高橋三郎・島崎暉久共著『仰瞻・沖縄・無教会』(1997年、証言社)への応答
(2)無教会はどこへ行くのか
③ なぜ、著者の意図・心
本論考を、著者島崎先生はこの主題で、このような展開で記述している。なぜか、その意図は何か。1つの大切な手掛かりがあります。
82ページ、1行目と2行目、前半「以上私は、沖縄内村鑑三先生記念キリスト教講演会について述べた」と、後半「沖縄以外の全国各地で行われている講演会はどうなのかを私は知らない」との結び、さらに、83ページの4行目、「さて講演の翌日」(83ページ)に注意したいのです。
つまり、82ページの2行目から83ページの3行目までの箇所は、講演会から、その翌日へと続く沖縄謝罪の旅の報告としては、直接関係のない内容なのです。その部分を取り除いても、話の筋道は通る。そのような構造で全体が組み立てられています。
しかし問題は、一見横道と見える箇所の内容であり、この内容が、この箇所、この文脈に挿入される故に発揮する機能です。その機能を目指す著者の意図です。
まず、「沖縄以外の全国各地で行われている講演会はどうなのかを私は知らない」(82ページ)とある点です。もちろん、単純な意味で、「私は知らない」わけではないのは明らかです。本論考、2行目以下、「内村鑑三記念講演会について日頃思っていること」(67ページ)が、並みの内容でないのは、すでに確認した通りです。
では、「私は知らない」とは、どういう意味か。1つには、1996年6月16日の沖縄の講演会で貴重な経験をし、喜びの出会いをしたような深い意味で「私は知った」と表現するレベルから見れば、「どうなのかを私は知らない」という意味に理解できます。
もう1つは、「私は知らない」の直後に、「しかし」と続け、「内村鑑三記念講演会と無教会キリスト教全国集会の二つを精力的に行いつづけるいまの無教会集団に対」(82ページ)する高橋三郎先生の警告を引用している事実に注意することにより、手掛かりを与えられます。この文脈での「私は知らない」は、明らかに、自らを低く、小さく無にして、「無教会の再生を祈る預言者の叫び」(83ページ)に聴従せんとの覚悟の表明です。
高橋三郎先生の警告は、「十字架の言」377号、つまり1996年8月号所載のものです。本論考は、元来、1996年9月号の「証言」所載のものなのですから、島崎先生が高橋先生の警告に、いつも、いかに注意深く耳を傾けているかを見ます。月ごとに送られてくる「十字架の言」を読みつつ思索し、自分の日常の生活・経験のただ中で、「十字架の言」を読み続けているさまを垣間見ます。
高橋先生の警告の内容は、本論考全体の主題と展開、その意図と深く結ばれ、挿入部分を取り除いても話の筋が通る文脈の中に、割り込むように挿入されているため、警告の内容が力強く、本論考全体にその影響を及ぼす効果を発揮しています(参照:ローマ8章18~25節の位置、役割)。
さらに、高橋先生の1996年8月号での警告は、時の経過の中で深められ、1997年4月号の「十字架の言」にその新しい姿を現し、今また、本書において、本書の内容と構成が示すごとく、新しい文脈においてメッセージを伝えているのです。本論考において、引用という形で全体の一部として内に含まれていた警告が、本書においては、表面にはっきり姿を現し、第一論考として、本書全体の基盤となっています。
■『仰瞻・沖縄・無教会』への応答:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
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