しあう必然性はないことになる。
だから自派のことを誇るのは、あまり有益でないし、それが外国発である場合は、まったく見当違いになっている可能性も強い。なぜなら、その教派が発生したその事情は、日本の教会には変形されて伝わっている可能性が強いからである。
出店である日本の教会の様式は、本国のものとかなり違って、日本的に変形していることも多く、一生懸命に自派の正当性を主張していても、ポイントが狂ってしまっていることが多い。日本のポピュラー歌手が英語で歌っていて、どうもチグハグなのがあるが、やや似ているかもしれない。
これはむしろ日本的な事情で教派の成立を図るべきであろう。日本において、独自の教派が形成された例は内村の無教会、植村の日本基督教会(旧日基)、中田の日本ホーリネス教会などが代表的であろう。筆者は、もと戦後に発足した長老系の教派に所属していたが、植村が戦前の日本に長老教会を設立したとき、長老教会を名乗らず「日本基督教会」を名乗ったこと、長老教会の伝統を軽視し、その代わり「日本」を入れたのはナショナリズムを標榜するものであるなどと言って批判をする風潮が強かった。今にして思えば、植村という人の洞察に感銘を覚える。詳しいことはこの論文の範囲から外れるので省略する。
戦後のものとしては日本同盟教団があるが、これは注目に値する。これはもともと、スカンジナビア系の人々による協力伝道団であった。戦前には伊豆大島、熱海、飛騨高山に伝道した(筆者の父親は戦前の飛騨出身の伝道者のうちの一人であった)。戦後エバンジェリカル・アライアンスと改名し、スカンジナビア系でなくても宣教師として認め(るという革命的なことをし)た!
チーム・ミッション(新ミッションの略称)はその中にバプテスト、単立、長老派などを含んだ混成軍団であった。それが生んだ教会の大半が、ホーリネス出身の一人の指導者によってまとまり、同盟教団を作った。初期にはカルビン系の書物は悪魔の本であると言って聖書学院で燃やす、というようなこともあったが、混成軍団の良さと、最高指導者の人格によって発展を遂げた。
チーム・ミッションの中のバプテスト系の宣教師から生まれた教会群は、単立教会連盟を形成した。現在単立連盟と、もう3つの教団との四者で合同の動きがあり、日本福音キリスト教会連合という名称を使用している。
このように、日本同盟教団は信条によっては縛らず、さまざまな信条や価値観を持ったものがゆるやかに合同する形を取ってきた。必ずしも一致した歩調を要求せず、それぞれが自由な歩み方をし、それが発展につながったと思われる。当然牧師たちの出身の神学校もそれぞれ違い、多様な価値感が存在し、それが外部から見ても、自由でのびのびとした空気を醸成しているようである。
将来この教団は、どういう道を取るのであろうか。やがて行き方の相似た者同士が (教理、信条によるのでなく)集まるというふうにして、最終的には幾つかの教派を形成するのか、それともこのままの緩やかな、信条や思想を縛らない連合のままで進むのか、注目したい。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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