5月25日に発売された『芸術新潮』6月号で、本紙に連載コラム「聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―」を執筆中の写真家、中西裕人さんのコラム「ギリシャ正教の聖地 アトス巡礼 原始キリスト教の祈り」が特集15ページにわたって掲載されている。
中西さんのアトス巡礼の写真とエッセイは、1月に『サンデー毎日』、3月からはANAの機内誌『空の翼』にも掲載されており、活躍の場を広げている。
原稿をお願いしている編集者として、メールで送られてくる中西さんの原稿と写真をパソコンで開くのはいつも、編集者冥利につきる幸せな瞬間だ。俗世間とはかけ離れた修道院の静寂、修道士の意外となごやかな表情、そしてギリシャのパンや魚、果物など、素朴だが本当においしそうな食事の写真、見ていて、しみじみとほっこり見とれてしまう写真と文章をこの世で最初に眺めることができるのだから。
いつもはモニターで見ている写真を、印刷された大型の雑誌のグラビア特集で見ることができるのは、新鮮でうれしい。
また巻頭特集の「仁義なき聖書ものがたり 旧約聖書バイオレンス・ガイド」も面白い。『仁義なきキリスト教史』などの著作がある作家の架神(かがみ)恭介さんが、旧約聖書を広島弁でノヴェライゼーションしている。
例えば創世記、アダムとエバの物語は・・・
「おどりゃ、この糞ばかたれ」
アダムとエバは必死に弁護し、蛇に罪をなすりつけたが、神の怒りは収まらない。
「こぎゃん悲しいことないわい。わしゃのう、おどれらがわしのシマで楽に暮らしていけるように思うて若頭に命じたんじゃろうが。なんでわしの親心が分からんのじゃ。おう、これからはの、カタギに戻って額に汗して働くんじゃ。おどれらはわしが塵から作ったもんじゃけえ、いずれは塵に帰る運命じゃ。わしゃ言うたろうが、食ったら、おどれらは死ぬことになる言うて、のう」
カインとアベルの物語は・・・
大地の叫びを聞きつけたヤハウェが駆けつけて来て、カインの頬に速やかに怒りの鉄拳を叩き込んだ。
「大地を敵に回して農業(しのぎ)やれると思うとるんか。追放じゃ!」
「ヒエッ!」
(中略)
こうしてカインには「七倍返し」の印が打たれ、カインを殺害するものは誰でも七倍の復讐を受けることになったのである。
なかなか過激だが、普段読み慣れた聖書が一味違って見えてくる(?)ようで楽しい。(ただしネットの反応を見ていると、広島出身の方がこれは「広島弁」じゃなくて「映画 仁義なき戦い」弁だ!と怒っている方もちらほらと。広島弁に詳しくないので私自身は判断を避けさせていただきたい(笑)。
このほか、旧約研究者の加藤隆氏によるQ&Aコーナー「教えて 旧約聖書!」や、「聖書と美術 禁断の図像史」も読み応えがある。
そもそも聖書では、神はモーセに十戒の中で「あなたはいかなる像も造ってはならない」「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」と命じている。
しかし、近代になるまで一般の人々の間の識字率は極めて低かった。聖書を「読む」ことができる人はごく一部だった。そこでキリスト教は美術や絵画のイメージの伝達力を大いに活用してきた。それが近代までの西洋美術の歴史ほとんどそのものなのだ。その歴史を美術史家の池上英洋氏が丁寧に解説している。
ところでここ数年、一般の雑誌の中で聖書やキリスト教が取り上げられることがめっきり増えた。キリスト教界隈では高齢化やら人が来ないやら心配しているが、実はやっぱり「キリスト教ブーム」は言い過ぎだが、キリスト教への関心は高まっているように思えてならない。教会や各教団がその風を十分に生かせていないだけなのかもしれない・・・。
ともあれ、「美術」と「広島弁」から読み直す聖書とキリスト教。なかなか新鮮な体験だ。