まさに本日、13日のずれがある聖山アトスでは、12月25日を迎え、降誕祭が行われている。
シモノスペトラ修道院の主聖堂に主教が招かれ、いよいよ降誕祭の始まりである。
一人一人の修道士の表情や動きに祝福と緊張が見られた。特に若い2人の輔祭の動きは、この日の重責の緊張感が顔の表情から伝わってきた。
狭い聖堂の中には、巡礼者たちも折り重なるように立ち、行われている儀式を真剣な眼差しで一挙手一投足を見逃さず見入っていた。
海にさらされたこの修道院、冬の痛く冷たい風が吹き寄せる。アトスの冬は厳しいという噂(うわさ)は聞いていたが、足の指先がひんやりと感じるほど、この聖堂も冷気に包まれていた。
しかし、時間がたつにつれ、その寒さは修道士と巡礼者たちが聖歌を歌うことにより、徐々に熱気のようなものに変わっていく。深夜になる頃には、聖歌も徐々に大きくなり、両翼にいる修道士たちの掛け合いが頂点に達する。子どもたちの声高な声も混じり、そこはまるで音楽会。無数のろうそくの光が人々を照らし、歌声はどこまでも届きそうで明るく伸びやかで、全ての人たちがこの時間、この瞬間を喜びに感じているように思えた。
ここの修道院では、修道院長から事前に写真は5ショットだけですと言われていたが、夢中で気付くと、朝までに千枚近い写真を収めていた。中には、次はこのポジションが良いですよと、親切に至聖所の入り口付近まで陣取りを世話してくれる修道士もいた。
撮影で夢中になっていると、司祭が一堂に介する瞬間がやってきた。各修道院から司祭が祝福に訪れ、お祈りをする時間だが、その時も「次はここから」と修道士が案内してくれ、いざ写真を構えると、一瞬目を疑った。
「父だ・・・いや、司祭か」「紛れてる」
修道院のある司祭から「ともに祝福を」とのことで呼ばれ、このようになったとのことである。聖書の一部を日本語で父が詠(よ)む時間も与えられ、どの国でもこの正教会というものは、つながりというものを大切にしていることを確信した。
朝まで続くこの祈りは、修道士も徐々に疲れを見せる時間もあるが、何よりこの日来た子どもたちは1度も抜けることなく歌い続けた。修道士たちも当然1人も抜けることなく朝を迎える。
徐々に闇夜から、空は青く変わり始めた。少し聖堂内は色味が変わり出す。完全に日が上がる頃には終わりを迎え、修道士も巡礼者も皆、主教様よりパンを頂き、聖堂を後にする。その後はもちろん、併設されているトラペザで食事を頂く。
祭りのこの日は、鯛が1人に1匹ドーンと出される。オリーブオイルにお塩とレモンで。スープは魚の出汁を使った、クリーミーな一品。野菜や果物も豊富に並べられ、テーブルはお皿でいっぱいになるほどである。
修道士たちは整列し、達成感とごちそうになんだかほほ笑ましささえ感じとれた。やがて、主教や修道院長が着席し、聖書が読み上げられ、皆黙々と食べるのである。
食事はどれも大変おいしく、特に魚は脂の少ない黒鯛にオリーブオイルとレモンの特性ソースを大量にかけて食べるギリシャ特有の食べ方であるが、これが絶品である。
食事を終えても、また聖堂に戻り、今度は普段の祈りが始まる。たとえ祭日が来ようとも、降誕祭が終わろうとも、日常の祈りが中止になることはなく、続くのである。
まさに今日、この時、聖山アトスでは降誕祭が行われている。修道士たち、そしてあの時の子どもたちもきっと訪れ、歌っている。そんなことを考えながら写真たちを見ていただけたらと思う。
「メリークリスマス」
ある修道士が、聖堂に入るわれわれに言った。歴史とともに守られ続けきたこの地で聞くと、深みと重みと意味がある。その言葉を発するだけで幸せになる。不思議な幸せな力を持っていることに気が付いた。
次回予告(1月21日配信予定)
このクリスマスを取材した時期(12月31日~1月7日)の冬の厳しいアトスをご紹介します。本年もぜひご覧ください。
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