ホリプロ退籍後、芸人時代の先輩Mさんと偶然再会し、その縁で、かつてお世話になったSさんのプロダクションにしばらく籍を置くこととなり、後輩芸人の指導や司会など、地道に業界の仕事を続けていました。
その頃、舞台の仕事を通じて親しくなった役者仲間の影響で、小劇団関係者との交流が広がり、彼らの勢いある舞台に触発され、「劇団を作りたい!」という思いを募らせていき、同年齢で感覚も合うと感じた、劇団東京ヴォードヴィルショー出身の女優と2人で劇団を結成、お互いのブレーンを集結させ、旗揚げ公演に臨みました。
しかし、開始早々から制作は大荒れ。私と彼女の価値観の違いは予想に反して大きく、ブレーン同士も同様で、作品に対しての話し合いが常にけんか腰の論争になり、自己主張の強い人たちの攻撃で、ひどく傷付けられる人まで出てしまいました。とうとう本番前に内部分裂が生じる事態にも発展したり・・・その嵐に振り回された私は、かなりの精神的ダメージを受け、なんとか本番はやり遂げましたが、「これ以上継続は不可」と判断し、「旗揚げ公演が解散公演」となってしまいました。「発展的解散」という形で、辛うじてけんか別れだけは免れました。
その後、新たに「主婦女優のユニット」を立ち上げるも、稽古開始早々1人が妊娠。出産後に「さあ、これからだ!」と張り切ったが、こちらも前回と同様のトラブルにより、2回の公演で解散。それからしばらくして、和洋折衷の「歌ユニット」を結成し、作詞と制作を手掛け、インディーズレーベルで2枚のアルバムを作成。ライブ活動を開始すると、間もなくして私が妊娠! 出産後、子育てをしながらも活動を継続する工夫をし、さまざまな提案をしていったのですが、ここでも音楽監督との方針にズレが生じ、さらに、1人のメンバーの所属事務所社長と音楽監督が犬猿の仲となって、ユニットは自然消滅しました。
そんな「迷走」を繰り返していた私は、思い悩み、「姓名判断」で次々と名前を変更。「タロット占い」を繰り返し、定期的に「墓参り」をするという「非聖書的行為のオンパレード」の日々を送るようになっていきました。クリスチャンになってからは、「イエス様一筋!」ですが、「X神」を信仰していていた当時は、いつもどこか満たされず、占いやスピリチュアルなど、「X神」以外に「手を出して」しまうときも多々ありました。
名前は、「佐伯怜子」「佐伯怜胡」「春美麗子」と変遷し、この間、本名に戻ったこともありましたが、「この字画は、物事を立ち上げても、自分以外の人間によって内部崩壊が生じ、何事も成功しない」と、毎回どの占い師にも似たようなことを言われ、その言葉を信じて変えるのですが、一向に良くならず、悪くなる一方でした。
「春美麗子」の時は、変えた途端に霊感の強い友人から、「悪い気を感じるから今すぐ変えて!」と言われ、慌てて変更・・・まるで「変な力」にもてあそばれているようでした。両親が、私を愛し名付けてくれた「佐伯玲子」という名前に感謝せず、知らぬこととはいえ、神様が嫌う「占い行為」で散々汚していたのです(・_・;)・・・今は、「佐伯玲子」という名前に感謝しています!
そんな渦中、物まね仲間だった「神奈月」さん、「春一番」さん(故人)らと、「闘魂伝笑」なる、お笑いとプロレス(格闘技含む)のコラボレーションライブを行ったり、幕張メッセのモーターショーのブース演出をさせていただいたり、また、アクシデントの連続ながらも、脚本・演出で、初のロサンゼルス公演ができたりと、エキサイティングな経験もありました。しかし、これらの企画も、環境の変化などの諸事情により、長くは続けられませんでした。
「TVドラマ」の企画実現を頑張ったこともありましたが、バブル崩壊後は、テレビ局も冒険をしなくなり、「有名作家先生の書き下ろし以外は、本や漫画などの媒体である程度評価が出ている作品でないと、まず起用不可能」と言われ、「ならば小説化もしくは漫画連載!」と、コンクールに短編小説を出したり、漫画の原作を手に、出版社回りに奔走しました。
しかし、辛辣(しんらつ)なダメ出しとともに断られたり、あと一歩のところで白紙になったり・・・。こんなことを繰り返すうち、「私の夢は成功しない。実現しない」という「失敗の法則」が、徐々に私の心の中に擦り込まれていきました。「面白い作品ができた!これで一旗揚げてやる!」と意気込んで応募し、売り込みに行きながら、心のどこかで「今回もきっと無理だろう・・・」という否定的な考えが頭をもたげ、結果その通りになる。「成功」より「失敗」のイメージの方が大きい・・・完全に「負のサイクル」に閉じ込められてしまったのでした。
そして、この「負のサイクル」は、プライベートでも起きていきました。
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