夜中の3時。辺りは何も見えない暗闇。美しく、尖った三日月の下から、体のそれほど大きくないM司祭が大きなザックを背負い、現れた。
「おはようございます。それでは参りましょう」
もう1人F修道士も同行し、合計4人でラヴラ修道院の裏門から出て、修道院の持ち物である4WDのトラックに乗り込んだ。基本修道院は、夜間は門が閉ざされ、外に出ることができないので、それ自体も貴重な体験である。
窓の外は暗闇で、方向感覚さえ分からない中、F修道士は慣れた手つきでハンドルをさばく。ハイビームに照らされた前方の数メートルしか確認できなく、1本道をひたすら進む。そこからさらに道なき道を車が進む。
すると、横に座ったM司祭が私に「兄弟の名前をもう1度確認させてください」と話し掛けてきた。「アレクサンドル、ニコライ、ミハエルです」と答え、M司祭はそれをメモに書き写し、「ありがとうございます」と言ってポケットにしまった。
少しすると、薄暗い中でも開けた感覚があり、車が停まる。黒の中にも無限に距離を感じ、遠くの方で波が岩礁にぶつかる音が聞こえた。間違いなく海が近いのが分かった。
車を降り、スタスタと足早にM司祭とF修道士は歩きケリを目指す。暗闇の中にポツンと、ろうそくの灯が見えた。小さな小屋の中がかすかに光っている。そこから、1人の修道士が現れた。
「ようこそ、いらっしゃいました。Iです」と言い、ケリの中へ案内してくれた。
M司祭は慣れた手つきで、至聖所で準備に入る。I修道士もろうそくを照らし、次第に小さな聖堂は明るくなり始めた。そして、普段は入ることのできない至聖所の中へ、M司祭が招いてくれた。父も同じく準備を始めている。祈りの時が始まったのである。
ラヴラ修道院から持参してきた大きなザックの中には、パンが幾つかと祭服が入っており、M司祭は何かを小声で言いながらそのパンを切り始めた。耳を澄ますと、人の名前を言っているようであった。車の中で確認し書き残したメモ帳がすぐ横にあり、それを見ながらの作業であった。すると、「アレクサンドル、ニコライ、ミハエル・・・」と、小さく私の兄弟の名前も呼ばれたことに気付いた。
この時点では、祈りとはどういうものかということは、自分の中では消化できていなかった。今でもそれが正解かどうかということは、分からない。だが、この地の写真を撮る上で、あるテーマに自分を濾(こ)して落とし込む中で、ギリシャ正教のこのアトスの修道士たちの祈りとは、その本質とは、ということを考えさせてくれる、大きなきっかけになった出来事であったことには間違いなかった。
やがて聖歌が始まる。ここに1人で住むI修道士の声は、それは、それは素晴らしいものであった。父曰く、このラヴラ修道院管轄の中で、1、2を争うほどの美声の持ち主らしく、ラヴラ修道院の大きな祭日の時は、あの大きな主聖堂で圧倒的な響きを持つらしい。このケリに訪れていた巡礼者も3人ほど集まり、たった7人だけのひっそりとした祈りの時間が始まった。
次第に外は明るさを見せ始めた。祈りの最中であるが、暗闇の中に波音だけが聞こえ、外のことも気になっていたのは間違いない。ただ、至聖所での撮影を許されることもないので、夢中でM司祭と父のやりとりを撮っていた。また聖堂では、I修道士とF修道士の美声に圧倒されていた。
聖堂に力強い日が差し込んだ。外へ出てみると、そこは美しいエーゲ海の蒼(あお)の世界だった。
半島の突端にこのケリが建つ。ヒューヒューと鳴るエーゲ海からの強風に耐えながら。断崖絶壁の下には、夜中聞こえた波の音。何百年も時を重ね、変わらず受け継がれるこのケリでの祈り。後ろから聞こえるI修道士の声は、大きくこの地に轟(とどろ)き、まるで自然と一体となったように違和感無く心地良さを感じた。
昨日までも、そして今日も続けられていると思うと、今でもあの時の写真を見返して体がソワソワする。
人を寄せ付けないこの断崖絶壁に、ただひたすら祈りとともに生きる修道士が1人いる。ケリの裏へ回ると、さらに数軒のケリが、岩にへばりつくように建てられていた。そして、その向こうに、大きな岩山が。山頂に大きな雲がかかり、風とともに次第に現れてきた。
「アトス山だ」
次回予告(4月1日配信予定)
祈りも終盤へ。その後の朝食、そして語らいの時間・・・。お楽しみに。
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