結婚式の2日後に阪神淡路大震災が起き、世の中は大パニックの中にいました。この震災を予言した教祖Y氏は、私たちの結婚式の司式がなければ大阪に行っていたそうで、「佐伯さんたちに救われたわ~!」と感謝されました。一方、私たちは「Xの神様に守られたんだ!」と、この“奇跡”に感動しました。
しかし、感動に浸っている場合ではありませんでした。結婚式は無事済んだものの、震災の影響で、1カ月後の披露宴に私側の親族のほとんどが出席できなくなってしまったのです。すべての親族が西日本に住んでいたため、数十人いた出席者が、たった2人に( ̄□ ̄;)!! 新郎側も約10分の1に激減してしまったのです! だからといって、他のご招待客の方々のことを考えると延期もできず、予定通り行うことになりました。
披露宴当日、親族だけでの記念撮影の場。体裁を繕う苦肉の策で、私の高校・短大時代の友人にも入ってもらいましたが、それでも人数は新郎側の3分の1がやっとでした。将来の破綻を予期する不穏な船出となりました。・・・が、披露宴はそんな不安を一掃する、華やかなものになりました。
媒酌人に藤波辰爾ご夫妻、司会は伊集院光さん、プロレス界からは、アントニオ猪木会長(当時)、坂口征二社長(当時)他、多くのレスラーの方々、芸能界から船越英一郎さん、片平なぎささん他、俳優の先輩や仲間たち、演芸界から三遊亭楽太郎(現6代目圓楽)師匠、春風亭昇太師匠、バカルディ(現さまぁ~ず)、そして、当時「エンジェル」というコンビを組まれていたマルセまゆみ先生(「主イエスの恵み教会」牧師)他、多くの業界関係者のご出席を賜り、喜び溢れるものとなりました。
少しでも多く楽しんでいただこうと、2人でプログラムを考え、台本を書き、役者仲間の応援を得て、歌、ダンス、コントなどを網羅した、エキサイティングな披露宴を行うことができました。的外れの信仰でしたが、それまでの人生で「神様」という存在に最も感謝した日でした。父の他界後、女手1つで私を育て、たくさんわがままを聞いてくれた母へ、「最高の親孝行ができた!」と思ったからです。
そして始まった新婚生活は、「感謝」の毎日でした。何を見ても何をしても、うれしくて幸せでした。しかし、どこかで「幸せの分、いつか、試練という不幸がやって来る。それは一体どんな形で来るのだろう・・・?」と、ふと不安になる瞬間もありました。真実の神様を知らなかったが故の「恐れ」でした。その「恐れ」が、後の「破綻」を招いた要因の1つだったのかもしれません。
それから、わずか1カ月後に起きた「オウム真理教・地下鉄サリン事件」も、「恐れ」を増幅するものでした。残虐非道な無差別テロは、多くの犠牲者を出しました。「水道水にサリンが混入されている!」という偽情報まで流れ、水道水を使うのが怖くなった時期もありました。
そんな中、Y氏からある「奇跡」の話を聞かされたのです! 「事件当日、地下鉄のトイレを清掃していたX信者のAさんが、“サリンの入った?!不審物”を発見し、知らずに素手で触ってしまったが、何事もなかった」というのです!
「Xの観音グッズ(カードとペンダント)を身に付けていたから守られた」「しかし、逆に怪しまれ警察で事情聴取を受けたが、結局、無事に解放された」というものでした。私は、Aさんをよく知らず、また本当にサリンだったのか?!真実は分かりませんでしたが、それでも、「たとえ世の中に大きな艱難(かんなん)が起きたとしても、X神を信じていれば助かる!」という確信は次第に大きくなっていきました。
他のことでも時々、矛盾や不信を抱くことはありましたが、それでも信仰をやめなかったのは、「Xから離れたら、どうにかなってしまう・・・」という「恐れ」からだったと思います。喜びと光に満ちた新婚生活の中で、気付かぬまま、ますます真実の神様の光から離れていってしまうのでした。(つづく)
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