地球は美しい
「宇宙飛行をして一番感動したことは何ですか?」。最近、日本人として初めて2度にわたり宇宙を飛行した土井隆雄元宇宙飛行士(現京大教授)の法律相談を受けた。相談を終えて会食したときに土井さんにこう聞いてみた。
「地球がとても美しかったことです!そこにはすべての生命体が生きています」と即座に答えてくれた。「スペースシャトルの飛行中、毎日毎日、窓から美しい地球を眺め続けて飽きることがありませんでした」。そう言う土井さんの目は輝いていた。
私も出張などで飛行機に乗るときは、見晴らしの良い窓際の席を取ることにしている。眼下でどんどん変化する地表の景色に飽きずに見とれている。不思議に心が躍動してくる。人間が作った地球儀には命はないが、神の造った地球には命がある。
「宇宙を見渡したが、どこにも神はいなかった」。世界で初めて有人衛星ボストークに乗船して生還したソ連のユーリイ・ガガーリンは、こう言い、「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」と報告した。徹底した無神論・唯物論の社会主義者として、ガガーリンは、肉眼で見える物体しか見ることができず、命を見ることもできず、まして創造主なる神を見ることができなかったのは残念である。
だが、宇宙を遊泳して帰還した多くの米国の宇宙飛行士は、地球の美しさに驚嘆して、神の存在に強烈に心を打たれたと言う。中には、牧師や宣教師になって創造主なる神の福音を伝えている者たちもいる。
神は美しい地球を命ある被造物で覆われた。被造物もそれぞれが美しく輝いている。イエスは、「空の鳥を見よ」「野の百合を見よ」と言われた。今日咲いて明日には枯れる百合の花でさえも、栄華を極めて着飾ったソロモンの豪華な衣装よりも美しいと言われた。神の造った一輪の百合には命があるが、人間の作った衣装には命がないからである。
人間はとても素晴らしい
土井さんは、「人間はとても素晴らしい。人間はもっともっと素晴らしいことができるはずだ」と、宇宙飛行のもう一つの感動を述べている。
神が造った被造物の中で最も美しいのは人間である。なぜなら人間は神にそっくりに造られているからである。そして神ご自身の命が吹き込まれているからである。(創世記1:26~28、2:7)
ある時、私の通っている教会に米国の大学のグリークラブが訪問した。聖霊に満たされ喜びにあふれて神を賛美している若い学生たちの姿を見ているうちに、感動のあまり涙が止めどもなく流れてきた。一人一人が神のように神々しく輝いていた。彼らが卒業して社会に出たら、どのような素晴らしい働きをするだろうかと、将来への期待に圧倒された。
私はかつて、宇宙(開発)法の専門家であった。JAXA(元NASDA)の国際問題の法律顧問として、種子島の宇宙センターやワシントンDCのNASA本部、ヒューストンのシャトル打ち上げステーションなどを訪れて、現場を視察し、NASAとスペースシャトル利用契約の交渉などをした。
ところが今は、刑事事件で勾留中の被告人を接見したり、相続争いの調停をしたり、離婚裁判の代理人をしたりすることが多い。そこには人間の罪と罰と赦(ゆる)しという聖書の世界がもろに展開している。そして、問題の中でもまれながら必死に生きようとする生命力を持つ人間の本来の素晴らしさが見えてきた。
はじめに神は天と地とを創造された。・・・神は自分のかたちに人を創造された。神が造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった。(創世記1:1~31)
◇