1年間の休業を経て、プロレス界に華々しい復活を遂げたA。やりたかった役者の仕事も思い切りでき、リングでも生き生きしていました。
ロサンゼルスで公演したショー(私の脚本&演出でした)に出演したり、春一番・神奈月君たちと一緒に定期開催していた「プロレス・お笑いライブ」に蝶野正洋さんとゲスト出演をしたり、江藤博利(元ずうとるび)座長率いる喜劇劇団では、夫婦共演もさせていただきました。
お互いのブレーンをコラボし合うことでさまざまな可能性が広がり、活気付いていきました。が、その分多忙になり、スレ違う日々が続いて会話も徐々に減り、Aは、あまり自分のことを話さないようになっていきました。私は、彼より先に帰宅するように努め、遅くなるときは食事の準備をしてメモを置いて出るなど、いろいろ気を使い、努力していたつもりでしたが、彼の希望には足りていなかったようでした。「結婚しても仕事は続けてほしい」と言って応援してくれていた安心感で、気付けなかったことがたくさんあったのかもしれません。
そんな折、私が大変お世話になっていた劇団の座長にAが大変気に入られ、出演オファーが来ました。その舞台で事件は起こったのです。
外部からアンサンブル・ダンサーとして出演をしていたMさんが、Aに大いに好意を持ち、大胆なアタックを仕掛けてきたのです(・・;)共演をしていた親しい役者仲間たちが、心配して知らせてくれたことで分かりました。Mさんは、Aの他、男優の方数人にもアタックしていたらしく、しかもすべてパートナー(妻・恋人・婚約者)のいる方ばかりだったことで、至る所で問題が勃発していた、というのです。
Aのことは信頼しつつも、会話が減っていたことで心をうまく読み取れず、不安と心配は募る一方でした。そして、ついに我が家にも爆発が起きてしまったのです!
ある朝、MさんからAの携帯に電話が入りました。稽古場に行くのに「自宅まで迎えに来て」とお願いされていると察しました。「女の感」は鋭いと申しますが、見送った後、「事実を確かめたい!」思いに駆られた私は、その夜、Aが長風呂に入ったのを見計らい、「携帯を盗み見る」禁断行為に走ってしまったのです。
いけないと分かっていながら、押さえることができませんでした。「悪いことじゃない。皆やってるじゃないか。今がそのチャンスだ!早く確かめろ!」。悪魔の誘惑に負け、開いたメールを見た途端、全身が炎上するほどの戦慄が走りました。そこには、Mさんから送られた、絵文字満載の、猛烈ラブアタックメッセージがぎっしり!!一つ一つ読み進めていくうち、その大胆でいわゆる「非聖書的」な内容に、私の「怒りのケトル」は沸点に達し、形容し難い感情音が、お腹の底から「ピーーーーー!!!」と鳴り響き、「嫉妬の熱湯」が派手に噴きこぼれました。
「嫉妬」の感情に鈍感だった私が、気がおかしくなって壊れかけたほどでした。それまで1度も味わったことのない感情でした。コミュニケーションがしっかり取れていれば、「こういう人もいるんだ」と一笑に付して終わっていたことだったと思います。後に、自分にまったく興味を示さないAをもどかしく思い、Mさんが楽屋で大々的に愚痴っていたと聞きました。Aは、私を裏切る心など少しも無かったのです。
人は、自分の置かれている環境によって、簡単に感情のコントロールができなくなるものだと痛感しました。イエス様と共にいなかった当時は、すべてを自分1人で背負ってしまい、拠り所もなく、とても苦しみました。その夜は、Aを問い詰める気持ちを必死で堪え、床に就いたもののまったく眠れず、気付けば朝になっていました。
「冷静に!」と怒りの感情を鎮めようとしましたが、抑えることができず、ついに「これは一体どういうこと?!」と、朝一番、迫ってしまったのです。「まったくの誤解。何も無い」と、Aも最初のうちは冷静に返していましたが、私の高ぶる炎がやがてAにも着火し、今まで溜めていた不満を一気にぶつけられました。
私の努力と心遣いを完全否定するような酷い言葉の攻撃に、情けなさ・悔しさの感情が複雑に絡み合い、自己コントロールが不能となりました。そして、Aが仕事に出て行った後、私は荷物をまとめ、家を飛び出したのです。しかし、身を置いた先は意外な場所でした。そして、再び私の足は「X神」へと誘(いざな)われていくのでした。
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