1. ナイアガラの滝の所有者の息子
1908年のある日のこと、小柄な日本人が壮大なナイアガラの滝を見物していると、白人の観光客が、「お前さんはどこの国から来たのかね?」とからかってきた。当時の米国では、黄色人種で背の低い日本人は、「ジャップ」と呼ばれて蔑視されていた。「私は日本人だ」と答えると、「あの太平洋の向こうの小さな島か。いったいお前さんの島にもこんな滝があるのかね?」と日本をバカにした。
「お前さんこそ何を言っているのか、このナイアガラの滝は私のお父さんのものだ!」という彼の一喝に、「本当か!?」とその白人はたじろいだ。「私の父は天地万物の所有者である。だからこの滝は私のお父さんのものだ」。その日本人は当時アメリカ各地で巡回説教をしていた木村清松牧師であった。
その会話が現地の新聞のニュースで、「ナイアガラの滝の所有者の息子来たる!」として大々的に報道された。その後に木村牧師が説教で招かれた教会は大入り満員になった。それは、万物の真の所有者は誰なのか、人間の真の父は誰なのかを、アメリカの人々に気付かせることになった。
2. シングルマザーの息子の本当の父親
「君のお父さんは誰なの?」。 シングルマザーの子が、学校でも、食品店でも、薬局でも、どこへ行ってもこう聞かれて、答えられない苦しみで心がいじけていた。学校では仲間に隠れて一人で昼食をし、お店にはほとんど行かなくなった。
この少年の教会に新しい牧師が赴任してきた。牧師に父のことを聞かれることを避けるために、彼は日曜の礼拝には遅刻して、終了直前に会衆をすり抜けて教会を出て行った。
「君のお父さんは誰なの?」。でもある日、礼拝後すぐに牧師は走って行って、教会を出ていこうとしたその少年の肩をたたいて聞いた。その瞬間、教会全体が死んだように静まり返った。皆の視線が彼に集中したように感じた。その少年は怖じけずいて返事をしない。
「ちょっと待てよ、私は君をよく知っているよ」。その場の雰囲気からとっさに察した牧師は、「そうだ、君は天地を造られた父なる神の子どもだ!さあ、行って、お父さんのとてつもない財産をもらいなさい!」と言った。
まさに聖霊の働きであった。その言葉に少年は初めてほほ笑んだ。教会の外に出た彼はまったく変わっていた。自分の本当の父親は誰かということを心から悟ったのだ。やがて彼はテネシー州の知事に当選した。なんと、知事に当選した日が自分の本当の父を知った日と同じ日だった。
3. すべての人の完全な父
聖書によれば、原罪を持って生まれたすべての人は、父なる神を見失った霊的な孤児である。私を含めてこの世の父は天の父の不完全な代役にすぎない。
私にとって、今は亡き父は頑健でたくましい働き者で温情がありとても頼りがいがあったが、非常に几帳面な性格であった。心では父を尊敬し、今では父に感謝しているが、当時は、何事にもルーズな私は父に叱られるのを恐れて、できるだけ近寄らないようにしていた。たまに会っても緊張感があり、ぎくしゃくとした会話しかできなかった。
しかし、キリストを信じて出会った天の父との間では、いつでもどこでも自由に会話し、恵まれた時は感謝し、うれしい時は賛美し、悩みの時は知恵をもらい、困ったときは助けてもらい、うまくいった時は誉めてもらい、失敗した時は慰めてもらい、失望した時は励ましてもらっている。時に厳しい訓練を受けることがあるが、それによって、愛と希望をもって強く正しく生きるように成長させてくださっている。天の父は私にとって完全な父である。
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