ラヴラ修道院からは早朝6時にカリエ行きのバスが準備され、巡礼者たちは前日までに予約をし、それに乗り込むことになる。アトス半島の東端に位置するここは、特に夏は美しく大きな朝日を見ながらバスを待つことになるのだ。比較的涼しく、カラッと乾燥し、柔らかい光に包まれた朝だった。ここではM司祭と出会い、非常に有意義な滞在となった。
バスで1時間、カリエに到着後、また昼過ぎに各地へ行くバスを待つことになる。これから目指すヴァドペディ修道院は、予約の連絡をしなくては入れないとN修道士から確か言われており、前日に予約をしていた。
昼過ぎになり、バスが集まり乗り込んだ。10人ほどの乗客がいたのを思い出す。走ること15分ほど、険しい道を進むと何やらゲートのようなものが見え、バスが停まる。
警備員がバスに乗り込み、名前を確認し出す。そう、やはり予約していないとこのゲートは通れないとのことで、予約を入れていない3人ほどの巡礼者がバスを当然のように降ろされた。こんな山道に降ろされ、帰る術もない状態だ。
その後3人の行方は分からないが、おそらく自力で山道を戻り、カリエに帰ったと思う。非情の出来事だった。修道院によっては、予約を電話やFAXなどで事前に入れなくてならない場所もあり、今回のことでかなり勉強になった。
バスで30分ほどでヴァドペディ修道院に到着。半島の中心部北側の海沿いに建つこの修道院は、施設もかなり整備されている。港湾部も建設が進み、北側からアトスへ入る船のルートの玄関口として準備が進んでいるとのことであった。
撮影の許可書を持参し、修道士を訪ねると一様に「修道院長に聞いてください」と声をそろえるのだ。祈りと食事を終え、修道院長にご挨拶(あいさつ)がてら、許可書を見せた。すると「聖堂以外はどこでも好きにお撮りください」とのこと。
そして建物などを撮影していると、さまざまな修道士が「撮ってはいけません」と近づいてくるのだが、「修道院長がOKである」と返すと、皆一様に「それでは問題ないです」と言うのだ。このヴァドペディ修道院こそ、規律が厳しく、この修道院長の下に組織化され、修道院長の言葉が全てであると感じる場所であった。
また、ここの修道院長は、食後も修道士や巡礼者たちに対して列がなくなるまで耳を傾け、一人一人と丁寧に話をしている。次第にその輪は大きく膨れ上がり、聞き入るように話を聞いている巡礼者の姿も印象的であった。かなりの影響力、カリスマ性を持った院長なのだと感じた。
ある修道士に「イコンの工房を見たい」と尋ねると、眼差しの強い若い修道士がこちらへやってきた。「修道院長の許可は取りましたか」と聞かれ、「はい」と答えると、「それでは、明日の昼ごろ、あそこの建物の4階に来てください」と、城壁の一番高い部分を指さした。
明くる日の昼、そこを訪ねると、昨日の修道士が「お待ちしていました」と歓迎してくれた。彼はイコン制作を担当する修道士だったのだ。丁寧に工房を案内してくれた。数人の修道士がこの工房を任されており、日中一番の光の入る最上階の角部屋、大きな窓のある2面採光の大きな部屋で、のびのびとした場所が与えられているのである。また、画材道具や参考図書もきれいに保管されており、制作中のイコンがあちらこちらに置いてあった。
その修道士は、「イコンは決してオリジナルはないんです。昔あるものを完全に複写し、誰が描いたということもありません」と話す。いわば神の力を借り、描かせていただいている感覚だという。ただ、彼らの眼差しはとても美しく、清らかで、楽しんでこの場で描かせてもらっている、そんな雰囲気を感じた。
また、同じ建物には、彼らが着る漆黒のラーソ(マントのようなもの)や衣服を仕立てたり、修繕したりする場もあり、そこにも担当の修道士がミシンをかけたり、手縫い作業をしている修道士もいた。丁寧に真剣に作業を行う彼らの姿勢には、驚きを隠せなかった。外では、聖堂などのマットを磨いている清掃係、トラペザの前では、「キリエレイソン(主は、憐れめよ)」と数十人の修道士が声を合わせ、玉ネギをむいている姿も印象的だった。
その横にはパン焼き工房。2日後の祭りのために、こちらでも一つ一つを丁寧に真剣に焼いている。その日のごちそうの魚を切る修道士も真剣に働いていた。
ここヴァドペディ修道院では、彼らの祈り以外の時間の「仕事の時間」に触れることができた。自分のために働くのではなく、自分以外の修道士や巡礼者たちのために働くことが仕事であるということに気付かされた。
ここの修道士たちの規律、真剣な仕事に対する姿勢は、きっとあの食後に見た、一人一人に耳を傾ける修道院長の人に対する姿が焼き付き、仕事とはどういうものなのかということを各自がしっかりと考えさせられて日々を過ごしていることから生まれるのだと感じた。
上司としては、イコン工房や各仕事場での環境整備にみられるように、修道士たちに働きやすい環境をしっかりと提供していることに気付く。
修道院長は、日々の生活全ての場面で修道士たちの手本となり、また指導者として日々の生活を一人一人に考えさせ、実行させているのだ。
仕事とは、人のために奉仕をすることが始まりであるということを深く考えさせられた滞在となった。きっと、この姿勢はどの分野においても通じる考えだと思う。
次回予告(9月3日配信予定)
再び港町のダフニを目指し、半島の突端を目指します。有名なシモノスペトラ修道院や崖にへばりつくケリなど、船から見たアトスをお伝えし、崖上に建つディオニシウ修道院を目指します。お楽しみに。
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