2009年7月。正式に離婚が成立しました。公証役場・家庭裁判所・市役所と、面倒な手続きはすべて私1人で行い、言い出した本人は急ぎ立てるだけで終わりました(^_^;)。そういうケースは、割と多いそうです。
この年は、大変お世話になったプロレスラー・三沢光晴さんが6月に、元全日本女子プロレス会長・松永高司さんが7月に亡くなられ、離婚のつらさに追い打ちをかける悲しい出来事が続きました。
離婚後も、私の新しい仕事が落ち着いて新居が見つかるまで、そして、まだ小さい息子(幼稚園年長)の気持ちも考え、しばらくは同居をしていました。しかし、その生活は想像以上に私の心と体に大きな負担をかけていたようで・・・ある日、下腹部に鶏の卵大のシコリが出来ていることに気付きました。
「妊娠したとき、“子宮筋腫がある” と診断されたが、それが大きくなってきたのか?」と不安になり始めたころ、偶然にも市から、婦人科健診の案内が届きました。X教の影響で、あまり病院に行かなくなっていた私でしたが、「一度検査した方がいいだろう」と、受診することにしました。
健診は、市が指定する幾つかの病院から選んで受診することになっていました。しかし、「婦人科は、やはり女性ドクター」と選んだクリニックで、とんでもない目に遭ったのです。診察室に入ると、そこには小柄で無表情な女性医師が座っていました。銀縁メガネから覗く冷めた視線を私のお腹に落としたまま、淡々と話し始めました。
「あなたの年齢ですと、子宮頸がんだけでなく、子宮体がん検査も行った方がよいですね。ほとんどの方が受けられますが、どうされます?」・・・「NO」と言えない重たい空気の中、これもまた冷めた目のナースたちに背後を包囲され、まるで拉致され脅迫されているような恐怖に襲われました。いろいろなことがあり過ぎて弱っていた私は、抵抗する力も湧かず、言われるがままに検査を承諾しました。が、その検査の激痛ときたら!!!
その後、出血と、じくじくとした腹痛がしばらく続きました。そのことをママ友の1人に話すと、そこはとても評判の悪いクリニックで、私と同じような症状になった人がたくさんいるということでした 。「“女性医師”といっても、女性に優しい人ばかりではない。“敵意”を抱いているのでは?と疑えるような人もいるのだ」と思うと、ますます病院に対する不信感が募っていきました。
それから約2週間後、“検査結果”として告げられたのは、「肉腫の疑い濃厚!」というものでした。女性医師は、また私のお腹を見つめつつ、表情一つ変えることなく淡々と、「エコーの写り方からして、良性ではありません。肉腫の写り方です。速やかに大学病院でMRI検査をしてください。いずれにしても、子宮全摘です」と言うと、その場で大学病院を選ばされ、検査の予約を取らされました。
呆然としたままクリニックを出て、どうやって帰宅したかはまったく覚えていませんが、家に入ってすぐ、Aに結果報告をしている途中、とてつもない恐怖とつらさに思わず泣き出したことは覚えています。「I先生(以前お話しした呪術的な整体師)に相談し、治療を受けながら、必要に応じてひいきの病院を紹介してもらえばいい」と、 さすがに気の毒に思ってくれたのか、提案をくれました。
私も、手術は嫌でした。X教祖Y氏から「手術をしても、墓の気が弱いままならまた悪くなるし、手術自体、成功しない」と教え込まれていたため、「手術をしたら死ぬ!?」という恐れがありました。「肉腫」の診断が確実に下ったら、術後に待っているのはつらい抗ガン剤や放射線治療・・・しかし、その甲斐なく・・・といった具合に、もう、ポジティブに考える余裕はまったく残っていませんでした。
かつて、「こんなにつらいことばかり起きるなら、いっそ治らない病気にでもなって死にたい!」と、何度も口に出していたことを思い出しました。きっと、その「刈り取り」だったのでしょう。「種まきと刈り取りの法則」です。ノンクリスチャンだった私は、「言葉の力」がどれほど大きいものかを知らず、たくさんの呪いの言葉を撒き散らし、悔い改めることもしませんでした。それが、このような現実を造り出してしまった、大きな要因なのでしょう。
もちろん、Y氏にも報告すると、当然のごとく、検査の前に墓参りをすることを強く勧められました。「悪い結果が出てからでは、それを覆すのは難しい。検査前に墓参し、気を蓄えて臨めば、病巣が消えるか、消えなくとも悪性が良性に変わる」と言われ、再び墓参りを決め、それと並行して、整体師I氏の治療も受け始めたのです。こうして、悪魔は手を緩めることなく、さらなる的外れ人生へと私を引きずり下ろし続けるのでした。
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