N修道士を先頭に聖堂内に入った。壁や天井はイコンやフレスコ画に埋め尽くされていた。徐々に修道士たちの声が響き始めた。
巡礼者たちも続々と聖堂に入ってきた。Nは私に写真を撮れと指示した。1枚撮ったが、他の修道士が「ダメだ」と言ってきた。
やはりここは、共同生活をしていながらも一人一人の祈りの場。世俗と根絶して祈りにささげる生涯を選んだ彼らにとって、撮影をするということがどれほど無意味なものなのか。これまで20数回にわたりこの地を訪れている父も、写真に収めるということを考えなかったと話している。世界遺産でありながら観光地化をせず、純粋な巡礼の場として存在し続けた意味が理解できる気がする。
聖堂内の様子は豪華絢爛(けんらん)、金の装飾に大きなイコンや小さくても歴史を感じるものが多く壁に飾られていた。修道士に続き巡礼者たちもイコンへの接吻をし、聖歌に聞き入る。祈りの時間は季節や大祭(復活祭、降誕祭など)によって違うが、夕方の4時ごろから7時までの3時間程度、その後夕食、朝も4時ごろから8時まで続き、その後朝食と1日2食で7時間から8時間にかけて続くことになる。休みの日は無く、大祭になれば徹夜で祈りが行われる。
時の刻みの話をさせていただくと、暦はユリウス暦を採用し続け、俗世とは13日の遅れがある。旧約聖書で神は夜を先に創造したことから、夕方6時を翌日の午前0時とするビザンチン時刻を用いている。
夕方の祈りは、季節によっては日が沈み出して夕日が差し込み、聖堂内は徐々に暗くなる。次第にろうそくの灯だけがともり、聖堂内を一層華やかに感じさせる。
修道士たちもろうそくの灯を借り、聖書を読み上げる。終わる頃には辺り一面が闇に変わり、ろうそくの灯のありがたさを感じることになる。祈りの後には必ず食事となり、鐘の合図で皆トラペザ(食堂)への入室が許される。
修道院の造りはどこも主聖堂と食堂が必ず隣り合わせに配置されており、神の一つの世界としてつながっていることを意味している。食堂も壁一面にフレスコ画が描かれていた。
奥から修道士が座り、奥のセンターには修道院長の席がある。巡礼者たちには入り口に近い席が用意されている。この日の食事は、芋を煮込んだもの(あまりおいしくない)と地中海で育った生きたトマト(これはおいしい)。
食事の時間も祈りの時であり、私語は決して許されず、係りの修道士が聖書を読み続け、食堂内は修道士の声と食器がぶつかる金属音のみとなる。お酒は赤ぶどう酒(キリストの血)がコップ1杯ほど与えられる。
食事が終わると次の祈り、すなわち深夜の3時すぎまでは自由な時間となり、就寝する者もいれば、巡礼者たちと語らいをする者もいる。
食後、Nは「今日はここに泊まって朝の祈りを見て撮影してきなさい。ここは朝食が遅いから、祈りが終わって明日の9時ごろ正門に迎えに来ます。わが家で軽い朝食を用意しておきます」と言い、ケリに戻った。われわれは疲れのせいかすぐ寝て、夜中の祈りに備えた。
深夜3時すぎ、寝落ちし真っ暗な世界に、またシマンドロの音色が耳に入ってきた。
衣服を準備し、ろうそくの灯だけを頼りに聖堂内に進むと、修道士たちの祈り声が響き始める。楽器を一切使用せず、肉声のみで歌われるビザンチン聖歌は、西洋の音階と異なり東洋的で、典型的な十字型の教会造りにドーム状になった聖堂内では、修道士たちの声が反響し、まるで音楽会にも来ているかのような男声合唱の美しくも力強い響きを発していた。
まるで絵画を見ているような光景に、息をのみ、立ち尽くすばかりだった。
8時くらいまで祈りは続く。朝日が聖堂内に差し込み、イコンや歌う修道士たちを照らすと、荘厳な美しさが目の前に広がる。祈りを終え、一人一人にパンをひとかけら供され、その後聖水を口にする。長時間にわたる祈りの後は疲れと喉の渇きに、これほどまでにおいしいと思ったことがないほど大切な物だと感じる。
祈りと共にある日々の生活は、季節や朝日や夕日の時の刻みを感じながら、自分自身で光を感じ、歌を詠み上げ、香をかぎ、イコンへ接吻し、パンと聖水を喉に通す。まさに人間にとって最も大切な五感全てを感じさせながら行うものだと思った。
祈りが終わって外へ出ると、晴れ上がった夏の地中海気候の朝がなんともすがすがしい。巡礼者たちの表情も一片の曇りもなく思えた。
朝9時ちょうど、正門前で待っていると、Nが車で到着した。「グッドモーニング。いい写真は撮れましたか」
撮りきれていない自分がいた。私の少しうつむいた表情を見て、「朝ごはんを用意しています。次の策がありますよ」と話した。
次回予告(4月30日配信予定)
N修道士のケリ(修道小屋)に戻り、彼の生活をお伝えします。ケリに生きるN修道士・その2~生活編(仮)です。お楽しみに。
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