合計2泊3日の滞在を許されたラヴラ修道院では、これまでの慣れない修道院での生活の疲れからか、また田舎へ来たような土地柄もあるのか、のんびりとした時間の経過を感じていた。
また、この時は会社勤めをしており、寛大にも1カ月の休暇を頂き、この地へ来ることができた感謝や、やり残している仕事のことなど、現実とこのアトスの世界を行ったり来たりしていたことを思い出す。祈り以外の時間は、修道院の周辺の散策や、のんびりとテラスに座り、美しき青の世界を眺めていた。
晩の祈りの前に、父のところにあいさつに来た人懐っこいある修道士がいた。これまで見た修道士とは違い、かなり若く見えた。そして体つきも大きくなく、顔は非常に柔らかいイケメン修道士だ。
しゃべり方も柔らかく、私に「私はMです。お父さんから話はうかがっていますよ。よく来ましたね。歓迎します」と、その眼差しも美しく、とても魅力的な人だなと感じた。オーラとでもいうべきか、不思議なパワーを持った方なのかもしれない。おそらく年齢も私とそう変わりないと思った。
その修道士は聖堂に入るや、至聖所を行ったり来たり、彼の柔らかく優しい声が聞こえ始めた。聖歌隊もそれに合わせる。そう、彼は、司祭であったのだ。
ここアトスの各修道院では、トップに修道院長がおり、そこに司祭が数人、修道士とピラミッド型に組織されている。全てにおいて指導者である修道院長の指揮で生活が成り立っているのが特徴で、人事権も修道院長が担っており、年功序列というものも一切なく、すなわち、その人物が司祭に適しているかということは、修道院長の判断で下されるようである。
おそらく40歳前後であろうM司祭は、この2泊3日の間でも、たくさんの事を教えてくれた。「11時30分ごろカメラを持って、聖堂の横に来てください」と言われ、時間通りに行くと、小屋に案内された。そこは、パン焼き工房。
M司祭は、1人でパンを焼いていた。「お祭りの時に使うパンを焼いています」と話し、温度のことや焼き方、写真を撮るためにトレーを見やすい位置に移動してくれたりと、とても親切にいろいろ見せてくれた。
M司祭は、長年研究で通い続けた父ともとても親しく、父の質問などにも快く答え、その時間をなんだかとても楽しそうにしている。
驚きだったことに、M司祭が父に「今晩、お願いします」と言う。父から説明を受けたが、初め何を言っているのか、さっぱり不明だった。
このラヴラ修道院では、晩の祈りが終わり、食事を済ませた後に、もう1つの聖堂で巡礼者のために祝福をする時間がある。そこの担当は普段M司祭が執り行っているようだが、父が巡礼に訪れた際には、パウェル司祭(つまり父)が執り行う機会が設けられているというのだ。
食後の午後7時前、聖堂の鍵がM司祭によって開けられ、巡礼者が集まり出す。修道士も集まり出す。ここ、アトスで、ラヴラ修道院の聖堂から、父の声が響き始めた。
子としては、「この人何やっているんだ」とか「古代ギリシャ語を使っている」とか、写真家としては、「このアトスでこんな事を許されている日本人は最初で最後かも」とか「貴重な瞬間だ」とか、いろいろと複雑な気持ちが交錯する。
さらに、M司祭は「自由に撮ってくださいね」と、聖堂内の撮影は本来許されることはないのだが、彼だけは快く許してくれたのだ。
このラヴラ修道院での2泊3日は、今後のアトス巡礼に対しても大きな成果と今後の標榜を見つけられた非常に有意義な訪問となった。M司祭とは、この後2度、3度と訪れることになるが、行くたびに、私に貴重な瞬間を提供してくれている。
今年の9月にもまた行く予定だが、また会うつもりだ。彼は司祭という指導する立場にありながら、修道士の皆から尊敬の眼差しで見られている。また自ら率先して仕事をこなす、修道院一番の働き者でもある(そのことは、この後数回訪れたときに分かる)。
やはり、上に立つ人間というものは、自ら働き、上下関係のない人間関係の構築や日々の生活の中で手本となり、人のことを常に考えた行動を取れる人間だけなのかもしれない。これは、きっとどの世界においても通ずることだと思う。しっかりとそのことを修道院長は見極め、今の位置に置かれているのだと感じた。
また、父はこの地で20年間の研究を続け、今もなおそれは継続中である。今年で66歳になるが、年下のM司祭からも指導を受け、巡礼者のために祈る前に予習を怠らない姿に、単純に尊敬した。父にとって研究こそが生きがいなのであろう。長年ここへ通い詰めた理由が徐々に分かり始めた。
父の祈りの後、このメギスティス・ラヴラ修道院の開祖、聖アサナシオスのイコンを手にして記念撮影。2人とも清々しく、いい笑顔だ。
次回予告(8月20日配信予定)
20ある修道院の1つ、バドヴェディ修道院を訪れます。お楽しみに。
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