聖路加(ルカ)国際病院名誉院長の日野原重明さんの葬送・告別式が29日午後1時から青山葬儀所(東京都港区)で営まれた。司式は聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂のチャプレン団、告別説教は主任チャプレンのケビン・シーバー司祭が行った。以下がその説教の概要。
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敬愛する日野原重明先生が成し遂げられた偉業をこの場で一つ一つたたえても、たたえ尽くせません。ただし、キリスト教信仰においては、人の功績と天国への望みはまったく無関係です。日野原先生もそのことはよくご存じでした。先生が長年温めてこられたこの信仰について少し説明させていただきます。
キリスト教信仰では、「すべての人間は神の憐(あわ)れみを必要としている罪人である」と考えます。聖書がいう「罪」とは、あからさまな大罪ではなく、自分の創造主である神に背を向け、神がいないかのように生き、神によって生かされている恩恵を認めないことを意味します。その意味では、神を認めない世の中に生まれた人間は皆、罪人だといえます。人間がそんな風潮に流され、神に背を向けていることが、世の中のさまざまな苦難や悲劇の原因となっています。それとは違う生き方、違う価値観に基づいた暮らし方をしようと思っても、なかなか難しいのが現実です。
ところが、そういう人間でも、創造主である神は父親のようにとことん愛してくださいます。そして、人間を罪の悲しみから解放するために、御子イエス・キリストを送ってくださいました。イエス・キリストは十字架の上で、罪人の代わりにご自身の命という高い代価を払って、私たちの罪の赦(ゆる)しを勝ち取ってくださったのです。
これを「福音」(良い知らせ)といいます。日野原重明先生はこの福音を子どもの頃からよくご存じでしたし、この福音は先生にとって大きな力となりました。先生のすべての功績は、こういう神の憐れみへのお返しだったといえます。
よど号ハイジャック事件の時、先生はそのことにより深くお気付きになりました。「神様が赦して、改めて命を与えてくださった」という強い確信をいだき、残された命をもって社会や人々に仕えようと決心なさったのです。
変動の多い時代を過ごしたクリスチャンドクターとして、日野原重明先生はこの神の憐れみをさまざまな活動を通して私たちに示そうとなさいました。一流の医療をはじめ、音楽、新老人の会の活動、子ども向けの「いのちの教室」などです。
神の憐れみは確かなものだからこそ、今日、私たちは確信をもって日野原先生を神様のもとに送り、天国での幸福を祈れるのです。