米国立衛生研究所(NIH)の所長で、世界的に著名な生命科学者でもあるフランシス・コリンズ氏(68)が、米メリーランド州で開かれたカンファレンスに出席し、自身がキリスト教信仰に導かれた経緯を語った。無神論者であったコリンズ氏が、神の存在を真剣に考えるようになったのは、医学部時代に末期患者と出会ったことがきっかけだったという。
コリンズ氏は、人間の遺伝子の全塩基配列を解析する「ヒトゲノム計画」の責任者を務めた人物で、数々の病気に関わる遺伝子を発見した遺伝学者としても評価されている。10年前に自身が設立したバイオロゴス財団主催の「バイオロゴス・カンファレンス2019」が3月末、同州ボルチモア市内のホテルで開催され、コリンズ氏は牧師や科学者、学者ら300人余りの参加者を前に講演した。同財団は信仰と科学が矛盾しないことを示す目的で設立され、進化的創造説(有神的進化論)を提唱している。
今年は財団設立10周年を記念するカンファレンスであり、財団の新しいウェブサイト(英語)の完成が祝われるなどした。財団のウェブサイトは、多くの人が抱く信仰と科学の調和という疑問に関する資料をオンラインで提供することを目的としている。
コリンズ氏は財団設立後間もなく、バラク・オバマ前大統領からNIH所長への就任を依頼され、財団を退任していた。
3月27日夜に行った約20分間のスピーチでは、無神論者として生きてきた人生から、キリストにある歩みへと導かれた経緯を詳細に語った。多くのクリスチャン科学者は、自らの専門分野で学んだことを信仰に結び付けることに苦労する。しかし、コリンズ氏の場合は、自身の信仰が科学と対立することはまったくなかったという。
「この世はこれまで以上に、科学と信仰の融和が可能であることに耳を傾ける必要があります。『そうしなければならない』と強要するつもりはありませんが、そうすることは楽しいし、礼拝の機会でもあります。ただし私は、(初めから)ずっとそのことに気付いていたわけではありません」
エール大学で物理化学を専攻していた21、22歳ごろは、将来バイオロゴス・カンファレンスのような場で語ることになるとは想像もしていなかったという。当時は「形而上学的自然主義」の立場にあったからだ。コリンズ氏はこれを「還元主義的態度」と呼び、「科学を通して測定可能なもの以外に重要なものは何もない」とする信念だと説明した。
当時は、信仰(宗教)とは基本的に幼児期から持ち続ける迷信であり、「前に進む」ためには取り合うべきでないものだと考えていた。そう考えた理由の一端には、信仰を特に重視しない家庭で育ったことがある。
「神は存在しないと思い込む方が、都合が良かった」とコリンズ氏。「大学院生になるころには、私は無神論者でした。それは深く考えてそうしたわけではなく、単なる私の立場であって、当時、私の周囲にいた多くの人たちや今日の大学の学生寮、大学院の教室などで見られる状況と大差はないと思います」
コリンズ氏は「2階微分方程式」をこよなく愛していたが、最終的には研究内容を変更し、医学部に進まざるを得なかった。人体に関連した研究をするためだった。こうしてコリンズ氏は、エール大学で物理化学の博士号を取得した後、ノースカロライナ大学の医学部へ進むことになる。
その時もまだ無神論者のままだったが、ある日、昼食時にクリスチャンの医学生たちが一緒に座らないか、とコリンズ氏を誘ってくれた。コリンズ氏は「おかしなやつらだ」と思い、できる限り彼らを避けようとしたという。
しかし医学部在籍中に、コリンズ氏の内面は徐々に変わりつつあった。生と死について考えることが、もはや単なる知的行為ではなくなったのだ。
「医学部の3年時に、私は重度の病を持つ患者たちのベッドの傍らに座るという臨床経験を積むことになりました。当時、その病気の治療法はありませんでした。あるとしても、かなり不完全でした。それで私は悩み始めました。患者たちの目を見ると、いつか自分もこうなるかもしれないと思ったからです」
仮に自分が不治の病で入院したら、自分はどう対処すればよいのだろうかという疑問をコリンズ氏は持ったという。
「私は、善良なノースカロライナの患者たちがどのように対処するかに注目していました。患者の多くは、とても安らいで見えました。患者たちは、自分の信仰の話を聞かせてくれました。その時、私は思いました。『なぜこの人たちは神に怒らないのだろうか。神が自分たちにしたことに、なぜ拳を振り上げないのだろうか』と。しかし、患者たちは怒るどころか穏やかでした。神は善であり、自分たちは祝福されていると感じている様子でした。将来を楽しみにしているようにさえ見えました」
26歳の時、重度の心臓病でひどい胸の痛みに苦しむ高齢の女性患者を受け持った。その女性は祈ることで穏やかになったように見えたとコリンズは言う。しかし、女性からいつも信仰の話を聞かされたため、嫌な思いもあった。
「ある日、私は本当に嫌な思いをさせられました。それは彼女がこう言ったからです。『先生。私は先生に私の信仰の話をしてきました。先生が私を心配してくださっているように見えたからです。ところで、先生は何を信じておられるのですか』と。今までに、彼女のように正直で率直な形で何かを尋ねてきた人は誰もいないと思います。私は、自分が完全に答えあぐねていることに気付きました」
コリンズ氏は、自分が誰もが問うべき最も重要な疑問から目を背けているように感じた。
「神は存在するのだろうか。私のことを気に留めておられるのだろうか」
「26歳だった当時の私は、他の問題を追及することで忙しかったので、その問題を脇に置いておくことにしました。私は科学者になろうとしていたのです。答えを見つけて、証拠を集め、それらの答えが本来どうあるべきかを考えることが楽しかった。しかし私は、(神はいるかという)この特定の疑問に思いを向けて、答えを出すために5分以上の時間をかけたことは一度もありませんでした。そうすることが本当に煩わしかったからです」
