Yesterday is history,
Tomorrow is mystery, and
Today is a gift.
That is why we call it present.
昨日はヒストリー(過去の歴史)。明日はミステリー(未来の謎)。今日はギフト(贈り物)である。だから、今日をプレゼント(現在)というのである。
この言葉は、過去、現在、未来をよく言い当てている。昨日はすでに過ぎ去った。もう戻ることはできない。明日はまだ来ていない。そこへ飛び越すことはできない。私たちは今日一日だけを生きるように造られている。今日という一日は、私たちが喜び楽しむために神が造られた日である(詩編118:24)。だから、今日という現在は、天の父の子どもたちへの贈り物(プレゼント)なのである。
親を信頼している子どもは、昨日のことは忘れ、明日のことは気にしない。ただ今日の今を喜んで楽しく生きている。普通の子どもは一日数百回も笑っている。自分の親が子どもの昨日の失敗を償い、子どもの明日への準備をしていることを信じているから。
それなのに、私たち大人は、昨日の失敗にとらわれ、明日のことを心配しながら、今日を生きている。今日一日に苦労は十分あるが、今日だけの苦労なら、喜び楽しむことができる。でも、昨日の後悔(持ち越し苦労)と明日への思い煩い(取り越し苦労)を加えるから、背負いきれないのである。
だから今日という日を喜び楽しむことができず、せっかくの神の贈り物である「今日というプレゼント(現在)」を台無しにしている。結果として、一日数回しか笑わない大人がほとんどである。神の子どものために、天の父が昨日の失敗を赦(ゆる)し、明日への準備をしてくれていることを信じないからである。
「20年前のことですが、それまで親切にしていた人に裏切られて、とんでもない被害を受けてしまいました」「あのことさえなければ、もっとましな生活ができたはずです。返す返すも残念でなりません」「なんとしても裁判で勝って恨みを晴らしたいのです」
その人は加害者を訴えてもう10年以上裁判をしている。その間に加害者が死亡したため、今は相続人を相手に係争中である。弁護士のやり方が気に入らないとして、次々に解任して、今の弁護士は7人目。加害者を恨むあまりか、病気がちで、仕事もしないで生活保護を受けている。
また、こんな人もいた。「自分と家族の将来のことがいつも心配なんです。いつ病気になるか分からない。いつ事故にあうか分からない・・・」「だから家内と共働きで定年まで一生懸命頑張って、生活費を節約しコツコツ貯金してきました」「でも、私は胃腸を悪くしてなかなか治りません。家内はうつで家で寝たり起きたりの生活です。3人の子どもたちのうち、2人は不登校、1人は事件を起こして少年院に入っています」「まじめに生きてきたのに、なぜこんなひどい生活なのでしょうか?」
よく聞いてみたら、この人は住宅ローンをすでに完済し、2人の預貯金は1億円以上あるという。明日への不安に縛られて、今日の喜びと楽しみを犠牲にしてきたからではないだろうか。
今日一日にやるべきことは十分ある。今日やるべきことを喜んで楽しんでやれば、昨日を悔いたり、明日を心配したりする暇はない。子どものように純真に天の父を信じ、神の家族の一員として今日一日を生きることである。
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