「がん哲学」の提唱者として全国で活躍する順天堂大学医学部教授の樋野興夫(ひの・おきお)氏が29日、自身のデビュー作『われ21世紀の新渡戸とならん』の新訂版が出版されたことを記念して、お茶の水クリスチャン・センター(OCC、東京都千代田区)で講演した。会場となったOCCは、樋野氏が約6年前からメディカル・カフェを開催している場でもある。この日は、各地のメディカル・カフェで話してきた内容のほか、旧版から15年ぶりに新訂版として出版された本書に絡め、新渡戸稲造(1862〜1933)の現代的意義をテーマに語った。
『われ21世紀の新渡戸とならん』は2003年に出版されて以来、累計1万2千部の人気書。当時、医学系の雑誌の編集後記として書きためていたものを出版したもので、短いながらも的をついた内容の28話が並ぶ。講演会の総合司会を務めた榊原寛OCC副理事長は、「この本から何冊もの本が書けると思う」ほど濃縮された内容が詰まっていると紹介。本書の出版社であるイーグレープの穂森宏之社長も、「(1話1冊で)28冊の本ができるくらいの内容。そのエキスを短くコンパクトにまとめて、理解しやすい言葉で書いていただいた」と話した。
樋野氏が新渡戸と出会ったのは学生時代。著書を通してだった。最初は新渡戸の教え子で、戦後の東京大学で総長を務めた南原繁(1889〜1974)に直接教わった人物と出会い、まずは南原の著書を読むようになった。そして南原の著書に登場する新渡戸、内村鑑三(1861〜1930)、矢内原忠雄(1893〜1961)といった、日本を代表する知識人であり、キリスト者であった4人の著書をむさぼるように読んでいく。メディカル・カフェや個人面談などで樋野氏が語る多くは、樋野氏自身が若い頃に読んだこうした先達たちの言葉だ。「これが心の処方箋。頭の中に入れていた言葉の中から、この人に合うと思うものを伝える」という。
講演では、新渡戸が日本人に欠けているとして話した2つのセンスを紹介。1つは「Sense of Proportion」。何が重要かを判断する能力で、「大切なことは大切に、どうでもよいことはどうでもよいように」扱うことだという。もう1つは「Sense of Humor」。字義通りユーモアのセンスだ。樋野氏はさらに、これは相手を大切にする「ユーモア(You More)」の精神でもあると話した。またこれら2つに加え、樋野氏はもう1つ「Sense of Tumor」を挙げる。「腫瘍(Tumor)のセンス」という意味で、日本人はがん細胞のようにもっとたくましくあるべきだと言う。
また、新渡戸の基本精神として3つを紹介した。1つは「生活環境や言葉が違っても心が通えば友。心の通じ合う人と出会うことが人間の一番の楽しみ」と考えていたこと。そして「学問より実行」を重視し、「何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛を持って」接することだ。
講演ではこの他、5千円札の肖像画に樋口一葉が選ばれる前に、新渡戸が選ばれた経緯も紹介。2013年には旧版の出版10年を記念してカナダを訪問したが、カナダは新渡戸臨終の地でもあり、大学や病院に新渡戸を記念した庭園があることなどを話した。
講演前にはメディアの取材に応じる時間も設けられた。今の時代に読んでほしい本を尋ねられると、新渡戸の『武士道』と内村の『代表的日本人』の2冊を上げた。また、南原、新渡戸、内村、矢内原の4人の中で、なぜ本書では新渡戸を選んだかについては、国際人として活躍した新渡戸の教養の深さを理由に上げた。
講演後の質疑応答では、昨年7月に105歳で亡くなった日野原重明氏とのエピソードを紹介。日野原氏は当時、すでに100歳前後だったが、自ら立って講演をしていたことが印象的だったという。「人間は自分の寿命を知らない。100歳でも、あと20年は生きると考えている。だから、存在自体に価値があるのでは」と語った。
この日は、樋野氏によるサイン会も行われ、会場に用意された新訂版は完売。穂森氏は「男性であればスーツのポケット、女性であればバッグに入る持ち運びしやすいサイズ。どこにでも持って行き、一度読んで終わりではなく、何度も読んでいただきたい」と語った。
■ 樋野興夫著『われ21世紀の新渡戸とならん(新訂版)』(イーグレープ、2018年1月)