男だけを乗せた船は、ダフニ港へ到着した。
港は修道士と巡礼者でごった返していた。巡礼者たちと共に停車している大型バスへ足早に向かった。バスはどうやらすぐ出発するようで、皆急いで乗り込んでいたのでそれに習った。先頭から8席分は修道士と神父専用であり、巡礼者はその後ろから着席を許されている。
このバスは、修道士や巡礼者のために輸送をしてくれるが有料で、人数にもよるがダフニ~カリエ間はおよそ4ユーロ(約500円)する。修道院は基本的には無料だが、巡礼者たちが移動に使うこのようなバスと、ダフニやカリエのレストランや土産物屋は労働者が運営しており、ユーロが使えるのである。
しばらくすると、バスは出発した。ゴツゴツとしたギリシャ特有の岩山をクネクネと登り始めた。舗装もされていないため、体が幾度となく宙を舞う。十数年前、大学の仲間とカンボジアへ行ったときに、首からフィルムカメラをぶら下げ、陸路で10人乗りのバンに乗り、ベトナムのホーチミンから12時間かけてプノンペンへ向かったことがある。
あの道のりも舗装が一切されておらず、やはり体が宙を舞い、天井に頭を数回ぶつけたことを思い出した。現地では「ダンシングロード」と呼ばれており、到着する頃には体がこわばっていた。この道もまさにそのダンシングロードだ。
いろは坂のような山道を進むこと1時間。ようやく山を越え、下りに入ると、赤い屋根の町並みが見えてきた。
遠く向こうにエーゲ海を見下ろしながら、聖堂もちらほら見える。古く美しい町並みは、山間の秘境の村と言っても過言ではない。その絶景に出会えた瞬間、再びワクワクと心が躍り出した。次第に道は石畳となり、町の中心部の広場にバスが停車した。そこにはかなりの数の修道士が忙しそうに行き来していた。その修道士の数に、もうここはアトスなのだと、あらためて実感した。
バスを降りると、父と連絡を取り合っていたN修道士(以降Nと省略する)が待っていた。歓迎の「エブロギーテ」のあいさつに続いて、英語を流ちょうに使いこなす。でも、どこかで見たことのあるような雰囲気を醸し出していて、まるで家族とでも会うかのように抱き締めてくれた。このNが、この先の巡礼案内人としていろいろな情報提供やアテンドをしてくれて、この旅になくてはならない存在となった。
カリエの町は、バスが停車する広場を中心として左右に200メートルほどの短いメーンストリートが1本あり、そこに商店が2軒と郵便局、薬局、パン屋、土産物屋、銀行、レストランが2軒、公衆トイレが建ち並ぶだけの小さな町である。
まるでタイムスリップしたかのような町並みと、そこを歩く修道士たち。カメラマンにとってはなんともたまらない。どこを切り取っても絵になる場所ばかりだ! とシャッターを切っていると、数人の修道士から注意をされた。しかも、顔はかなり険しく怒っている。話には聞いていたが、やはり撮影機材そのものが嫌がられるのである。
カリエには、アトスの総理大臣が常駐している政庁もあり、Nがわれわれを案内してくれた。基本的には3泊4日の滞在が限度なのだが、大臣より直接許可を得られれば、期間を延長できる。ただ、大臣のサインのみなので、不在時は当然許可が下りない。
大臣はさらに一枚の紙を用意してくれていた。そこには撮影の許可が記されており、思わず「ウオー」と驚きと喜びで声を上げてしまった。Nの計らいで準備してくれたのである。この許可書があれば何でもできる。そんな風に思った瞬間であった。
後に、そんなことは無かったと痛感することもあったが、この書面を持っていることで力をもらえたのは確かだった。Nは次に、自宅へと案内すると言ってくれた。用事を済ますまで、待っていてくれと言われたので、その間にカリエの町を散策し、撮影を再開した。
バスの広場には、数台のあのカンボジアで乗ったようなバンが控えている。このカリエは半島の中心部に位置し、各修道院へ行くバスが集まる起点となっているのである。
巡礼者たちは、ユーロを支払いバスに乗り、思い思いの修道院を目指す。特に、最古のメギスティス・ラヴラ修道院は人気で、夏にはバスが満杯になるほどである。その他、バドベディ、イヴィロン、スタヴロニキタ、フィロセウ修道院を目指す場合もここから出発する。また、断崖絶壁に建つシモノスペトラ、グリゴリウやディオニシウ修道院へはダフニへバスで戻り、突端行きの船に乗って行くことになる。
カリエの町は、巡礼者にとっては修道生活から少し現実に戻ることができる場所だ。商店ではお酒やお肉も置いている。薬にパンに洋服、靴、チーズにハムにポテトチップスまで何でもそろう。レストランではスープやパスタも頼むことができるので、巡礼に疲れた者にとっては少し落ち着く場であるのも確かだと思う。
現にこの後、修道院で時期によっては食事の出ない日、バスを待つ間など、われわれは何度もここを訪れることになる。巡礼者たちがここを利用し、修道院での情報を交換し合っている姿も見受けられた。無くてはならい拠点にもなっているのだ。
Nが車で自宅まで連れて行ってくれた。再びダンシングロードを進み、カリエからは10分くらいの山間の村が彼の住む家だ。車の中から点在する修道士の家々を手つかずの自然が囲んでいる。
遠くにはエーゲ海を見下ろしながら、こんなところで彼らの祈りの生活が中世から変わらず続けられてきたのだと思うと、ここに来ることができ、この生活を見ることができるというだけでも幸せだと思えた。
私自身も含めて、日本国内ではほとんど知られていないこのアトス。彼らの祈りとは、アトスというところはどういうところなのか? そこへ来る巡礼者たちはどんな思いでこの地を訪れているのか? 自分の中で、伝えたいという気持ちが強くなっていく瞬間だった。
気付くと、昨日からの天気はどこへ行ったのか、空は晴れ、気温が増してきたのを体が感じた。
車の中からふと目線を遠く外にやると、これまで厚い雲に隠れて見えなかったアトス山が目の前に広がり、まるで、われわれを迎え入れてくれたように姿を現した。
いよいよ、始まりだ!
次回予告(3月19日配信予定)
次回は、首都カリエで出逢ったN修道士についてのお話(全2回を予定)です。お楽しみに。
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