出産後ほどなくして、以前からレギュラー出演をしていた江藤博利さん(元ずうとるび)の劇団からオファーを頂きました。もちろんうれしいお誘いでしたが、舞台となると、稽古と本番を合わせて多くの日数を要するため、息子の対応に関して悩みました。
2人の母たちは、遠方にいて仕事もしていたので多くのお願いはできない。Aは、私に仕事をしてほしいと願っていたので「やればいい」と言ってはくれるものの、いざスケジュール相談となると「先のことは分からない」「勝手にやって」と、不安な回答ばかり。
そこで、同じ街に住む、ママタレントの先輩Mさんに相談をしたところ、Mさんのご主人のお母様が「地域子育て支援サークル」のスタッフで、サークル会員とほぼ同額でベビーシッターをしてくださることになり、母たちやAに頼めないときのフォローが整い、本番までのスケジュールを立てることができました。
「さあ、これで心置きなく舞台に臨める ! 」と思いきや、ベビーシッター当日に「今日は俺が面倒みるからキャンセルして」と、度重なる突然キャンセルの指示・・・。お詫びの電話をかける私(汗)。Mさんから「くれぐれもドタキャンはしないでね。義母も、そのために時間を作っているから」と言われていたことをAに伝えると、「お前は、自分の子どもを他人に預けて平気なのか」との回答・・・。
お願いしていた日に「突然予定が入ったので頼む」と義母に連絡、困った義母から私に電話がきて、慌てて稽古を早退する・・・などで、稽古に集中できない日々が続き、周囲にずいぶん迷惑をかけてしまいました。それでも、何とか後半からは落ち着いてきて、無事に千秋楽を迎えることができました。
江藤さんはじめ舞台関係者の皆さんのご理解、家族の協力、Iさんの柔軟なご対応、そして、赤ちゃんだった息子の頑張りのおかげでした。子育てをしながら仕事をすることの大変さを、初めて知った出来事でした。
その教訓を得て、出演依頼を頂いても、単発のステージのような拘束期間の短いものか?周りに迷惑をかけず子育てに極力負担がないものか?すべてにおいて責任を持って務められるのか ?・・・を慎重に考えて決めるようにしました。また、急にスケジュールが入る可能性のあるAにお願いするときは、いろいろな場合を想定して準備しておくように心掛けました。
そんな中、無事終えることができたときは、今まで以上の達成感や感動がありました。特に、コンビ「エンジェル」時代のマルセ先生に誘っていただき、「だるま食堂」さんら女性芸人だけを集めて“国立演芸場”で開催された「女だらけのファミリー寄席」に、岩間沙織さん(元セイントフォー)らと即席トリオを組み、久々の「演芸のステージ」ができたことは、本当に感動的な経験でした。
どれも最後まで無事できたのは良かったものの、大変なこともいろいろあって、あらためて自分の置かれている現状を考え、「子どもが小さいうちは、表に立つ仕事は控えよう」と決めました。そこで、脚本などの制作的な仕事を確立していこうと、細々ながら行っていきました。
息子と夜9時ごろに寝て、早朝3~4時に起きて執筆する。「これなら、家族に迷惑も負担もかけない!」と考えたからでした。そして「小学校に上がるまでは、息子のために時間を作ろう。少しでも一緒にいよう」と決めました。それは、私の両親が共働きで、他の子どもたちに比べ、母が行事に来られないときも多く、「寂しい」と感じるときがあったからです。その分、祖母が来てくれたのは感謝でしたが、やはり子ども心としては「いつも、お母さんに来てほしい ! 」でした。
息子の場合は、その祖母たちも来られない方が多かったので、なおのこと「息子には、うれしい思いをいっぱいさせてあげたい ! 」と、「母の会」の役員や、PTAの大変な係も引き受け、行事以外でも頻繁に幼稚園に出向きました(断れない性分だったこともありますが(^^;))。
また、母子一緒に皆で遊びに行くことも多かったので、そういう交流にも息子と一緒にいつも参加しました。息子との楽しい思い出もたくさん作ることができ、ママ同士の絆も深まり、助けられることも多々ありました。今でもお付き合いが続いている方もいて、私たち親子にとっては、実り多きものであったと感じています。
しかし、Aとはこういった私の考えや生き方を話し合う機会を持つことができませんでした。Aから来る威圧感・・・というようなものが怖く、コミュニケーションを上手く取ることができなくなっていました。「自分だけ働いているのは損だ!」と、ほとんど仕事ができなくなっていた私への「怒り」を増加させていったようです。その思いのすれ違いは、ますます夫婦関係を悪化させていきました。
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