この旅で大きな期待を持っていた1つに、シモノスペトラ修道院がある。
ここは、アトスのことをネットや書籍で調べると必ず、最初にヒットするといっても過言ではない修道院であり、写真でありながら、その絶景に誰もが声も出ないほどの感動を覚えるものである。
ヴァトペディ修道院を後にし、カリエへ戻り、ダフニ港行きのバスに乗り込む。
ダフニ港では、午後1時着のウラノーポリから出た船が到着するのを待つ。そこから、その船でアトスを出て現世に戻る者、小さい船に乗り換え、半島の南を目指す者に分かれるのである。われわれはその南を目指す船に乗り込む予定である。
ダフニ港の昼過ぎは、アトスへ来る者、去る者、半島の南を目指す者、そこから戻って来る者と巡礼者たちでごった返すことになる。お土産屋が2軒、商店が1軒に、カフェが1軒だけあり、皆思い思いに就航時刻まで船を待つ。
そこでふと、下に目をやると、段ボールに子猫の姿が。母猫が怖い顔で近づくなと牽制(けんせい)しているが、子猫たちは興味津々に段ボールを出たがる。
ここアトスでは、1400年以降女人禁制を敷いている。女性は、この地を自らの土地とした生神女マリヤ(キリストの母)様だけであるという考えからきているが、家畜まで全てオスという徹底ぶりである。そんな中、ネズミ退治のために猫のみはメスが存在するのである。つまり、繁殖はこの猫だけなのである。
出発時間になり、少し小さめの南行きの船に乗り込んだ。美しく透き通るエーゲ海の海、魚たちも気持ち良さそうに泳いでいた。しばらくすると、エーゲ海から突き出た尾根がどこまでも高く、そして強く、大きく雄大なあのアトス山が姿を現すのだ。
数分後、いよいよ初対面とともに、呼吸の乱れを感じる瞬間が訪れる。海抜300メートルの岩山を切り、その上に、誰も寄せ付けないと思わせる修道院を見ることができる。これこそ、シモノスペトラ修道院である。
人の力の無限を感じることができる。横から見ると張り付くように、そして岩山に一体化したような感覚に陥る。土台は、歴史と共に崩れ落ち、修繕の最中のようだ。ここには、今も約100人の修道士が住み、共同生活を送っているとのことである。
この修道院はのちに、2度目、3度目の旅で滞在することになり、ここでもある修道士と出会い、とても貴重な時間を過ごすことができたが、またの機会にご紹介したい。
さらに船は南下し、今度は海の目の前に立つグリゴリウ修道院が見えてくる。こじんまりしているが、まるでヨーロッパ貴族の別荘のような場所に位置し、テラスや回廊、海を意識した窓造りなどから、リゾートホテルのような雰囲気さえ感じる。
さらに南下し、とてつもないアトス山の存在を感じながら、ディオニシウ修道院が見えてくる。これも大きな岩山にポツンと立ちはだかる。その周りには、段々畑が整備され、気候に合った野菜などが育てられている。今日はこの修道院に泊まる予定だが、われわれはさらに南下した。
アトス山へ近づくにつれ、誰も登れないほどの崖が目の前に立ちはだかる。急峻(きゅうしゅん)な崖の中にポツポツと修道小屋が立ち並ぶ。アギアアンナと呼ばれるこの地域では、物資の輸送にロバを使う。船が到着する頃には、港で多くのロバが道に並ぶ姿を見ることができる。
さらに南下し、半島突端に近づくと、水の色はエメラルド、岩山も白色が混じった美しいコントラスト。数軒のケリが岩にへばりつくように建てられ、物資の輸送用のロープが建物間を結んでいる。
どのような方法で建てたのか、どうやって行くのか、疑問しか湧いてこないほどの絶景に、ただただ息を呑むだけだ。
さらに、半島の端のポツンとした岩には、大きな十字架が立てられている。この地域はアトス宗教自治国であると、対外的な印として立てられているのだという。
人を長年寄せ付けなかったアトス半島の全貌を見ることができた。特に半島の突端のケリで暮らす修道士は、夜になれば何の光も無い暗闇に包まれる。何のために祈るのか、自分とは、孤独とは・・・。たった1人、祈りと共に夜明けを待つことになる。
次回予告(9月17日配信予定)
途中に見たディオニシウ修道院を訪れます。ここでは、なんとも美しい夕日を見ることができました。お楽しみに。
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