高橋三郎・島崎暉久共著『仰瞻・沖縄・無教会』(1997年、証言社)への応答
(2)無教会はどこへ行くのか
本論考は、第二論考「沖縄からの叫び」の背景を示すもので、両者は深く結ばれています。島崎先生ご自身が、序において、「第二論考の『沖縄』から読み始め、つぎに第三論考の『無教会』へと読み進み」と指示している通り、「沖縄」と「無教会」が鍵の言葉で、両者は切り離せないのです。
第二論考の意図は、最後の4行において水面に現れ、凝縮されています。そこには、沖縄戦、その中での教会の罪のための、無教会の一員・「私」のざんげのみが表面に現れ記されています。しかし、実は水面下で、戦後50年の日本の罪のためのざんげの祈りを沖縄に求め、戦後日本の歴史の中で生きる無教会の罪のため、教会の祈りを求める内なる声を聞き取り、受け止めるようにと切なる訴えがなされていると見ました。この水面下の切なる声が、第三論考においては、表面に現れ、直接文字として刻まれています。
① 何が
(イ)内村鑑三記念会
本論考の一行目、「この標題(無教会はどこへ行くか)で今回の沖縄内村鑑三記念講演会に関連して感じたことを述べておきたい」(67ページ)に、注目したいのです。目前の沖縄での講演会と同時に、「関連して感じたこと」に、著者の心は注がれ続けています。
まず、「日本の各地で行われている内村記念講演会」(67ページ)を取り上げています。
「以上、内村鑑三記念講演会について私か常日頃思っていることを述べた」(76ページ)とあるように、67~76ページには、著者が本土において属し、自分自身の課題である無教会――具対的には内村鑑三記念会――をめぐり、率直な思索を絶えず継続し、サタン(第二論考での悪霊と同じか)の攻撃にさらされ、その中に陥っているかに見える無教会の罪を直視し、考えてきた事柄を明らかにしています。
幾つか具体的な点に絞って見ると、第一に、「人間内村の名を冠した記念講演会がいつまでも精力的に行われるのは、日本人の精神構造の奧深くに入り込んだ先祖信仰が内村記念講演会という形として外に出ているのではないか」(68ページ)と、まさに「第一戒に背反する罪」(62ページ)にも関わりかねない課題。
第二は、「無教会内部に発生する正統と異端の峻別(しゅんべつ)」(69ページ)。これは、「記念講演会の講師を出した集会は無教会の正統という暗黙の了解」(71ページ)が生み出す、この記念講演会の「弊害」(71ページ)で、「自己を神とする精神」(73、74ページ)に対するプロテストを継続することをやめ、「無教会が無教会に課せられた世界史的使命を見失い、セクトになってしま」(74ページ)う悲しむべき事態を生み出すと恐れるのです(74ページ)。
以上に見る、内村記念講演会をめぐる深刻な課題に直面している中で、島崎先生は、那覇聖書研究会から講演の依頼を受けたとき、「『そうだ、いま謝罪に行かなければならない』という思いに満たされ、引き受け」(76ページ)、総勢7人で沖縄へ向かい、那覇聖研の方々と出会い、まず6月15日、宮城航一宅の夕食会、そして「翌十六日午前中、私は一時間三十分の聖書講義をし、その後の昼食感話会に臨んだ」(77ページ)のです。
那覇聖書研究会の小さいことに驚き、「この小さな集会が、二十二年間も毎年、内村鑑三記念キリスト教講演会を行いつづけてきたという事実」(78ページ)に、さらに驚くのです。
(ロ)内村鑑三先生記念キリスト教講演会
第二論考「沖縄からの叫び」が語られた、1996年6月16日午後の内村鑑三先生記念キリスト教講演会の様子を伝え、当日の参加者(筆者もその1人)を見て、「那覇聖研が神の民として、教会と共に生きていることを意味する。沖縄無教会は、教会に接続している」(80ページ)と判断するのです。
これは、単なる現象的側面の話ではなく、歴史上に自らの位置づけをなし、セクト化の罪から解き放たれる沖縄無教会そのものの在り方に触れるもので、「歴史への接続を無視するならば、一つの熱狂主義になる可能性を内に秘めることになる。しかし沖縄無教会はしっかりと教会に接続しているので、沖縄無教会が熱狂主義的高ぶりに陥ることはないだろう」(80ページ)との期待に通じます。
(ハ)全国各地で行われている内村記念講演会
沖縄を訪問する以前の経験が視点となり、沖縄での経験が視野に入ってくるだけでなく、「沖縄内村鑑三先生記念キリスト教講演会について述べたが、沖縄以外の全国各地で行われている講演会は」(82ページ)と、沖縄での経験を視点として、全国各地を視野に入れ、「無教会の再生を祈る預言者の叫び」(83ページ)を警告(82ページ)として聞く。第一論考こそ、この叫びの凝縮です。
(ニ)講演会翌日の経験
「並のものでなかった」(84ページ)、那覇聖研の友寄隆房氏の案内による、沖縄各地の訪問(83ページ以下)、特に沖縄戦当時、南風原陸軍病院糸数分室であった、糸数壕での経験(84~87ページ)。
「安保。これが日本本土の罪だ。本土のキリスト教界はなぜこれと戦わないのか。先頭に立って戦うべきではないのか。本土決戦の盾にされた沖縄。ガマ(壕)は泣いている。叫んでいる。それでいいのか。痛まないのか。お前は」(88ページ)。この叫びへの著者自身の応答の1つが、「証言」誌掲載となる、講話の文章化であり、さらに本書の出版なのです。そして本書の読者である私たち一人一人も応答が求められています。
■『仰瞻・沖縄・無教会』への応答:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
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