コリンズ氏は、自身の無神論観を確実なものにしようと試みた。そして信仰者たちに、信じる理由を尋ねることにした。その結果、同僚の何人かがクリスチャンであることが分かった。コリンズ氏は、「(彼らは)子どものように洗脳されたに違いない。洗脳から抜け出せなかったに違いない」と考えた。
しかし、同僚たちと話してみたところ、彼らの説明は「かなり道理にかなっていた」という。しかし、それでもまだ完全には理解できなかった。
その後、コリンズ氏は近所に住むメソジスト派の牧師と出会った。コリンズ氏の疑問を聞いた牧師は、彼にC・S・ルイスの本を手渡した。牧師は、ルイスがコリンズ氏と同じ疑問を数多く持っていたことを告げた。
「(ルイスは)オックスフォード大学の学者で、無神論から信仰に至る私と同じ道を歩み、その全行程を通じてジタバタともがいていました」とコリンズ氏。「本を読み進める中で、私は信仰に対する自分の主張が小学生レベルであることに気付きました。『神は存在するのだろうか。私のことを気に留めておられるのだろうか』という疑問の答えを受け止められるまでには、やるべきことが多々ありました」
コリンズ氏がキリストを信じたのは、それから2年後のことだった。最終的に信仰を持つには、物事の理解が深いクリスチャンや他の宗教を信じる人たちとの対話が必要だった。世界の宗教の中から、最も理にかなったものを見いだすのに苦労したという。
「しかし私にとって最も快適だった科学の分野にも、神を指し示すものが多々あることに気付き始めました。それは、宇宙には何もないのではなく、何かがあるということでした。複雑な構造や生命を宇宙に存在させるには、微妙な調整が必要です。実際、自然界は、私がこよなく愛した2階微分方程式という洗練された数学的規則に従っています。なぜでしょうか。自然界はなぜそうするのでしょうか。その背後には、数学者か物理学者が存在するはずです。もしや、それが神なのではないでしょうか」
コリンズ氏にはまだ疑問が残っていた。創造主とは何者なのだろうか。なぜ人類にそのような深い愛を持つのだろうか。そんな時、目を向けたのが、ルイスの著書『キリストの精髄』(原題:Mere Christianity)の第1部「宇宙の意味を解明する鍵としての正と不正」だった。
「あれほど真剣に考えたことは、それまで一度もありませんでした。そして突然、何か深遠なものがあることに気付いたのです。あらゆる文化の歴史を通して、人は皆、本質的に次のような思いを持ちます。あるものは善であり、別のあるものは悪である。それ故、人は善であれるよう努めるべきだという思いです」
「遺伝学者として、また進化論を研究する者として私が知っていることがあります。それは、生殖適応度に対して本来は良くないことをするよう求められる場合があるということです。しかし同時に、それらのことは良いものであることを私たちは知っています。つまり、進化上の制約よりも何か深いものがあるということです。私は科学的証拠があるから、神が本当に存在し、イエスが神の子であると納得するようになったのでしょうか。いいえ、違います。しかし、私はあることに気付きました。それは、自分の内に神の存在を知りたいという飢え渇きがあること。そして、神と関係を築きたいという驚くべき飢え渇きがあるということです」
コリンズ氏はまた、自分の「罪深さ」の故に、自分の力では神と関係を築くことができないことも分かったという。
「仮に神と関係を築ける機会があるとしても、ある種の橋渡しが必要です。私はイエスと十字架こそがそれであることが分かりました。私は、キリストが私の罪のために死なれたと、あの人たちが言っていたのを思い出しました。私にはそのことがまったく分かっていませんでしたが、突然分かったのです」
コリンズ氏は40年以上前のある日の早朝、太平洋岸北西部にあるカスケード山脈を登っていたとき、キリストに人生をささげたという。
「私はひざまずいてこう言いました。『分かりました。私はあなたのものです。私は今から永遠にあなたに従う者になりたいと思います』と。それはその日以来変わっていません」
回心後も、周囲の幾人かはそれを疑った。キリスト教信仰と科学は調和しないと言い、「頭が爆発するだろう」と。
「私は聖書を至極真剣に受け止めています。しかし、これまでの41年間、私の知識と(聖書が)矛盾するという経験をしたことがありません。誰かが科学的データを提示して、それが正しい理由を私に示さない限り、私がそのデータを受け入れることはありません。神はその両方をするよう、私たちに求めておられると思います」
「本当に嘆かわしいことですが、この世界、特にこの国では過去150年にわたり、大人が若者をだまして(聖書には)矛盾があると信じ込ませてきました。私はそのような理解をしていません。神は私たち科学者に、神の創造の業を知る驚くべき機会を与えておられます。その機会は素晴らしい礼拝に様変わりするかもしれません。実験室で神と出会うというのは、あり得ることなのです」
コリンズ氏は著書に『ゲノムと聖書』(原題:The Language of God)がある。
一方、コリンズ氏に対しては昨年12月、一部のクリスチャンや中絶反対者から、NIHの所長を辞任するよう求める声が出た。NIH諮問委員会との会議の中で、胎児組織を用いた研究に支持を表明したためだ。報道によると、コリンズ氏は「倫理的枠組みがあれば」胎児組織を用いた研究を行うことが可能だと示唆したという。
また、信仰と科学の調和を支援するという点で、バイオロゴス財団は多くのクリスチャンから評価されているが、「一種の進化論を受け入れるよう、福音派のクリスチャンを説得しようとしている」と一部の保守派や「若い地球説」(世界が1日24時間の6日間で創造されたとする説)の信奉者からは批判されている。