聖路加(ルカ)国際病院名誉院長の日野原重明さんの葬送・告別式が29日午後1時から青山葬儀所(東京都港区)で営まれた。司式は聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂のチャプレン団、告別説教は主任チャプレンのケビン・シーバー司祭が行い、約4千人もの参列者が聖書の言葉に耳を傾け、祈りと賛美に心を合わせた。シーバー司祭は説教の中で、「日野原先生のすべての功績は、自分の罪を赦(ゆる)してくださった神の憐れみへのお返しだった」と日野原さんの信仰を伝えた(説教の概要)。
告別式に先立ち、シーバー司祭と上田憲明司祭に聖ルカ礼拝堂(東京都中央区)で話を聞いた。1933年に竣工したネオゴシック様式の聖路加国際病院旧館(7階建て)の中央にある礼拝堂(36年完成)は、まるで中世にタイムスリップしたかのよう。天井が高いため、各階のバルコニーから礼拝に参加できるような構造になっている。
日野原さんが呼吸不全のため、東京都内の自宅で召天したのは先週18日朝。今年3月下旬から、消化機能の衰えにより食事が困難になって入院したが、経管栄養による延命措置は本人の希望により行わなかった。その数日後には退院し、自宅療養を続けていた。
シーバー司祭は、日野原さんが召天した日は立ち会うことができなかったが、危険な状態と言われた14日(金)夕方、自宅を訪問したという。
「まだその時は日野原先生の意識がクリアだったので、塗油式(病人の癒やしのためオリーブ油を額などに塗って祈る)をして、ご家族や院長らと一緒に賛美歌を歌って祈る時間を持ちました。その賛美の歌声を聞きながら日野原先生は涙を流し、お祈りの最後もしっかり『アーメン』と言われました。皆、言いたいことはちゃんと伝えて、すごくいい会話でした」
司式をする上田司祭は、2003年からチャプレンをしていて、日野原さんとの関わりも十数年に及ぶ。
「5、6年前から日野原先生は、自分の死ぬ時に必ず鳴っていてほしいのがフォーレの『レクイエム』、特に『ピエ・イェズ』だと言っておられました。愛唱賛美歌は『丘の上の主の十字架』(『讃美歌21』303番)。聖路加での合同のクリスマス礼拝などではいつも日野原先生があいさつをされるのですが、それがいつの間にかクリスマスの意味を伝える説教になっていました」
日野原さんのクリスチャン医師としての姿はどのようだったのだろうか。
「つい最近まで、緩和ケア病棟に毎週木曜日のお昼頃、回診して、人生の最期を迎えようとしている患者さんの手を取り、医者としてごく自然に祈り、いい励ましと助言の言葉を掛けていました。何より日野原先生が部屋を訪問するだけで、すごく明るく変わったりする患者さんが多いです。延命効果があります」
そうシーバー司祭が言うと、上田司祭が「日野原効果」と合いの手を入れた。「日野原先生は初めて会った患者さんともいろいろな話をされます。その上で短く、患者さんが疲れない程度に祈られます。それで回診から帰ってくると『今日の患者さんはこういう人だよ』とわざわざ私に言ってくれたりしました」
「日本で病院に音楽療法を導入したのが日野原先生です」とシーバー司祭。「日野原先生がずっと関わっていた患者さんがもうすぐ息を引き取るという時、私を呼んで、音楽療法士を連れて病室訪問したのですが、賛美歌を歌っている中で患者さんが亡くなられたのです。そこにいた日野原先生は『こういう最期は素晴らしい。私もこういうふうに人生の終わりを迎えたい』と言われたのですが、まさに日野原先生はそのような時を過ごされました。とても穏やかで、苦しむこともなく、皆に賛美歌を歌ってもらい、それ以外はずっと賛美歌のCDを流されていました」
日野原さんはどのようなクリスチャンだったのだろうか。
「日野原先生が好きな聖句ですか。『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ』(ヨハネ15:5)。それは日野原先生のクリスチャンドクターとしてのアイデンティティーにもつながっていると思います。自分がイエスさまにつながって、イエスさまから命と力と賜物が流れてきて実を結ぶと考えておられた」とシーバー司祭。
「この礼拝堂に創始者のトイスラー先生の言葉の刻んだタブレットが飾られているのですが、そこに『ADVENTURE IN CHRISTIANITY』と書いてあります。日野原先生がそれを見て、『そうそう、これが私が言いたいことなんだ』とおっしゃられていました。クリスチャンである自分が新しいことに取り組んでいくということがすごく大切なことだと」
そう上田司祭が言うと、シーバー司祭もうなずく。「常に日野原先生はチャレンジャーです。神さまに与えられたものをきちんと受け止めて応えたいという意味で、常に新しい領域に入ろうと考えていました。それは医療だけではなくて、音楽とか、スプリチュアルケアとか・・・」
「90になってからゴルフを始め、俳句をやり始めた」と上田司祭がそれを受けると、シーバー司祭も「100歳からフェイスブックを始めたんです」と付け加る。
「日野原先生をひとことで言うと、いろいろなことに関心を持つ人。やったことで満足せず、常に新しいことに目標設定をして進んでこられました。『常に福音を伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい』というアッシジのフランチェスコの言葉がありますが、聖路加のミッションは、神の愛を一流の医療と看護を通して伝え続けるということです。そのミッションを今でも聖路加が意識し続けられているのは日野原先生のおかげです。患者さんからも、聖路加の雰囲気、患者との接し方はやはり質が違うと聞きます。そのキリスト教精神はちゃんと生きています」とシーバー司祭は力を込めた。
葬儀後、聖路加国際大学の旧館2階にある聖ルカ礼拝堂に献花会場が今月31日から8月4日まで設けられる。時間は午前9時から午後3時。東京メトロ有楽町線新富町駅か日比谷線築地駅からそれぞれ徒歩数分のところにある。
聖路加国際大学と聖路加国際病院が建っているのはもともと築地居留地(明治時代、外国人を1箇所に住まわせた場所)。ここには、横浜に続いて東京で最初のカトリック築地教会(35~36番地)やプロテスタント各派の教会が建てられるとともに、明治学院大学(元東京一致神学校、17番地)、女子学院(6番地)、青山学院大学(元海岸女学校、10→18番地)、立教学院(37→57~60番地)、雙葉学園(45~47番地)、暁星学園(カトリック築地教会内)、関東学院大学(元東京中学院、42~43番地)、女子聖学院(14番地)といったキリスト教主義学校の発祥の地でもある。聖ルカ礼拝堂に献花に訪れた際、ここが日本キリスト教史における重要な場所であることにぜひ思いを馳せてみてはいかがだろうか。百数十年の時を超えて、同じ場所で日野原さんをクリスチャンドクターとして長年用い続けられた神さまの深い摂理に触れ、感謝の祈りに導かれるに違いない。