修道院の祈りとイコン
日本ハリストス正教会
東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)
司祭 パワェル中西裕一
私はかつてアトスの修道院に半年間滞在して祈りの生活を過ごしたことがある。日本を出発する直前までは、仕事に関わる電話や手紙、電子メールのチェックと返信に追われ、子どもたちや父母の生活に関わる話題等々、また茶の間のテーブルに着けばさまざまな話題がテレビや新聞のニュースからもたらされ、国内の出来事、海外でのテロの危険などについての報道に触れ、誰もがそうであるように情報の嵐の中に暮らしていた。
日本を離れてギリシャに入れば、この国の人々が熱狂する大きな行事、国政選挙を間近に控え、ギリシャ二大政党の政策についての議論や話題がテレビや新聞を通じて伝わってきた。
しかし、修道院で生活を始めると、それらの情報はいとも簡単にほぼ全てが遮断され、日本に残してきた家族のことが心配なこと以外、全く興味すら示すことがなくなった。なんと平穏な日々なのだろう。滞在中にアテネ在住の友人に電話で近況を知らせたとき、即座に返ってきたのは「うらやましい」という言葉だった。
テレビを修道院内で目にしたことは今までないし、古新聞紙1枚すら修道院内のゴミ箱の中を眺めても目にすることはなかった。物品を入れる段ボール箱や包装紙などにもめったにお目にかかれない。
外部との交流は巡礼者や私のような中・長期滞在者のもたらす情報と電話によるものがあるが、携帯電話もまだ普及していなかったし、事務所に古びた有線公衆電話が一台あり(これも雨が降ると通じなくなる)、それを利用するのは毎日入れ替わりやってくる巡礼者たちと改修工事などをしている職人たち、そして私だった。
修道士たちと交わした会話の中でも、私自身の仕事(教師)のことを聞かれて説明したこと以外は、外の世界のことについて興味を持たれた記憶はほとんどない。
ある時長老と会話していて、私の年を聞かれて答えると(その頃は50代後半だった)「私は若い頃ここに入り、あなたの年齢以上にずっとここに居て、一度も外に出ていません」などと言われたが、彼は第二次世界大戦以降の国際情勢についてもほとんど知らないと考えてもいいし、彼は「女性」の姿を60年以上目にしていないのだ。
船乗りや教師、弁護士、公務員など世俗の生活を経て修道士となった人も多くいる。そういう人に関して言えば、世俗を捨てる以前のことについては知っているが、ここに入ってから、あえて知ることを求めない限り何一つ知る機会はなくなる。
地球上に、修道院は他に幾つもあるだろうが、これほど外の世界と遮断され得る場所はない。そこで、約千年の間、正教会の祈祷書に沿って行われてきた同じ祈りが今そのままここにある。地球上にこのような世界が他にどこにあるだろうか。
そして、女人禁制の自治国。このことについては、観光を視野に入れたEU諸国から、アトスへ女性が入れるよう「開国」を促すメッセージが送られているが、その兆しは全くない。
アトスの修道士にとって、ここは生神女マリアの園である。ここに住まう男たちのあこがれの女性はマリアただ1人である。「あこがれの女性と共に住む家に、誰が他の女性を入れることができますか」という答えが繰り返されるだけである。
天国への階梯
聖ヨアンネス・クリマコス(Ἰωάννης τῆς Κλίμακος、579~649年)の「天国への階梯」は、神の国へと至るための30のステップについて、修道士たる心構えから始まり、アパティア(浄め)、そして最終段階の信仰、希望、愛を獲得するための指南書として修道士たちに読まれてきた。典拠は旧約聖書の創世記28:12、地上から天に達する、いわゆるヤコブの梯子がそれである。
