1. あるレストランにて
「貴様! おまえは神を冒とくする者だ! 帰れ! 今すぐ、ここから出ていけ!」
ホテルのレストランでお茶飲み話をしていたら、突然、相手が立ち上がり、私に向かって激しく叫んだ。びっくりした周囲のお客さんたちやウエイトレスが、一斉に私たち2人を見ている。暴力事件が起きるのではないかと、みな緊張して心配そうだった。
その日、私は国際金融に関する法律問題の相談で呼ばれてその人に会っていた。相談が終わって、「お茶でも飲みましょう」と誘われ、レストランに連れて行かれたのである。彼はビールを、私はコーヒーを注文した。
「あなたは何が生きがいでそんなに元気なのか?」と尋ねられたので、自分はクリスチャンで、神の使命があるから燃えて生きているのだと答えた。いつの間にか救いの証しを熱烈に語っていた。「十字架にかかって死に3日目に復活したイエス・キリストご自身と、私は霊の次元で出会いました。私にとってキリストは信仰によって信じているお方ではなく、あなたが今存在していると同じように、事実として存在しているお方なのです」と、最後に語った瞬間に、彼は大声で叫んだのである。
追い出された私にとってその事件はショックであったが、それほど激怒して私を追い出した彼は、私の発言によほどのショックを受けたに違いない。米国籍日本人の彼は、元米軍海兵隊幹部上がりのビジネスマンで熱心なユダヤ教徒であった。彼がいつかキリストに出会うことを願いつつ祈っている。
2. 弁護士の卵との出会い
別の日に、知人の紹介で法科大学院を卒業したばかりの弁護士の卵と面会した。「国際弁護士として働くにはどうしたらよいのでしょうか?」という彼の質問に答えるためだった。私の弁護士としての体験を語っているうちに、「なぜ自分がキリストを信じるようになったのか。クリスチャンとしてどのように生きているのか」という話題になった。そうしたら心が燃えてきて、夢中になって3時間もキリストの証しをしてしまった。その青年は何も言わないで緊張してじっと聞いていた。初めて会った方に、長時間にわたり信仰の話をしてしまったことにハッと気付いて、心からお詫びした。最後は私としては非常に気まずい思いでお別れした。
紹介者の知人から翌日電話があった。「佐々木先生、昨晩は遅くまでありがとうございました。先生の証しを聞いているうちに本人は全身鳥肌が立って止まらなかったそうです。その場でイエス・キリストを救い主として信じたと言っていました!」。それを聞いた私も鳥肌が立った。福音を語ったのは私ではなく、聖霊ご自身であった。
3. 病室での洗礼式と結婚式
その後1年以上、彼との交流はなかった。「あの日キリストを信じた彼は一体どうしているのだろうか?」。ふと気になったら、知人から電話があった。彼が非常に落ち込んでいるので会ってほしいと言う。数日後に再会して話し合った。
「婚約者が重病なのです。『余命わずかだ』と医師に言われました。どうしたらよいのか分からず、仕事も手につきません」。婚約者がミッションスクールを出ていると聞いて、悲しみに焦燥し切っている彼を励ました。「大丈夫ですよ。キリストを信じれば永遠の命が与えられますから。この際、一緒に洗礼を受けたらどうですか!」 気が付いたら、また内に燃えて3時間以上も福音を語っていた。「分かりました。彼女と一緒に洗礼を受けます!」。彼は元気になり、笑って別れた。
翌週、病室で、婚約者と彼は、牧師の司式による洗礼を一緒に受け、その直後、2人だけで密かに結婚式を挙げた。その数日後、新妻はキリストと共に天に召されていった。
教会で遺族と大勢の関係者の涙のうちに召天式が行われた。葬儀の後、彼女の母も信仰を告白し洗礼を受ける決心をした。
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