今回の旅、このアトス巡礼の中で、素直な気持ちでやはり修道士たちの食事、修道院で出される食事については、日々のわれわれの生活の中では三大欲求の1つでもあり、彼らにとってどのような位置付けなのか、食に対する喜びのようなものはあるのか、という興味は、行く前から持っていた。
恐らくどの方にとっても、この食事というものは、気になる問題の1つだと思う。
修道院のトラペザ(食堂)は、必ず敷地内の中心にある主聖堂の前に、入り口が向かい合って建てられているのも特徴である。これは、神にあって1つの世界としてつながっていることを意味しているという。
祈りを終え、中庭で少し休息をしていると、大きな鐘が鳴った。これが、トラペザの準備ができて扉が開く合図である。全員が入室すると扉は閉ざされるため、この場にいなくては食事を逃すことになる。
トラペザの造りは修道院によって異なるが、天井、壁面には全ての修道院で聖人たちなどのフレスコ画が描かれている。椅子やテーブルも異なり、石造りや木造の場所もあり、それぞれである。
並び順に関しては、一番奥に司祭用の席が配され、一段上がっていたり、半円型のテーブルになっていたりする。奥から順に修道士、見習い、一番扉に近い席に巡礼者用とはっきりと分けられている。場所によっては、奥と手前で品数が違うところもあった。
食事の回数は、常に祈りの流れにあり、季節にもよるが、晩課といわれる祈りの後の午後4時半から6時半の間、早朝の祈り、聖体礼儀の後の午前8時から10時ごろの間の1日2食が基本である。
食事中は、決して私語が許されることはない。全ての責任者である一番奥に鎮座する修道院長の鐘の合図で食事が始まり、1人の担当修道士が聖人の言葉を読み続ける。これが、トラペザ内に響き渡り、あとは食器のぶつかる音が聞こえるだけである。
食事内容については、修道士たちは基本的に肉を一切食さない。平時に出される食事は、豆類やイモ類、パンにパスタなどが中心である。チーズや卵も食べる。魚貝類は基本的に、エビ、イカ、タコ、貝系は出される。
復活祭や降誕祭などの大祭日にはタイやタラなどが出されるが、それ以外は食すことはない。つまり、血の通っていない物を食すということになる。
野菜はトマトやキュウリ、玉ネギ、自家栽培の自然の恵みが食卓に並ぶ。その日の料理に合わせて野菜を摘むのも、修道士たちの日課となる。
オリーブオイルや塩などでシンプルな味つけ。全体的にギリシャ料理から肉を減らしたものと考えると分かりやすいかもしれない。
水は常に用意されており、自家製のアルコール度数の高い赤ぶどう酒が出されることもある。ただ、この飲料を飲むタイミングは、食事中に修道院長の鐘の合図があり、それ以降となる(およそ食事が始まって5分くらいしてから鳴る)。
これとは別に、ユダの裏切りの日である水曜日と、キリストが磔(はりつけ)にされた受難の日の金曜日は斎(ものいみ)の日で、油を一切使わない節食の日と決められている。パンやオリーブ、果物などで腹を満たすことになる。
特に厳しいとされるのが、復活祭前の節食で、40日前から大斎(おおものいみ)となり、日によっては3日ほど絶食になるのだという。この時期をアトスで実際に経験した父によれば、空腹を通り越し、体全体が軽くなり、清らかな気持ちになるという。
恐らくここに住む修道士たちにとっても、最大の祭りである復活祭を迎えることはかけがえのない出来事であり、この空腹感は、目標である神への思いから、清らかで憧れの境地なのではないかと思う。
この復活祭や大祭日、降誕祭の後には、タイやタラなどのごちそうが準備され、場所によっては1人にタイ1匹を目の前に準備される。こちらの魚は日本と違って、脂が少ないパサパサとした食感であるため、オリーブオイルにレモンなどを絞ったソースを大量にかけて食べるのが習慣であり、これがなかなか美味であった。
そこに喜びや美味を求める感情があるのか、という初めの考えは、全くもって不必要なものだと思った。食事も、祈りの一部なのである。腹を満たすことができるだけで、ありがたいのである。彼らから、そのような欲求というものは微塵も感じられなかった。
ただ、写真家としてカメラを向けた、斎の日明けのタイが出されたときの修道士たちは、どこかうれしそうで、そして軽やかな手つきで食していたのが印象的で、今でも目に焼き付いている。ただ、それは神へまた一歩近づけたのではないかという、達成感からくる喜びだったのかもしれない。
次回予告(7月23日配信予定)
アトスで最初に造られた、最古の修道院メギスティス・ラヴラ修道院を訪れます。
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