これはメギスティス・ラヴラ修道院主聖堂の前堂南端をはじめ、アトス内の修道院の諸聖堂でよく目にするイコンである。修道院とは、修道士たちが聖人たちの生き様にならい、競い合って天国を目指す修練の場となる。天国に登りつめる者もいれば、落下してレヴィアタン(怪物)の餌食になる者もいる様を巡礼者たちは足を止めて見入る。
階梯者ヨアンネスの著作講読
復活祭前の40日間の節食期間に入った第1週目になると、毎日の時課の祈りの中で、まさに「天国の階梯」が朗読される。修道士たちは毎年の公の祈祷の中で、こうして聖人たちの著作を読み続けてきた。誦読中、奉神礼はいったん止まり、誦読される聖ヨアンネスの講説に腰を下ろして耳を傾ける。この1週間で全編を読み終える。
エッサイの根
「君はギリシャ哲学を学んでいるそうだが、見せたいイコンがある」と言って、親しい修道士に連れて来られたところは、いつものトラペザ(食堂)だった。合図の鐘が鳴れば修道院長と共に一斉に食卓に着くから、イコンをゆっくり眺めることはなかった。
それは、南翼端の壁面いっぱいに描かれた、エッサイの根と呼ばれる主題のイコンだった。キリストの系図が大木によって描かれ、幹の頂にはキリストが、それぞれの枝にはキリストの先祖たち、すなわち旧約の義人たちが、その根元には横たわったエッサイが描かれる。これは旧約聖書のイザヤ書11:10およびマタイ伝1:5による。
はて、そのような図柄とギリシャ哲学とは、どのような関わりがあるのか、と思っていると、修道士は、あの木の下にいる輩を見よと促す。彼らは残らず巻物を持つ。
そこでよくよく名前を確かめると、まさしくソクラテス、アリストテレス、プラトン、それにエウリピデス、ソフォクレスもいる。そして、彼らもエッサイの木陰のもとにいる「知者たち」だと結んだ。
特にこれと直接関わりがあるわけではないが、ソクラテス、アリストテレス、ソフォクレス、さらにアポロンという聖名を持つ修道士に私はアトスで出会っている。
アトスの聖人アタナシオス(左)と生神女マリア(右)
ラヴラ修道院主聖堂の前堂の外側壁面のレリーフのイコン。聖人アタナシオスは、ビザンティン皇帝ニケフォロス2世の援助でこの修道院(右端の建物)を創建した(963年)。彼はアトスの共住制の修道精神の基礎を築くとともに、生活に不可欠な水脈を発見して、修道院まで10キロ以上にわたる水路工事を自ら行った。これにより農場も潤いさまざまな作物(左端)に恵まれた。
その水脈の発見については、生神女マリアの大いなる恵みと当時の修道士たちは捉えてきた。レリーフでは、生神女マリアが杖で水脈の位置を指し示している。
ところで、アトスの修道院には公共の電気は無い。修道院ごとにエンジンを回して自家発電をしているが、このラヴラだけは、聖アタナシオスの水脈のおかげで、水力発電で豊富な電力を安定的に得ている。「今も僕たちは、生神女と聖アタナシオスの恵みを頂いている」と修道士は胸を張った。
前堂内部にはフレスコのイコンもある。
ラヴラ修道院の主聖堂ドームと壁面のイコン
ラヴラの主聖堂はその全ての壁面にイコンが描かれている。
中央のドームは天国をかたどることから、キリストと天使の群れが描かれる。救い主イエス・キリストが眼差しに触れるとき、神の道にもとる自己がそこにいれば険しさを、神の御旨に従う自己がそこにいれば温かさを感じる。
天蓋の下の壁面には順次、新約、旧約の聖書事件が描かれる。預言者たち、復活祭、降誕祭、タボル山の主の変容、キリストの神殿奉献、生神女マリアの受胎告知などの12大祭、十字架から降ろされて葬られるキリスト、そして4人の福音書記者たちなどが見える。
生神女福音(受胎告知)
ラヴラ修道院の主聖堂のプロスキニターリオン。聖堂を訪れた際に、最初に接吻する(プロスキニーシスする)主イコンを安置する台である。通常は、ここに聖堂ゆかりの、あるいは祭日のイコンを置く。
