「墓参のおかげで、結婚準備は至って順調!」と、私は幸せの絶頂にいました。しかし、それを一転する一大事が起きたのです!
私たちは、某県の別荘地に建てられたXの奉仕施設で結婚式を挙げ、披露宴は後日、東京プリンスホテルで行うことを決めました。当時、新日本プロレスが「レッスル・ディナー」というイベントを全国のプリンスホテルで開催していたご縁からでした。
ホテルでの打ち合わせを終え、ハッピーな気分で留守番電話を確認すると、信者のSさんから、「近いうちに東京で大地震が起きるかもしれないという予言を、Y先生が神様から受けた。鎮めるために、家の周りを7日間浄めるようにと、連絡が回ってきた」と入っているではありませんか!!
驚いた私は、すぐSさんに電話をして詳細を聞きました。それは、「Y氏が富士山上空を飛行機で移動中、頭の中に突然、夜の大都市で大地震が起き、至る所で火災が発生、高速の橋桁が落ち、ビルや家が大きく倒壊している映像が飛び込んできた。東京に大地震が起きるかもしれない。そして、X神は『ドヨ~』と告げられたから、『土曜日』が危ない」というものでした。
困惑しました。「なんで今なの?!」と、幸せ気分が一転!心配と恐怖に変わりました。が、「東京に大地震を起こさないためには、土地を浄めるしかない! 結婚式ができないなんて絶対嫌だ!」と奮起。その夜から7日間、Aと共に御神酒、粗塩、洗米を手に、毎晩家の周辺を浄めて回りました。
そして、迎えた1995年1月15日。私たちは、Xの奉仕施設にて、Y氏の司式で結婚式を挙げました。参列者は、お互いの家族と結婚式の奉仕で来た数人の信者たちという、こじんまりとしたものでした。私たちは「X神」を真の神と信じ、その前で「結婚の誓い」をしてしまいました。
Y氏は、「今日は、せっかく施設を開けるから」と、ひどいリウマチと顎関節症で苦しんでいた女性信者を特別に呼び、式後に皆の前で波動を入れ始めたのです。すると、女性信者の顎がグルグルと回り始め、1時間ほど止まりませんでした。
その光景を目の当たりにした私たちの家族は、「さすがに、1時間も顎を回転させるなんて、サクラではないだろう・・・」と関心を持ち、その女性信者の症状が良くなったのを見て、Y氏の「波動の力」を信じ始めました。また、「Xの教え」も興味深く聴いていました。
Aの兄弟たちは、自分の人生に今まで起こった問題を「Xの教理」と照合させ、深くうなずく場面もありました。私たちが信じていたX(墓信仰)を、双方の家族が理解してくれたことで、「実り多き結婚式を挙げられた!」と2人で喜びました。
その2日後、1995年1月17日午前5時46分。マグニチュード7・3の巨大地震「阪神・淡路大震災」が発生したのです。1923年の「関東大震災」以来の大地震は、関西エリアに多大な被害をもたらしました。東京ではありませんでしたが、大都会であり、夜明け前のまだ暗い時間に起きたその悲惨な被害の様子は、まさにY氏から伝えられた光景と極似していました。
後日、「皆さんが東京を浄めてくださったおかげで、東に出るはずだった地震が、西に移動したのです。特に神戸は、『神の戸口になる場所』でありながら、都市開発で海の埋め立てをするなど、自然の気の流れを狂わし弱めてしまったので、それを整えるために吹き出たのです。それから、『神様(X)』がおっしゃった『ドヨ~』は、土曜日ではなく、『土用の丑(うし)の日』のことでした」と・・・。
ここまで力を見せられると、「Xの神様はすごい! やはり、一番力のある神だ!」と、さらに強く信じるようになりました。そして、間もなくして起きた「オウム真理教・地下鉄サリン事件」(1995年3月20日)で、また「Xの奇跡の話」を聞き、ますます私の的外れな「信仰」は「進行」していくのです。(つづく)
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