X教の教祖Y氏に「精密検査前に墓参をして、体に波動を入れておけば、良い結果が出る」と言われた私は、直ちに四国は香川県へと向かい、新たに増えた小豆島の墓を含め、炎天下の中、6カ所の墓を巡りました。
交通不便な中、新しい墓を2日間にわたってお参りし、「少しでも多くの波動を、墓を通して “天” からもらおう!」と、1回につき1時間以上滞在し、観音経を唱え、 “天” に向かって拝みました。もちろん、神の国ではない、“暗闇の天”に向かって礼拝し、さらに太陽に向かって合掌する・・・といった、まさに“反逆と偶像礼拝の罪”を、ダブルで犯していたのです。
心のどこかで「自分はおかしい」と感じる瞬間は何度もありましたが、「しっかり参らないと、死ぬかもしれない」という大きな恐れが心を襲い、やめることができませんでした。旅行中、以前より重くなってきていた生理になり、大量の出血と痛みと暑さでフラフラになりました。後の検査で分かったことですが、私の貧血症は、輸血一歩手前の状態だったそうです。
そのような困難を、どうにか気力で乗り切り、すべての墓参を終えてMRI検査に臨みました。検査は、整体師I氏の紹介する病院で行いました。初めてのMRIは、不安と緊張の連続でした。
医療知識の無い若い女性受付スタッフに、「造影剤は骨盤に注射する」と間違った情報を伝えられ、震え上がったり、重い撮影機具をベルトでお腹に固定され、身動きを奪われ、目隠しとヘッドフォンを粗雑に付けられて視覚と聴覚を奪われた揚げ句、狭い筒の中(検査機)に入れられたときは、もう恐怖しかありませんでした。
ヘッドフォンから流れる「ジブリ」音楽は、癒やしの効果を狙ってだと思いますが、私には大きな機械音と入り混じって「呪いの子守唄」にしか聴こえませんでした。約1時間に及ぶ"拷問”のような検査が終わり、それから結果が出る2週間は生きた心地がしませんでした。
「あれだけ必死で“墓参り”したのだから大丈夫!」と自分に言い聞かせても、「悪性だったら、子宮も卵巣も全部取られた上、苦しい抗がん剤治療が待っている・・・。嫌!嫌だ ! そんなの絶対に嫌だ ! 誰か助けて!助けて神様!」という思いが勝り、何度も心の中で「助けて~!」と叫び、気が狂いそうでした。
そして2週間後・・・。結果は「変性型粘膜下筋腫」。良性の子宮筋腫の診断が下りました。"悪性"ではなかった結果に、とりあえずホッとしたのも束の間、担当医から「大きさが11センチもあるし、腫瘍の中が腐ってドロドロだから、やはり全摘だね。もう、子どもを産む年(45歳)でもないから(子宮)いらないでしょう」と、冷ややかな口調で告げられました。
「手術はしたくない」と拒むと、「100人医者がいたら、100人が同じことを言う。良性と出ているけど、取って病理検査してみるまでは確定できない。悪性だったら確実に死ぬ」と脅かされました。「子宮と卵巣を奪われたら、女性ではなくなってしまう ! 」。ものすごい喪失感で悲しくなりました。
その結果をI整体師に報告すると、「自分は施術で、何人もの婦人科系疾患を持った患者を治してきた。自分の指示通りに治療すれば良くなっていくはず」と言われ、また実際に「子宮ガンや筋腫を治してもらった」という患者数名にもお会いし、話を聞けたこともあって、I師の治療に賭けました。
しかし、そのための治療代は、シングルマザーとなった私には大きな負担でした。その時はまだ離婚した夫Aと同居中でしたが、家を出るためのお金も貯めないといけないし、今後のことを考えたら、なるべく貯金も減らしたくないと思ったので、その分、仕事を頑張りました。心配した母が、送金してくれたこともありました。
ところがしばらくして、以前、市の子宮ガン検診の際、酷い検査をされた後遺症からか!?・・・排卵期になると、陣痛のような痛みに襲われる「排卵痛」の症状が出始めたのです。排卵期になると、下腹部に断続的な激痛が突然起こり、あまりのつらさに立っていられませんでした。
鎮痛剤もほとんど効かず、家事代行先で激痛が来たときは、本当に困りました。痛みに耐えながら必死に笑顔を作り、時間内に作業を終わらせることは、かなりの体力を消耗しました。やっとの思いで帰宅し、横になっていると、Aからの「怠けている」という無言の圧力を感じ、無理して家事をするのですが、あまりの激痛で、洗濯物を取り込むだけで1時間以上かかったときもありました。
どこにも安息の場所はありませんでした。その間、筋腫が少しずつ成長していったようで、時々ぼうこうを腫瘍が圧迫し、尿意はあるのに排泄ができない「尿閉」にも頻繁になりました。少しトイレに行くのを我慢しただけで、出したくても出なくなってしまうのです。
ある日の深夜など、排泄できない時間が4時間にも及び、ぼうこうが破裂しそうになって、救急車を呼んだこともありました。途中、X教祖Y氏に電話をし、波動を送ってくれるようにお願いをしたのですが、状態はまったく変わりませんでした。
大学病院に搬送され、当直医が泌尿器科の先生だと安心したのも束の間、散々待たされ、やっと現れるや、私をすごい目でにらみつけ、大きなため息を吐くと、苦しんでいる私に「なんで、救急車を使ったの?なんで家の人に送ってもらわなかったの?」と説教が始まり、なかなか導尿処置をしてくれません。その時点で、既に5時間以上経過していたと思います。
やっと処置を始めてくれましたが、本当に酷い態度で、私は怒りたくても状態が状態なだけに、大人しくしているしかありませんでした。とてつもない屈辱感でした。
処置終了後、「管を付けたままにしておく」と言われ、「それは困る!」と断ると、「また、出なくなって救急車を使われたら迷惑」だと言われました。「尿意を感じたら、すぐトイレに行くように気を付けるから」と言って頼み込み、なんとか管と袋の装着は回避しました。
なぜか、愛の無い医師ばかりと出会い、度重なる酷い仕打ちを受け、私の医療に対する嫌悪と不信感は増加し続け、ますます病院から足が遠のいていきました。X神は、まるで蛇のようにじわじわと私を締め付け、本格的に「命の火」を消しにかかったのです。
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