男だけの船は、アトス半島の南端カフソカリビアという崖の下にある港に着くと、再びダフニ港を目指し引き返す。われわれはダフニ港とアギアアンナのちょうど中間辺りに位置するだろうか、海目前の切り立つ岩に建てられたディオニシウ修道院を目指すことにした。
半島の西側のダフニ港より南は、アトス山に近づくにつれ、緩やかな岩山となっている。このディオニシウ修道院やシモノスペトラ修道院、グリゴリウ修道院らは、その岩山の間の沢を利用し、アトス山の豊富な水脈を効率よく受け入れられるところに立っているのも特徴である。
船を下りると、その高さと大きさに圧倒され、果たしてあそこまで登れるのかと思うほどである。見上げると、岩の巨大さと城壁の高さ、その上に今にも崩れそうなバルコニーがあちらこちらに造られ、疑いしか持たない建築物である。その昔、海賊や異教徒からの侵略を防ぐため、このような城塞の構造となったとのことである。
また、修道院の入り口は海側ではなく山側にあり、船を下りるとそこまで自力で上がることになるのだ。ここディオニシウ修道院では、石畳の階段がどこまでも、来るものを拒むかのように続く。雨の日は、滑り落ちるのではないかと思うほどの急勾配である。
特に、この周辺の崖に立つ修道院を訪れるには、体力に自信のある者、若者に限られると思う。ただ、最近ここまでの道もできたことから、カリエでバスをチャーターして向かう方法もあり、かなり便利になったとのことである。(100ユーロくらいはかかる)
早速、修道院長にここでの撮影許可を頂きに会いに行った。すると、答えは全てNGとのこと。強面(こわもて)の大きな体格をした修道院長で、これは押してもダメだなと諦め、ここでは静かにすることに決めた。
果てなく続く海、素晴らしい光景が一日中続く。修道院の外には、キミティリオン(修道士のお墓)があった。絶景の見えるこのお墓も清々しく思えるのは、私だけだろうか。きっとここに眠る修道士たちも、この地で死ねる喜びを感じているのだと思う。
その日の祈りと食事が終わり、巡礼者たちは皆、テラスに出て刻々と沈みゆく太陽を見ながらガヤガヤと話し出す。
特に日が長い夏のこの時期、ゆったりとした時間をこうして外で過ごすことは、ギリシャ人にとっても自然な流れである。次第に輝く青の世界から、徐々に日が海に近づき、暖色の赤や黄の混じった温かい色味に空を覆う。雲の切れ間から、不思議な光の力を感じ、思わず息を呑み込む。
あの登った階段を駆け下り、海の間近まで行く巡礼者たちも数人いた。私もそれに続いた。波打ち際に立ち、夕日が沈む瞬間、海と平行に最後のサイド光が強く差し込み、彼らを照らす。アトス半島の西側エリアは、夕日が沈む瞬間が何よりである。
ヒランダリウ、クセノフォンドス、パンデレイモン、シモノスペトラ、グリゴリウ、そしてここディオニシウと海岸沿いにある大きな修道院から、天候が良ければ(夏はほぼ毎日)、この夕日を眺めることができるのだ。光を感じるということは、時を感じること。おそらく、この修道院群は、この光を意識して建てられたのだと実感する。
友人や仲間とこのアトスに巡礼に来ることは、彼らにとってどんな時間なのであろうか。巡礼者たちは、ここへ来て何を感じ、何を思うのであろうか。
老若男、女はいないが、男だけで友人や仲間と共にここでお祈りし、それ以外の時間はのんびりし、友情を確かめ合う。ギリシャ人の9割以上が正教信徒であり、やはりわれわれ日本人では検討もつかない心の境地にいるのであろう。
あの日の夕日は、彼らを照らしていた。そして、再び彼らは、この地をこの仲間で訪れるのだろう。
次回予告(10月1日配信予定)
日本ハリストス正教会司祭中西裕一による連載特別編第3弾として、アトスについてご紹介します。お楽しみに。
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