このイコンの構図は、新約聖書外典のヤコブ原福音書11:1によるもので、天使のガブリエルが祝福の姿勢で左に立ち、キリストを身ごもった生神女マリアが椅子の前で絹糸の糸巻きを左手に持つ。頭上からは鳩のかたちをとった聖霊がマリアに降っている。(cf. Ερμηνεία της Ζωγραφικής Τέχνης ΔΙΟΝΥΣΙΟΥ ΤΟΥ ΕΚ ΦΟΥΡΝΑ 3-1)
プロスキニーシス(接吻する)
イコンそれ自体は、あくまでも木の板などの物体であり、神や聖人たちのイメージが描かれた「もの」にすぎないことから、イコンそのものを崇拝はしていない。そのイメージたるイコンに接吻(プロスキニーシス)し、イメージを通じて、原型である主イエス・キリスト、生神女マリア、聖人たちを崇拝する。それゆえ、正教徒はイコンへの接吻によって、まさに原型としての神や聖人たちに今まさに近づいている実感をそこで持つ。
降誕祭を迎えたシモノス・ペトラ修道院の主聖堂
イコノスタシスの真ん中には幕が引かれた王門があり、その右側にはキリスト、左側には生神女マリア、その左には先駆者、洗礼者ヨハネのイコン、右手前のプロスキニターリオンには降誕祭のイコンが安置された。聖所中央から吊されたシャンデリアを取り巻く円環には、12人の使徒のイコンが配され、ろうそくが全て灯されて、主の降誕の日を祝い、神の栄光をかたどる。
左下の丸い台に載せられているコリバ(糖飯)は、聖人の記憶日に作られる甘いお菓子である。降誕を思わせるキリストのイメージが初々しい。ベースは麦、砂糖や乾燥フルーツを粉末にして色粉として用いる。
聖水所の天蓋のイコン
聖水所は水を聖にする聖水式の祈りをささげる大きな水がめの置かれた設備である。ここで水を聖にする祈りを行い、祈りをささげる人や家屋、畑など、さまざまな設備に聖水を振り掛け神の恵みを待つ。天蓋と壁面には水に関するイコンが描かれる。右やや下方には、キリストが洗礼者ヨハネより受洗する様子が描かれていて、キリストの頭上には聖霊が降っている。左、やや上方には、キリストを抱いた慈憐の泉たる生神女マリアが描かれている。
密かな飲食をする修道士
復活祭前の40日間、直前に肉を食べ尽くす謝肉祭(カーニバル)を終えたので、飽食は慎まねばならない。正教徒にとって、時期が時期だけに、身につまされる思いがあるのだろう。ドヒアリウー修道院に到着すると、通されるアルホンダリキ(巡礼者受付室)の壁にあるこの画がとりわけ目に留まる。
しばらく無言で、食い入るように見入っている巡礼者たち。ふと正気に返って、この絵の話題が沸騰している中で、受付係の修道士が、おもむろに口を開いて、「胃を食物の尺度とするなかれ」という教訓を学ぶためだと言う。
それにしても、背後から憐れみの視線をあびせる修道士たち。当の本人が悪魔につかまっている様は、夢にも見そうである。不適切な食生活を戒める画である。
ラヴラ修道院、パナギア・ククゼリス聖堂
右上端のドーム部分には、タボル山において、白い衣を着た主キリストが光り輝いたことを示す「主の変容」のイコンが見える。
旧約聖書から新約聖書に連なる、さまざまな出来事のイコンに満たされた聖堂で祈ることは、私たちの住まう世界の時を超えて、全ての出来事が同時に邂逅(かいこう)する神の一なる世界、すなわち天国で祈ることとなる。
そこでは、天使たちの群れ、旧約の預言者や義人、新約の時代においては主キリスト、生神女マリア、使徒たちと聖人たち、今ここに立つ私も、修道士たちも、巡礼者たちも、全てが時を超えて主の讚栄のためにここにいる。
次回予告(6月11日配信予定)
フィロセウ修道院にて大祭日を迎え、徹夜の祈りに参加します。お楽しみに。