3月19日に配信しました「ケリに生きるN修道士・その1~祈りと共に」の続編としまして、今回はN修道士のケリでの生活の様子をお送りします。
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朝9時ちょうど、正門前で待っているとNが車で到着した。「グッドモーニング。いい写真は撮れましたか」
撮りきれていない自分がいた。私の少しうつむいた表情を見て、「朝ごはんを用意しています。次の策がありますよ」とNは話した。
昨日通った道をまた進み、Nの自宅に向かった。自宅に到着後、早速Nは朝食の準備を用意してくれた。簡単にゆで卵、チーズ2種類にパンの軽食。卵はシンプルに塩こしょうで、ギリシャ特有のフェタチーズとゴーダチーズ。緑豊かな農園が目の前に広がり、心地よい風が気持ちよく通り抜けるテラスで、のんびりとゆっくり食べる食事は、修道院と違い、安らぎを感じる。
食後にまた作戦会議を行い、そこでNが、「今日はカリエのそばにある旧ロシア正教の聖堂(現在はギリシャ系の聖堂になっている)セントアンドレアススキテに行きましょう」と提案してくれた。(※スキテ:修道院より規模の小さい修道施設)
そして、「明日はフィロセウ修道院の大祭日なので、相当数の修道士と巡礼者が集まるはず。徹夜で祈りが行われるから、かなり写真も撮れるのではないか。そこに行きましょう」「今日は3時ごろに出発しましょう。昼食をまた準備するので、それを食べてから行きましょう」と話した。
この日のためにたくさんの情報を収集し、準備をしてくれていたようだ。Nの家族のような愛のある行動に、初めて会う自分にこれほどまでに親切で親身になってくれる彼、修道士の生き方とは、一体どんなものなのか。疑問に思うばかりであった。
部屋に戻り、写真の整理を行っていたところ、Nは私をまた呼んだ。「収穫をするのでついて来てください」と、家の前の広大な農園を見渡すと、キュウリやトマト、イモ、ブドウやメロンまでも生き生きと育っていた。ケリでの収穫は、個人の自由、つまり食事に合わせて収穫を行うので、楽しい日課にもなっているようだ。
「お昼は鯛(タイ)を用意しました。イモとトマト、キュウリで合わせましょう」。魚料理は復活祭や大祭日のみしか食べないが、われわれが来たことへの歓迎の振る舞いのようであると、父は言った。
基本、修道士の食事は、肉は一切食さず、イモ、豆が中心で、貝、エビ、イカ、タコなどの血の通わない魚介系は食す。また、自家製の赤ぶどう酒を作り、祈りの時にも使用する。地中海料理マイナス肉といえば、分かりやすいかもしれない。
Nが玄関に炭焼きの準備をし、鯛の下ごしらえが始まった。Nの特徴は几帳面で器用、書斎も部屋もとてもきれいに整理されている。
食事を作っているときも一切無駄がなく、テキパキと魚の内臓を取り、両面に塩こしょう。その傍ら、イモをレモンとにんにくで揚げ焼きし、まるでレストランの厨房かと思うほど、いい香りがケリ内を包んだ。
取った内臓は全てお皿に盛り、家の外に置いた。どこからともなく集まってきた猫たちが群がり、とても幸せな時間を過ごしているようだった。このアトスでは、家畜も全てオスであるが、猫だけはネズミを退治する役目があるようで、メスが存在するのである。
Nが玄関で魚を焼き始めた。オリーブオイルを大量にかけながら、じっくり両面を焼いていく。魚を焼く匂いに猫たちも集まり出した。無駄のないシェフさながらの手つきはとても印象的だった。
添え付けのイモと一緒に魚を盛り、また例の心地よいテラスで昼食が始まる。食事の前に祈りの言葉を読み上げ、食事がスタートする。こちらの鯛は、静岡県伊豆沖で獲れる金目鯛のような脂ののった身ではなく、パサパサとした食感が特徴で、新鮮なレモンを絞ったオリーブオイルソースをかけて食べるのが一般的である。
こんがりと炭で焼いた香りにこのオリーブオイルとの相性は抜群。1人1匹用意され、食べられるかなと思ったが、意外に軽くあっさりと平らげてしまった。
食後は居間の横にある聖堂を見せてくれた。イコンや聖書、聖水も備わっており、いつでも祈りができる準備がしっかりしてあった。
Nと触れて感じたことは、ギリシャ人の気質をしっかり持ち、乗ってきた船で出会ったギリシャ人たちのように陽気で、よく喋る。われわれ巡礼者を心より歓迎し、共有の時間を大切にし、親切な心でどんな事でも対応してくれる。誰に対しても家族のような包容力を持つ。これは、後に会う修道士たちも一様にそうであり、この地に住む修道士たちの特徴のように思えた。
この後セントアンドレアススキテ、翌日はフィロセウ修道院を訪れることになるが、Nとは翌日のフィロセウ修道院へ行くバスの前で別れて以来、今日まで会えることはなかった。
翌年2回目に訪れたときは、連絡が一切取れず、近くに住む修道士に聞いたところ心臓の持病を患っており、テッサロニキの修道士専用の病院にいるとのことで、かなり良くないとの話だった。その後一度回復したようだが、今年の年始に再度訪れた際は、再入院をしたようで情報もあまりなく、とても心配である。
Nの協力無しには、今回の取材はできていなかったと思うし、不慣れな自分を気遣ってくれ、たくさんの情報収集や食事、移動の手伝いも喜んで引き受けてくれていた。
これだけ協力してくれたNを思い、今感じるのは、彼らの祈りというものは一体どんなもので、彼らはどんな気持ちでこのアトスで暮らし、死んでいくのか、彼らの人間性はどこから来るものなのか、ということだ。しっかりと取材し、正しいことを伝えなくてはならないと感じた。
3時ぴったり。「そろそろ出発しましょう」とNは話した。
次回予告(5月14日配信予定)
セントアンドレアススキテにて、初の節食の日を迎えます。お楽しみに。
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