「ジーザス・ジューン・フェスティバル2019」(日本民族総福音化運動協議会・同実行委員会主催)が10日、日本福音ルーテル東京教会(東京都新宿区)で開かれた。「がん哲学外来」の提唱者として全国で講演活動を行う順天堂大学医学部教授の樋野興夫(ひの・おきお)氏が講演し、約40人が集まった。
主催の日本民族総福音化運動協議会は2003年、若者たちが明日の希望を見いだすことのできない精神の危機に置かれている日本の国と民族を、キリスト教信仰によって再建しようと、超教派の有志によって結成された。日本のクリスチャンが教派や教団の壁を超えて日本の救いのために立ち上がることを目指し、日本の歴史や伝統に文化適応した福音の提示を積極的に行っている。
実行委員会の奥山実会長は冒頭のあいさつで、マタイによる福音書24章14節「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣(の)べ伝えられる。それから、終わりが来る」を引用。「イエス様は、全世界の人が皆クリスチャンになったら、世の終わりが来るとはおっしゃらなかった。全世界の人が皆福音を聞いたら、世の終わりが来る。この差は大きい」と語り、「われわれの伝道と主の再臨には関係がある。あらゆる機会を通して、イエス様を信じたら救われるというグッドニュースを知らせないといけない」と訴えた。
樋野氏は講演で、クリスチャンの新渡戸稲造や矢内原忠雄、南原繁をはじめ、自身が影響を受けた人物の言葉やエピソードを交えながら、全国に広がる「がん哲学外来」の活動や各地での講演内容を紹介した。
「がん哲学外来」を始めたきっかけについて樋野氏は、「矢内原忠雄が東京大学の総長を辞めたときに、悩める学生のために本郷通りでカフェを開きたいと言った。しかしその時、彼は胃がんで夢果たせずに死んだ。その夢を果たすためにやっている」と話した。「矢内原が第一高等学校(旧制)にいたときの校長は新渡戸稲造。新渡戸は悩める学生のために、校長室は敷居が高いからと言って学校の近くに家を借りてカフェをやった。そこに矢内原がいた。昔も今も変わらない」と語った。
樋野氏は、「いつもわれわれは居場所を失う。人類に与えられた最初の質問は『あなたはどこにいるのか』。それに対する答えは『私はここにいます。私を遣わしてください』、これが使命」と聖書の言葉から語り、「がん患者の個性を引き出すことと、がん患者自らが何かをやること。これが『がん哲学外来』のモットー」と話した。
日本の学生について「何の夢を持ってやっているかという明確なものが失われつつある」と危機感を示しながら、「教会の役割は大きい」と語り、教会が敷居を低くして、悩みを持つ学生や地域の人々が気軽に来られるカフェのような場を提供してはどうかと提案した。
閉会のあいさつに立った同協議会総裁の手束正昭氏は、「たくさんの日本人が救いを求めている。そこに福音を届けたい。そして、この国が神様をたたえる国になることができるようにご一緒に歩んでいきたい」と述べた。