A修道士と断崖絶壁のツアーを終え、居室に戻った。着ていた服は汗でビシャビシャになり、久しぶりにシャワーを浴びた。この修道院は巡礼者用に、トイレの横に温水のシャワーが完備されており、どこかの修道院のように真水ではなく、落ち着いてこの日は浴びることができた。
アトスへ来ていると、当然お風呂の問題が出てくる。特に、6月以降の夏シーズンは、少し外に出ただけで、太陽の光が体に強く当たるのを感じ、粒の汗が体中からポツポツと落ちるほどである。そんな時は、当然シャワーを浴びたくなるが、設備の整っていない修道院では何もできなく、ただただ落ち着いて体の放熱を待つのみであり、3、4日風呂に入らないのは当たり前の話になってくる。
旅も終わりに近づくと、頭が痒くなってくるのを何度か体験したことがある。その点、この修道院は設備が整っており、気持ち良く温水で汗を流すことができた。少し休み、写真データの整理をして、再び修道院内の散策を開始した。
崖の中腹に建つこの修道院、当然正門の入り口から、上へ上へと登らなくてはならない造りになっている。何百段もある石の階段、しっかりと一段一段造られてはおらず、まばらでツルツルと滑る。ご年配の方や、足の悪い方には、到底困難なのである。その昔、侵略を防ぐためにも造られたであろうということを、歩いていてあらためて感じる。
登り切ると、そこは少し広場になり、大きなラヴラの聖堂とは異なり、こじんまりとした主聖堂が姿を現す。その周りは城壁に囲まれ、外から見てもこの主聖堂があるとは分からない造りになっている。
ふと、聖堂の横を見ると、そこは青の世界。すなわち、大海原が見渡せるのである。そして、遠くから見えていた、あのデッキ、テラスの部分へとつながっている。いつ壊れるのか分からない、信用のできない足下、歩くたびにギコギコと音を立てるが、毎日修道士はここを歩き、あのシマンドロを叩いて回る。
建物に沿って、このデッキテラスは造られ、そのうち巡礼者が歩けるのは、聖堂の階とつながっている1段分のみで、裏側へ回ると、6段以上のデッキテラスが造られ、こちらは修道士専用となっている。デッキと居室はつながっており、各部屋から大海原、いわゆるオーシャンビュールームとなっており、修道士たちは毎日この眺めの良い部屋で生活をしているということになる。
また、アトス山もすぐそこに見え、絵で見た山とこの修道院のテラスにいるということから、アトスにいるという時間を肌で感じることのできる修道院である。
晩の祈りに参加した。すると、チラチラとこちらを気にしている修道士がいた。
こちらも気になる。そう、明らかに西洋人の顔つきではなく、もしかして日本人かな、東洋の顔つきをされていたのだ。祈りの後、その修道士は近づいてきた。このアトス内含めて、東洋からきた修道士はこの方ただ1人だけのようである。
「私は、S修道士です。中国の生まれです。日本からですか。遠いところからよく来られましたね」。さらに続けて、「明日、お時間ありますか、お茶でもしませんか」と誘ってくれた。
翌日、朝の祈りを終え、約束の時間にS修道士と会った。すると、修道士しか入れない扉を開けてくれ、修道院の最上階へ連れて行ってくれた。そこはこのシモノスペトラ修道院の中で最もよく海を眺められる応接間であった。
温かい紅茶とクッキーでしばし談笑。日本と中国という隣国のそれぞれの生まれ、それがギリシャのこの地で出会い、お互いが祝福をし合う。いろいろな最近のニュースがあると思うが、私は素晴らしく美しい光景に見えた。
S修道士は「次来られるときは、いつでもここへ寄ってください。私の名前を出してくれれば手配します」と、念願のシモノスペトラ修道院の訪問は、新たに2人の修道士と親密になることができた。そして、この修道士たちのおかげで、翌年の降誕祭(クリスマス)の取材も無事に行うことができた。
父曰く、「何度も来て、こうやって修道士との人脈を作っていくことは大切である。私もあと何回来られるか分からないから」と。
その晩、聖堂を抜け出し、夕暮れの撮影をした。この修道院は、季節、時間によってまったく違う景色を見ることができる。赤紫に染まった、修道院。いろいろな瞬間、出会いに感謝しなくてはならない。
次回予告(6月10日配信予定)
アトスの首都カリエの病院、レストラン、商店などの情報をお伝えします。
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