ディオニシウ修道院で最後の夜を迎えたこの日の夕日は、格別な思いがあった。正直途中のアトスの巡礼は何度か心が折れかけた。撮影も許可は頂いたものの、思うようにできないことが多々あった。慣れない修道院での生活は、普段の生活からすると当たり前に目の前にあった全てのものが当然ない。
食事もしかり、電話やメール。ここはアトス、修道の場であるから当然のことではあるが、あの夕日を見ながら、つい日常にある当たり前にあること、起きることが、本当はものすごく大切なものなのであると感じた。
早朝の祈りを終えて、朝食をトラペザで頂く。部屋に戻り、荷作りを済ませ船着場を目指した。数人の巡礼者もアギアアンナから戻る船を待ち、一度ダフニに立ち寄り、大きな船に乗り換えウラノーポリを目指すことになる。
1時間くらいであろうか、船を待つ。数組の巡礼者たちは、ずっとしゃべっている。その輪は、一緒に来た自分の連れを越え、恐らく今日初めて会ったであろう人にも話を掛けるのだ。
船に乗っても、会話は延々止まらない。右目にグリゴリウ、シモノスペトラと修道院を立ち寄り、多くの巡礼者たちが乗り込み、皆ダフニを目指す。
ダフニではチケットを購入し、ウラノーポリからの船の到着を待つ。あの最初にこの地を踏み入れたときと逆である。特に夏時期の港には、修道士や巡礼者がごった返す。船が到着し乗ってきた乗客を全て降ろし、いよいよアトスを出る巡礼者たちが大勢乗り込む。
巡礼者たちは皆いい顔をしていた。この旅の途中で気付き、10人分の巡礼者の顔を収めていた。船の上で、もう一度巡礼者たちの顔を思い返してみた。
クトゥルムシウー修道院では、食事の後、ひげの生えた恰幅(かっぷく)のいい男が修道院の外で休んでいるときに話し掛けた。1人で来ているようで、何かを思い詰めている表情だった。
ラヴラ修道院では、20歳前後の息子と共にそのお父さんが、昨日はフィロセウ修道院で一緒に徹夜でお祈りをしましたね、と近寄ってきた。日本からですか、それは遠いところ素晴らしいと。
ヴァトペディ修道院では、好青年のイケメンとコンパクトのカメラを持った人が珍しい日本人の存在に撮らせてくれと。どちらも単身での巡礼だ。翌日には、20歳前後の学校の同級生が2人できており、2人でこの地を踏めたことに喜びを感じているとのことだった。
船の中では、中年のおじさん二人組がずっと笑い話をしていた。よく見ると日本人の姿も。彼は、ルーマニア人の奥さんがおり、正教徒であるとのことで、定期的に訪れているようであった。
祈りの中で、巡礼者たちは聖堂に入ると、まず初めにイコンへくちづけをする。そして机にメモ帳がたくさん置いてあり、それに何やら記している姿を見る。
そこに書かれたものとは…家族の名前や友人の名前、病気で苦しんでいる仲間の名前、自分を取り巻く人たちの名前だというのだ。ここにギリシャ正教の神髄があるように感じた。
そこに自分の名前を書くということはほとんどないという。イコンへくちづけするという愛する形、自分のためだけでなく、人を思い人のために祈るという行動。それこそが自分の喜び、そして平安につながるという考えを持っているのだと感じた。
巡礼者たちに接し、美しいその表情をしている理由はそこにあるのかもしれない。彼らにとって、神に近いこのアトスの地でお祈りをするということは、「人を思う」「人を愛する」という最上の形なのかもしれない。
日本の正教会では、この「人を思う」ということを「記憶」という言葉で翻訳している。本来は自分のこれまでの出来事や自分のこととして引用するが、人のことを考えるということが「記憶」なのである。
彼らは人のために祈りをささげに、この地を訪れているのだ。巡礼とは、一体何なのか。しばらく考え込んだ。
ふと気付くと、船からはウラノーポリの赤い屋根の街が見えてきた。
エーゲ海の青に囲まれた美しき聖地アトスは、どの場面も被写体として自分の想像をはるかに超えるものであった。厳しさ、美しさ、雄大さ、そして愛、友情、家族、そして孤独…歴史、遠い時空を超えた歴史の中で、自分はまだ入り口の入り口に入ったにすぎない。再びこの地を訪れる。いや訪れなくてはならない。これは、自分のテーマとして生涯撮り続け、掘り続けていかなくてはならない題材であると思っている。
船はウラノーポリに到着した。ここには、水着を着た女性があちらこちらを歩き周り、肉を食べ、ビールを飲んで楽しみながら食卓を囲む家族も多くいる。一気に現実に引き戻される。天国への入り口という名のこの地も、どちらが天国なのか。そんな冗談も交えながら、また日々の生活に戻ることになる。
次回予告(10月29日配信予定)
特別編として、10月上旬に取材したブルガリアからブルガリア正教会の聖堂などをご覧いただきたいと思います。お楽しみに。
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