悪魔から誘惑を受けて危うく自死するところを、元夫Aを通してイエス様が救ってくださり、一命を取り留めた私でしたが、この一件について何も語ってくれないAの心が理解できず、また怖くて聞けない状態でした。会話の無い日々は、暗くて息苦しい、出口のないトンネルに入ってしまったようでした。
人に話せば愚痴に終始し、いたずらに疲れるだけで解決策は見つからず、ただむなしいだけ。「もう『神様』しか頼るところはない!」。しかし、それは「イエス様」ではなく墓信仰「X」でした。
私が親しくしていた女性信者たちが、重い病を抱えながらも次々と子どもを授かっていて「私もあやかりたい!」と切に願ったからでした。周りから「赤ちゃんはまだ?」「早く作らなきゃだめよ~!」「一番の親孝行は、孫の顔を見せてあげること!」等々、あいさつ代わりに毎回言われることは本当につらいものでした。
悪気はないのでしょうが「こちらの状況も知らないくせに、無神経だ ! 」と怒りが込み上げるときもありました。ただ、2人の母たちは私を気遣い、そっと見守っていてくれたことがせめてもの救いでした。今も感謝しています。
しかし、もっとつらかったのは、子どものいる友人たちと会うときでした。子どもの話題ばかりになって、その輪に入っていけないことが寂しくて悔しくて、時にねたましくさえ思えて、またそんなふうに思う自分を責めたり・・・。すべての感情が複雑に絡み合い、それが怒りとなって心を激しく揺さぶりました。私の魂は「負の沼」にどっぷりと浸かり、まさに悪魔の思うつぼだったのです。
「助けてほしい!」一心で、Ⅹの教祖であるY氏の元へ向かいました。個人的な相談ができるチャンスは、施術台で波動を受けているとき。しかし、人によって所用時間が異なるため(墓参後は、波動が多く入るから長いとされていた)、短時間で終わる場合を想定し、素早く簡潔に伝えようとするのですが、そういう時に限って必ず施術中に割って入りY氏に相談を持ちかけたり、写真に波動を求めてくる信者がいて、結局何も伝えられないまま終わることもよくありました。救ってほしい気持ちが強すぎて、何も見えなくなっていたのだと思いますが、こういう行動も悪霊の仕業だったのでしょう。
しかし「こちらも崖っ淵!」。引き下がるわけにはいきません。「今日は絶対に話す!」と気合を入れ「波動注入」に臨みました。ようやく順番が回ってきて、施術台にうつ伏せになるや否や、私はせきを切ったように子どもが欲しい思いを話し始めました。
「焦らなくていいんじゃない。まだ若いんだから」と、私のことを30歳前後と勘違いしていたY氏に、すかさず「いいえ、もう36歳です!」と告げると「あら、もうそんな歳になっていたの?!」とY氏が答えた瞬間「先生!写真に波動を!」と年配の女性信者が割り込んできました。「えぇ~、 勘弁してよ~! 」。心の中で叫びました。しかし、その女性はさらに墓の相談までも始めてしまい、その間に私はうつ伏せから2段階目の仰向け体勢に移ってしまいました。
「お願い!早く話が終わって!」と天井を見つめながら祈りました。しかし、一向に終わる気配はなく、仕上げ段階の座位体勢に移行。それでもまだ話は止まず「はい。オッケー!」とついに私の波動注入は終わってしまいました(:*0*;)。
「今日もダメだったか」と落胆し、施術台を降りかけると・・・「そんなに子どもが欲しい?」とY氏が問いかけてきました。「はい !」と力強く答えると、ほほ笑みながら「よし!今、魔法かけるわ!」と言ったのです。それは、誰も言われたことがない、初めて聞くフレーズでした。いつもなら「波動を送るわ」と言うところを「『魔法をかける』って???」。不思議に思いながらも、その「魔法」ということが、とても特別なもののように思え、大きな期待を持ちました。この瞬間、私の中に「魔術の霊」が入ったのかもしれません。
それから間もなくして迎えた私の誕生日。この日起きた展開は「魔法」だったのでしょうか?それとも・・・。
◇